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2011年12月13日火曜日

100/0

 「映画50/50 フィフティ・フィフティ」を観てしまった・・・。
 若者のガン患者の闘病生活をコミカルに描く、という触れ込みなのだが、そのユーモアに満ちた日常が、むしろリアルに感じた。ガンは、現代の結核とも言うべき「死に至る病」。だが、患者の毎日は、ある時点まで、今までと変わりなく流れていくのだ。
 自分を裏切った者に対し、心の底から気遣いつつも毅然として別れを告げる、そんな主人公の強さに、心を打たれた。
 いい映画。

2011年12月11日日曜日

Life is a maze and Movie is a riddle

 11月も終りに近いある日、深夜テレビで「ジェロニモ」という映画が上映された。19世紀、南北戦争前後に勇名を馳せたアメリカ先住民の戦士、アパッチ族のジェロニモを描いた1993年の作品である。ジーン・ハックマン、ロバート・デュバル、ジェイソン・パトリック、マット・デイモンと豪華競演、ジェロニモ役はウェス・スチュディ(私の大好きな「ヒート」にも出ています)。
見所はたくさんあると思うが、基本的にジェロニモの人生のクライマックスを史実に忠実に描くため、映画としてはアンチクライマックスになってしまうという、まあ「based on a true story」にはありがちな展開となっていて、それが本作の本国アメリカにおける毀誉褒貶の激しさにもつながっているようである。
そんなことを考えていて想起されたのが、現在公開中の「マネーボール」である。
これも同様に実話の映画化なのだが、ご存知の通り、この映画は同名の「マネーボール」というドキュメンタリー本が原作となっている。そしてこの原作を読んだ人が一様に述べるのが、「あの本からこんなにドラマチックな映画ができるなんて」という驚きである。
主人公のビリー・ビーンがGMを務めるオークランド・アスレチックスは、この映画で描かれている2002年に一応地区優勝したものの、プレーオフであっけなく敗れ去っているので、本来なら大したドラマにはできないのであるが、それを無理やりシーズン20連勝のかかる大一番にクライマックスを持ってきて、大げさに盛り上げるのである。
そういう言い方をすると白々しい映画だと思われてしまうかもしれないのだが、そこはさすがハリウッド、ええっと思うまもなく、素直にカタルシスを得られるつくりになっていることは言うまでもない。これから観に行く人は(もうそろそろ終りだが)安心して行って欲しい。実際この映画は、当初ソダーバーグが撮ることになっていたが、スタジオが脚本に難色を示して降板の事態となったそうである。どんな脚本だったかは分からないが、せっかくのベストセラー本の映画化が、「フル・フロンタル」みたいになったら困る、かもしれない。

そんなわけで、激動の時代を生きたアメリカ先住民の人生の最高潮期が淡々と、取り立てて何もおきなかったようにも見える球団の一年が劇的に描かれる、こんな懐の深さが、映画の魅力ではないだろうか、などと思うのである。

「ジェロニモ」(原題は「Geronimo: An American Legend」。なぜかWikipedia日本語ページには記事がない。英語版はhttp://en.wikipedia.org/wiki/Geronimo:_An_American_Legend)は、上記のとおり見所は満載であるが、ジェイソン・パトリックのカリスマチックな演技は特筆もの。マット・デイモンはこのあと「戦火の勇気」だの「グッドウィル・ハンティング」だの「レインメーカー」だのに出ることになる。このイノセントな、だが芯の強さを感じさせる笑顔が、この映画でも欠かせない魅力となっていて、さすがはウォルター・ヒル監督、確かな演出力だ。

「マネーボール」は、野球場という、それだけでスペクタクルになってしまう被写体を、効果的に画面に配して、素晴らしいビジュアルとなっている。ジョナ・ヒル演じるピーターが初めてオークランド・コロシアムを訪れてスタジアム内の廊下を歩くところとか、ブラット・ピットがスタンドやフィールドを歩くシーンなど、絵画のように素晴らしく、「ああ、映画だなあ」と思わされる。できれば映画館で、しかも前の方で観たい映画。

蛇足ながら、「マネーボール」には、セイバー・メトリクス理論(一言で言えばデータ野球。アメリカより20年以上前からこれを実践していた野村克也監督は偉大だ・・・)でチーム改造に乗り出したアスレチックスが開幕から負けが込み、GMのビーンがバーか何かのテレビで試合を見ながら落ち込んでいるシーンで、我らがイチローがテレビでアップになる。2001年にメジャー移籍したイチローは、初年度から打ちまくって、新人王はもちろん首位打者・盗塁王も取ってMVPに輝くという偉業を達成。2001年はマリナーズも116勝46敗(勝率.716)で地区優勝しており、同じアメリカン・リーグ西地区に属するアスレチックスの視点で見れば、2002年シーズン開幕当初時点では、もっとも憎たらしい男と言っても過言ではないわけである。
ともかく、いつもは頼もしいイチローが、視点しだいでは不気味なアジアン・スラッガーに見えるというのも、この映画の面白いところである。

2011年11月17日木曜日

嫌煙論

 私はタバコのにおいをかぐのが嫌いだ。においも嫌いだが、それと同時に有害物質を吸わされているというのが実に腹立たしい。私に有害物質を吸わせ、不愉快な思いをさせている者は、単にそれが快感だから吸っているだけ。なぜそんなことが平気でできるのだろう。
大音響で音楽を鳴らせば、当然迷惑だからやめろとなる。ごみやトイレの悪臭を周囲に蔓延させれば怒られる。なぜタバコを吸う者だけは周りに迷惑をかけても許されると思うのだろう。

と考えてはたと気づいた。快感だから、と言ったが、実は中毒症状を収めるためにニコチンを補給しているだけなのだ。と考えれば、アルコールや麻薬や覚せい剤の中毒患者が周りのことなど気にしていられないのと同じで、周囲への気遣いなど吹っ飛んでしまっているのだろう。いや、それよりたちが悪い。全ての思考・理屈が「ここでタバコを吸っても大丈夫なはず」という方向に向けてでっち上げられるのだろう。
そう言えば、食後の一服をとがめられて、「車の排気ガスだって有害じゃないか」とのたまったスモーカーがいたなあ。レストランの中でエンジン回してる車があれば、私も納得しますがね。

2011年9月11日日曜日

正義感

「フランスでは出身や宗教、人種や民族を理由に公の場で人を侮辱することは法律で禁止されている」そうである。
http://www.cnn.co.jp/showbiz/30003934.html

日本のネットを見れば、民族差別的な表現が溢れている。これが日本に引用のような法律がないせいなのか、またフランスでネットの表現まで実際に取り締まられているのかは知らないが、民族差別的表現が国によっては即違法であるということも知っておいていいのではないだろうか。


別の記事。世界各国国民にアンケート調査したところ、「性的不祥事に対して最も厳しい国は日本であることが分かった。」
http://jp.reuters.com/article/mostViewedNews/idJPJAPAN-23109720110909

もっと違うところに正義感を使うべきではないか?


2011年9月6日火曜日

ぶどう

 今週の日曜の「アタック25」は20代女性大会。テレ東の大江アナ似の新婚ホヤホヤ主婦が圧倒的な強さで優勝したのだが、この人えらいカマトトで、絶対答えを知ってるくせに毎回「自信ないけど」みたいな感じで首を傾げながら語尾半上げで答えてた。全問答えるわけではないのだが、角などの大事なパネルではほとんどこの人が回答、正解。さすがにこれは故意ではないと思いますが、狙ってるんではないかと思うぐらいの仮面振りでした。コワいコワい。
そういえば、大江アナもちょっと同様の傾向がありますね。

あなたは、「ぴおーね、あきくいーん、ないあがら」が何の果物の銘柄か知っているか。

2011年7月27日水曜日

沈黙は蝶

 映画『パピヨン』を観た。
 不思議な雰囲気を持つ映画。逃亡したパピヨンが南米のどこか(コロンビア?ベネズエラ?)の海辺で出会う原住民たちとのシークエンスでは、言葉が一切話されない。
 それは、一見パラダイスのように見せながら、その実、脱走囚人が罰として入れられる、一切の言葉の禁じられた独房とパラレルなのだ。

2011年7月19日火曜日

Is this the world we created?

 電車のシートにコンビニか何かで売ってるカレーライスを乗せて食ってる小学生を叱りつけたら、途中の駅で降りて、ドアが閉まってから俺の写真を撮りやがった。嫌なガキだなー。大人の一人として、こういうガキが生まれたことに俺にも責任の一旦があるのだろうか。

2011年7月12日火曜日

リアル?

 映画『テンペスト』を観た。
これ、私には皆目理解できません。

1つ言えることは、シェークスピアの戯曲のセリフを映画でそのまま読み上げると、全く感情移入できないし、感情の変化も全く説得力を持たない、ということ。まあ、作った方も感情移入して欲しいわけじゃないんだろうけどさ、多分。

数週間前に見たスピルバーグの『激突!』が、主人公(というか、ほぼ唯一の登場人物ですが)の感情の動きをいかに見せるか、という映画だったのと対照的だった。

と言いつつ、何かが気になってシェークスピアの原作を買ってみたりする私なのであった。

ところで、英語の教材でこの映画を観た二人の男女が英語でトークする、というのがありまして、その中で、両性具有的に描かれるエアリアルという妖精の胸が、シーンによってちょっと膨らんでる(両性具有ならおっぱいでしょ、というのは安易な気もする)のを男性が指摘すると、女性の方は「気づかなかった」って言っていました。これが男女の目線の差というものでしょうか。

2011年6月17日金曜日

NHK全体のケイコーなのか?

男女それぞれの性に関する事柄に非対称的な言語表現を用いるのは、基本的に性差別的表現と言える。男と女の間に何らかの違いの存在することを暗に主張しているからである。特に、男性を姓で、女性を名前で呼ぶのは、男性が一族の代表であり、女性はその庇護・支配の下にある一メンバーに過ぎないという思想の現れであって、明らかに女性差別である。

NHKEテレに「ニュースで英会話」という番組がある。毎週NHKの英語放送で流されたニュースを1つ取り上げ、そこに出てくる英語を利用して英会話を学ぶという番組なのだが、今週のニュースはペルー大統領選についてであった。
ひどく気になったのが、番組のパーソナリティー4名のうち3名(英語解説のメイン(女性[←但し2回に1回は男性])・進行役のアシスタント(女性)・ニュースの背景を説明する解説員(男性)。ちなみにもう一人は発音要員のアメリカ人(男性))が、大統領選に敗れた方の候補者ケイコ・フジモリ氏(元ペルー大統領アルベルト・フジモリ氏の娘)を「ケイコ氏」・「ケイコさん」とファーストネームのみで連呼していたこと。ちなみに今回のタイトルは、「ペルー大統領選 ケイコ氏惜敗」
NHKでこんなアンチPCな言葉遣いしていいの?

「ケイコさん呼ばわりしたのは決して差別でなく、パパ・フジモリと区別するためだ」という反論があるかもしれないが、それならパパの方も「アルベルトさん」と呼ぶべきではないか。大統領選候補者でペルーの野党党首なのが娘、元大統領で今は獄中にいるのがパパである。まともに文脈を読める人なら「フジモリ」だけでどっちのことを言っているかわかるはずである。その証拠に、教材となった英語版ニュースの方では、キャスターは、1回フルネームで「ケイコ・フジモリ」と呼んだ後は、「フジモリ」か「she」としか言っていない。日本語を話す人は英語を話す人よりバカだとでも言うのか?

特に、全編を通して娘の方を「ケイコさん」呼ばわりしていたのが、60歳前後の解説委員の男性。こいつは、娘のプロフィール紹介の際には「あのフジモリ元大統領のお嬢さん」と紹介していた。これがいかにおかしいかは、「お嬢さん」と言う語の男性版が「お坊ちゃん」であることを想起すればすぐわかるだろう。「ジョージ・W・ブッシュ前大統領は、ブッシュ元大統領のお坊ちゃんです」とテレビで言う人がいるだろうか?のみならず、「お嬢さん」は「娘さん」に比べ、明らかに「世間知らず」「半人前」というニュアンスがある。社会的に期待される行動を取れない若い女性を「お嬢さんだからしょうがない」などと言う、あれである。

もう一人、ずっと「ケイコさん」と言っていたのがアシスタントの若い女性。セミロングの髪をふんわり流して、透け素材の袖の小さなドット柄(白地に黒)のブラウスを着て高い声で解説員に「なぜ○○なんですか」と教えを乞い、真剣な顔でフンフンとうなずきながら爺さんの愚にもつかない解説を微笑みつつ聞き、最後に「なるほど」で引き取るこの女。こういうのを「女性の敵」というのではないだろうか。

そもそも、私はこの、進行担当のアシスタントが女性で、その人にありがたい教えを垂れるのが年配の男性(安藤優子と木村太郎も全く同じ関係)、そして語学の先生が女性というこの番組の人員構成自体、いかにもステレオタイプな性差別意識の表れと以前から思っていた。そういう意味では、上記のような今週の放送の問題点は、やっぱりなという感じである。

女性地位向上団体みたいのがクレームつけたりしないのだろうか。(フェミニズムももう終わったとか言われたりもしているから、そういう元気な団体もなくなってしまったのだろうか。)

2011年6月12日日曜日

これが世間だよ

 言い忘れた。
『もしドラ』上映終了後、大学生くらいのお兄ちゃん二人組みが、
「『みなみさん』とか言ってっからよ、そりゃおめえだろって笑っちったよ」
と言ってました。
言うまでもなく、峯岸みなみが、「川島みなみ」(キャスト:前田敦子)に呼びかけるシーンについての発言です。
それがこの映画観て第一の感想か。

「これが世間だよ」(有吉弘行)

みなみは感動するのが仕事だった

映画『もしドラ』(「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」)を観た。
とてもよくできた映画で、クライマックスはもちろん、前半もサクサクとストーリーが展開していく様は見事だった。映画というのは必ず中だるみするもの(ナイト・シャラマン)であるからして、ここをうまく突破するのは大変難しいことである。
主演の前田敦子の演技も大したもので、最初の5分位であまりのうまさに「おおっ」となる。『マジすか学園』などと比べると(前田の演技はAKB全体の中では上の方だと思うが)格段に良い。監督の演出力の確かさをそこにみた。(とは言え峯岸みなみの方は若干苦しい。『マジすか学園2』ではそんなに悪くないように思えたが・・・。)心に闇を抱えたみなみ役は、内に秘めたタイプのあっちゃんによく合っている。
野球ムービーということで、野球シーンのリアリティーも重要なのだが、まあ『メジャーリーグ』シリーズレベルを求めるのは無理と言うものだろう。『ルーキーズ』よりはましであったとは言っておきたい。そもそも、野球選手のリアル感は、単に投打のフォームだけでなく、選手の肉体(特に尻のでかさ。他に身長・肩幅・日焼けなど)、さらに何もしていない時の選手の所作(グローブをひん曲げる・帽子のつばをひん曲げる・ユニフォームのズボンのすそを直すなど)に現れるものである。野球をやっているとグローブの形がすごく気になって、始終嵌めてないほうの手でギュウギュウやって形を直すんだよね。それと、注意したいのが、グローブを反対の手の拳でポンポンとやる、あれである。あれは、一目見るだけでやったことのある人かない人かが分かる。なにが違うんだろう・・・。
映画の話であった。ストーリー展開については、以前原作段階からの欠点について一点苦言を呈したところであるが、映画になってみると、あれがないとストーリーとして持たない(要するに2時間持たない)のだろうな、という気がする。とにかく、主人公は選手でなくマネージャーなのであるから、ラストの試合で大活躍というわけにはいかない(特にこの映画では。後述)。

映画を観るまで気づかなかった点を1つ。
主人公は、友人の夕紀から「野球部がもし(目標とした)甲子園への切符を手に入れられなくてもいいと思う。大事なのはプロセスだと思う」と言われて、「自分としては結果を大事にしたい」と反論し、後で猛烈に後悔する羽目になる。ドラッカーからすれば主人公が正しい、なぜ後悔するような展開にするのだろうか、と当初思っていたが、よく考えると、夕紀も正しいのである。
すなわち、マネジメントとは、明日のために今日決断することである。つまり、不確実な未来のために今なすべきことをなすのがマネジメントなのである(と、まさにドラッカーの『マネジメント』に書いてある)。最善を尽くしても、結果として失敗することはある。成功のリスク(可能性)に賭けて今最善を尽くすことがマネジメントにとって最も重要なことなのである。今、という一点でみて見れば、マネジメントとは、まさに結果に至るプロセスでしかありえないなのだ。実際、県予選の決勝、マネージャーのみなみに、(ベンチで選手の心の支えとなる、という点を除けば)何の出番もないのである。彼女は、ただ結果を見守り、感動する(まさにこの時みなみも野球部の『顧客』となっているのだ!)他に、何もすることはない。これが、この映画のストーリー中最もドラッカー的なところであり、よって下世話な世間に媚びない真摯・誠実なところであり、よってこの映画のもっとも感動的なところなのではないか、と思う。みなみが監督や選手に代わりなにかアクションを起こしてそれで試合に勝っていたりしたら、かなりのトホホ映画になっていたろう(それをやってしまったのが、信長も光秀も死の瞬間に主人公を思い出すという俺様(?)ドラマ『江~姫たちの戦国~』である)。
そう考えてみると、昨今政治家(マネジメント!)の資質として盛んに言われている「リーダーシップ」というものも、よく考えて使う必要がある。リーダーシップで物事を解決したと外部の者に一目瞭然分かるようなのは、真のリーダーシップとは言えないのだ。この映画のみなみのような活躍こそ、本当のリーダーシップなのである。
それにしても、映画中盤、監督(高校教師)の采配に憤慨する後輩マネージャーに対し、「監督をマネジメントできなかった私たちの責任」と言い切る高校生女子マネージャーみなみの潔さ!昨今の政治情勢に対し、「政治/与党/総理/マスコミが駄目だから」で済ませている人々は、これを観て猛省すべきではないだろうか。「この程度の国民にこの程度の政治」の語もある。

また話が飛んだが、みなみの反論「結果にこだわりたい」も間違いではない。実際のマネジメントにおいては、ある結果に向かって取り組みを行っている最中でも、時間の経過とともに状況は刻々と変わっていく。一度決めたことでも、状況に応じ日々て新たな対応をしていくことが必要なのである。つまり、「一度決めたことを一生懸命やってるんだからいいじゃん」では済まないのであり、全ての行動が目標の達成に最適なものとならなければならない。その意味ではやはり「結果にこだわる」ことが必要なのである。要するに、マネージャーの主観では結果思考で、それを外から見る者はプロセス思考で考えればよいのではないだろうか。

本作は200万部超のベストセラーの映画化であり、主演は国民的アイドルグループの中心人物、というわけで、それなりのヒットが期待されているわけであるが、読者=映画ヴューワー、ではなく、AKBファン=前田敦子ファン、でもない。実際、初期動員は若干苦しいようである。(まあそもそも映画は典型的な「アドベンチャービジネス」であるからして、どんな映画だろうと、必ず当たるという見込みなど全くないのであるが・・・)いい映画だと思うんですけどねえ。

なお、大泉洋は毎度ながら演技がうまい。原作・アニメでこの作品に触れていた人は、「ああ、監督はこういう人だったんだ」とあらためて納得したはず(理科室のシーンの演技など本当にうまい)。第二の竹中直人は君だ!!

2011年6月8日水曜日

もし天国に行ったなら

 東日本大震災に際して、多くの人が被災者への援助を行っている。
素晴らしいことだ。

テレンス・トレント・ダービーの歌でこういうのがあった。

「もしあんたらみんな天国に行ったなら
俺の母のために祈ってくれ
俺の父のために祈ってくれ
俺の兄弟たちのために祈ってくれ
でも 何よりも 俺のために祈りの言葉を捧げてくれ」
(Terence Trent D'Arby – If You All Get To Heaven)


皆さん、十分に幸せで、裕福なんでしょう。被災者に温かい援助の手を差し伸べて下さい。
だが、私には、人のために尽くす余裕は、欠片もない・・・。

2011年6月5日日曜日

ふと

 私は夜の街を歩くのが好きである。金曜日も3時間歩いた。なんか肥満解消に効果がありそうな気がする。(気がするだけだが。)

街を歩いていると、占い師がよくいるよね。

あれって、観てもらうといくらくらいかかるんだろう?

今日「20歳のときに知っておきたかったこと」を読んで、そんなことがふと気になった。


なお、法令用語では、「時」=ある時点、「とき」=場合、

という厳密な使い分けがある。ここでは「時」とすべきである(が、本のタイトルだから、いいか)。

Material Man

 私は物欲の塊だ。物を買うためなら死んでもいい。それは大げさか。
でも、こんなに買う必要はないと思う。
やはり心に何か満たされないものがあるのだろうか。(そりゃあるね)

幸せってなんだっけ。

ハック髪

gmailがハックされたとか。
大丈夫かな?

2011年5月15日日曜日

サタデーイブニング

 このブログの書き込み時刻を見れば分かるとおり、私は土曜日は遅くまで起きている性質である。よって、日曜朝のテレビ番組など観ない。のだが、先週は故あって「サンデーモーニング」なる番組を観る羽目になった。のだが、驚いたことに、(いや、驚くようなことではないのか・・・)前にこのブログでそのインチキ江戸賛美・現代日本批判を暴いた(と私が勝手に思っている)田中優子先生がコメンテーターとして出ていた!世も末ですな。まあ、この番組では他にも、野球解説者が、わかりもしないサッカーやスケートについて偉そうに一言述べたり、公共の電波を使って漫画家に倒閣発言させたりしてた(これが放送法の求める公平な放送なのだろうか)し、そういうゲス番組だから仕方ないと言ってしまえばそれまでであるが。
田中優子氏は、なんか、日本政府が外国の新聞に被災地支援への謝意を述べた広告を出した際、台湾に出さなかったことに「憤りを感じる」とかなんとか言っていた。私から見ると、財政赤字がこんなに膨らんでんのに、広告費なんかで金の無駄遣いするなよ、という感じである(特に、台湾の新聞は党派性が強く、一紙のみ出すというわけにはいかないのだとか。中田宏ブログより)が、田中氏の世代の人(1952年生まれだというから59歳か)の人は政府には幾らでも金があると思っている人が多いようである。

なお、日本政府が感謝広告を出したのは、

The Wall Street Journal、The International Herald Tribune(米)、
Financial Times(英)、
Le Figaro(仏)、
人民日報(中)、
Kommersant(露)、
朝鮮日報(韓)。

世界でもっとも読まれている米紙が2紙入っているのを除けば、異彩を放っているのは朝鮮日報であろう。それ以外は、全て国連の公用語である。他に公用語であるスペイン語、アラビア語紙が入っていないのは、どの国の新聞に出せばいいか分からなかったからであろうか。

2011年5月14日土曜日

癒し

 癒しとは、
篠田麻里子のDVDを観ることである。

2011年5月6日金曜日

だけどそのせいでみなみは気付いた

  「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」アニメ版第9話を観た。

(以下ネタばれあり。)












しばらく前の回から嫌な予感がしていたが、登場人物の一人が死んでしまった。
Wikipediaで見る限り、原作でも同じストーリー展開らしい。
ドラッカーの著作紹介小説/アニメドラマでも、人が死ぬ必要があるのだろうか。

原作は電子書籍を含めれば250万部を超えているというが、こういうあざとい(、と言わせてもらう)ストーリー展開も数字に貢献しているのだろう。

 「鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンの無いことと、それから一人も人が死なないことだ。」 村上春樹 『風の歌を聴け』

川島みなみも、愛する人の死を経て成長とかしてしまうのだろうか。それとも、せめてドラッカーの思想紹介の前振りくらいにはなってくれるのだろうか。


「心ない詞(うた)ばかり流れては消えてく  どこまで単純な人達
何もかも全てが僕は嫌になった 」 sads 「TOKYO」

2011年5月4日水曜日

マケマー

朝まで生テレビ3月25日の勝間和代氏の発言:
「そういう風に、放射性物質が、多分、実際よりもかなり怖いと思われていることに問題があるんではないかと思うんです。
・・・例えばチェルノブイリの問題というのは、例えばチェルノブイリで何が顕著に上がったかというと、小児の甲状腺がんは確かに顕著に上がったんですよ、10倍ぐらいになったんですが、それ以外の病気というのは、顕著に増えた例というのは、いろいろ研究しているんですけど、なかなか、正直言ってクリアには見えてこない。また今回の原子力の問題についても、じゃあ死者が出ましたかということについて、津波の死者に比べて全然、これ比べていいのかどうか分かりませんけれども、やはりその、何ていうんでしょう、報道のされ具合と、死者の多さというのが、バランスが悪いと考えています。」

以下、ネット上いろいろなところで批判されていることですが。

・放射性物質が実際には思っているほど怖くないというが、そうすると例えば福島第一原発の周辺住民の避難も不要という趣旨だろうか?チェルノブイリの原発のそばは立ち入り禁止になっているわけだが、そういうのも不要という趣旨だろうか?ロシアが放射性廃棄物を日本海に投棄した際、日本は抗議したのだが、それも間違いということだろうか?もっと言えば、原発が爆発しても全然怖くないということだろうか?(後ろのチェルノブイリのくだりを聞くと、そういう風にも聴こえるのだが)
おそらくこれらに対しては、「『実際よりもかなり』怖いと思われてると言っているだけ、つまり、思っているほど怖くない、というだけで、全く怖くないとは言っていない」と答えるのだろう。
では、どの程度「怖くない」のか。半径30kmの人が家に1ヶ月以上帰れないとか、放射線量が高く出荷停止になった野菜や魚が出ていることとか、IAEAの定める基準(年間0・01ミリシーベルト以上の放射線を出せば放射性廃棄物として扱う)をはるかに超える放射線を出す廃棄物(瓦礫。1mはなれたところから毎時(!)1~2ミリシーベルト出ている)の処分の目処が立たない(引用元)とか、そういうのは別に怖くないという趣旨だろうか。それはおかしいだろう。
まさかとは思うが、福島-東京間くらい原発と離れていれば怖くないという趣旨?福島にも人は住んでるんだぞ。

・その他の病気が本当に増えていないかどうかはともかくとしても(*)、小児の甲状腺がんが増えただけで十分問題だろう。

・放射線による身体への影響として主に心配されているのは、浴びて即死するというようなケース(それももちろんあるが)というよりは、染色体の損傷を通じてガンを引き起こすというケースについてである(特に放射性物質を摂取したことによる内部被爆の問題である)。よって現時点で死者が出ていないから問題ないということにはならない。「比べていいのか分からない」というが、比べていいはずがない。
また、CNNなど海外メディアも連日福島第一原発の件をニュースで取り上げており、日本のマスコミの報道姿勢のみが問題というわけではない。

(*)実際には、研究によればチェルノブイリでは小児甲状腺がん以外増えていない、というのは、虚偽に近い。がんの発症には、一定の期間がかかるからである。以下Wikipediaチェルノブイリ原子力発電所事故より。

これまでのところ白血病の識別できる増加は無いが、過去の被曝者の健康調査の結果、白血病は被曝から発病まで平均12年、固形癌については平均20 - 25年以上かかることが分かっている[11]。このことから、白血病および固形癌が通常に比べてどれだけ増加するのかは継続的な調査によって判明すると予想される。

ちなみに、事故直後の予想は以下の通りである。同じくWikipediaチェルノブイリ原子力発電所事故より。

1986年8月のウィーンでプレスとオブザーバーなしで行われたIAEA非公開会議で、ソ連側の事故処理責任者ヴァシリー・レガソフ(英語)は、当時放射線医学の根拠とされていた唯一のサンプル調査であった広島原爆での結果から、4万人が癌で死亡するという推計を発表した。しかし、広島での原爆から試算した理論上の数字に過ぎないとして会議では4,000人と結論され、IAEAの公式見解となっており、2005年にも同じ数字が公式発表された。しかし、癌、白血病患者数の因果関係を判定するのは困難であり、精神的ストレスが主な原因だと主張する専門家もいる。このフォーラムの報告では、約4,000人の小児甲状腺癌患者が発生し、そのうち9人が死亡している。また、癌死亡者数の見積もりは調査機関によっても変動し、世界保健機関 (WHO) は汚染地域住民に対する5,000件を加えた9,000件[4]、国際がん研究機関 (IARC) は、ヨーロッパ諸国全体(40ヶ国)の住民も含め、1万6,000件[5]と見積もっている。
なお、冒頭で引用していないが、勝間氏発言のあと田原総一郎氏が「チェルノブイリの原発事故が起きた時には、・・・・・新聞や何かは、5万人6万人死んでるとか、大変なことになってる、(と言っていたが)それが死んでなかった、50人だった」と述べている。これはいつ時点の話なのか、(私が聞いた際は言葉遣いからはチェルノブイリ事故直後のことのように聞こえたが、)不明であり、いずれにせよ上記ウィキペディアの記述とは大きな齟齬がある。


さて、その後勝間氏は「原発事故に関する宣伝責任へのお詫びと、東京電力及び国への公開提案の開示」という文章を発表した。上記引用の無茶苦茶発言を取り消したのかと思いきや、

私が、事故後のコメントにおいて、過去のデータや科学的根拠ばかりを強調したあまり、多くの方々が感じている将来への不安や精神的なダメージやに対する配慮を欠くコメントをししまったこと、また、不愉快と思われる発言を行ったことについて、重ねて深くお詫び申し上げます。
とあり、間違いは言っていないが配慮を欠いた、という趣旨だったようである。(本当は「配慮は欠いたが内容は正しい」と言いたいのだろう。)上記の通り、問題は配慮云々ではなく、事実の評価が現実離れしている点なのだが。



さらに、責任転嫁しているところもある。
「また、もう一つの強い反省は、政府及び電力会社が組織内に包含するコンプライアンスの課題を理解していなかったことです。・・・東京電力による情報開示の遅れ、政府の指揮命令系統の混乱などは、有事であるにも関わらず、平時の「法令遵守」にこだわった結果として発生した人災です。このような、マネジメント上のリスクの顕在化が今回の事故の深刻化長期化を招いていることは否めません。・・・特に、初動における菅政権の対応には下記のような重大な問題がありました。
・冷却機能喪失に伴う燃料融溶リスクの過小評価と情報開示の遅れ
・燃料融溶に伴う水素爆発リスクの過小評価
・現場の混乱を助長した菅首相の現地視察
・SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)など気象データ開示の遅れ
・放射線量と健康への影響に関する不適切な情報開示」

勝間氏は原発の安全性・有用性のPRのためのCMに出演しており、原発の安全性自体に問題があったとのスタンスは避けたいのであろう。そのためか、今回の事故は政府・東電のマネジメントの問題であるといわんばかりである。
しかし、上記引用部に列記された要素のうち純粋に事故の深刻化・長期化に寄与した「人災」的要素は、大まかに言えば水素爆発リスクの過小評価(弁開放の遅れ)くらいである。例えば、情報開示が遅かったとして、それで原発の状態が変わるわけではない。やはり今回の事故は、基本的には技術・設計・施設上の問題(立地・非常用電源破損のリスク分散失敗・燃料棒保管プールの位置etc.)であろう。(厳密に言えば、10km圏内の住民が批難範囲の拡大で何度も避難場所を移ったというような、政権側の判断が招いた深刻化の要素もないでないが、まあ、最初の退避命令で、将来の危険拡大も踏まえたぴったりの区域に退避命令を出せというのも酷な話であろう。)

やはり、電力業界から金を貰ってしまうと、シンパになってしまうんだな。


全然関係ありませんが、私東電に知り合いがおりまして、今回の事件が起きるはるか前、「原発、安全ですよ」と言ってました。「聞いてないし」と思った記憶があります。でも、とっても頭のいい方でしたよ。まあ日本を代表する大企業ですから、当たり前ですけど。







2011年4月17日日曜日

二十歳過ぎてもただものでなく

 エリック・ゲイルズは16歳で兄と作った「エリック・ゲイルズ・バンド」でデビュー、ファーストアルバムはそこそこヒットしたが、その後大きな成功は収めていない。

でもカッコいいと思います。

とりあえずyoutubeでこれでも見てください。
http://www.youtube.com/watch?v=CT70CfL8rMg&feature=youtube_gdata_player

馬齢を重ね?0年

 今クルーの「テレビでスペイン語」に今井翼が出ている。
スペインに留学していたそうで、うまい。
その上カッコいい。こんなにカッコよかったっけ。


男子三日会わざれば刮目して見よ。


呉の武将呂蒙が以前は無教養だったのに主君の孫権の忠告を受け入れて教養人になったのに驚いた魯粛に対し、当の呂蒙が言った。


 「士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし」



 私も勉強しないと・・・。

2011年4月4日月曜日

アキれた「民間企業」感覚

 日刊ゲンダイのHPに「『全国健保協会』つまらないお詫びハガキで壮大なムダ」
という記事が載っている。(2011年3月4日掲載)

http://gendai.net/articles/view/syakai/129211


「全国健康保険協会」というのは「民間企業のサラリーマンで勤務先が健康保険組合に加入していない人が入る組合」だそうだが、2月に出したハガキに「様」とか「御中」とかがついていなかったので、ミスを犯した大手印刷会社の費用でお詫びハガキを出しなおしたのだそうな。費用は、ゲンダイの試算では総額で1100万円以上となる見込みだそうだ。

この記事には多少(というか多々)問題がある。

まず

「アキれた金銭感覚」

という副題がついているのだが、費用は「大手印刷会社」が負担しているというのだから、金銭感覚は関係ないだろ。さらに、

どこが負担するにせよ、このコスト感覚が分からない。しゃくし定規の殿様感覚ではないか。」

と書かれているが、どこが負担するかで全然ちがう。

 「これって、フツーの会社でありえるだろうか。」

ってあるけど、全然ありえるよ!!!

他にも突っ込みどころは多い。

 「公益法人の問題を追及しているジャーナリストの北沢栄氏はこう言う。
『社会保障費は切迫しているのだから、お詫び状を出さず、その分の料金をディスカウントしてもらえばいいのです。1100万円は大きな金額です。そもそも仕事を丸投げして、チェックもしないからこんな事態に陥ったのです。民間企業では他社に委託しても社員がサンプル調査をするのが常識。机の上にふんぞり返っているから起きたトラブルで、業者イジメとしか見えません」

そういう、北沢氏の言うような金の出し方・受け取り方は、法人税法上、費用で落ちない・贈与となる、という問題をクリアできない。企業において、税金の問題はもっとも気を使うところである。この「北沢栄」という人は、企業で働いたことがないのだろう。なにが「民間企業では・・・常識」だよ。

だいたい、「大手印刷会社」って、○○社か××社じゃないの。目茶目茶金持ってるぞあいつらは。全然「業者」とか「イジメ」っていう感覚じゃないよ。それに1100万円分金出させるっていうなら、「大手印刷会社」の負担はおんなじじゃん。

おかしいのは、サンプル調査するのが常識、と言っておきながら、その直後に

「全国健康保険協会は社会保険庁が行っていた健康保険部門の合理化・効率化を目指して08年に設立された。何が合理化だと言いたくなる。」

と書いているところ。ギリギリ合理化したら、「サンプル調査」要員もいなくなるんじゃ?



開くの10時か

 映画「ディアボロス」で、勝つために手段を選ばない弁護士(キアヌ・リーブス)が、ヤギを生贄にして邪教の祈祷をしようとしてNew York City health codes(訳は衛生法だったかな?)で起訴された被告人を弁護してこう言った。

「彼がやったことは検察官から見れば異常かもしれない。それは割礼とか、ワインが血に変わったとかいう話ほど耳慣れたものではない。しかし、彼は信教の自由の下に認められた権利を行使したのであり、それを罰しようというのは憲法の保障する自由の侵害である。」(記憶で書いているので多少違うかもしれないが、まあ大体そんなような弁護だったと思う。)

後ほど、キアヌはこの弁護をアル・パチーノ演じる弁護士事務所長から批難される。邪教の動物虐待と聖書の話を同列に論じるなんて、何たる非倫理的行為、というわけだ。

しかし、信教の自由の建前から言えば、まさにキアヌの弁護の方こそが正しい。キリスト教が正しくてヤギを生贄に捧げる宗教が間違っている、とは限らない、全ての価値は相対的である、というのが信教の自由、さらに言えば、全ての自由権の前提だからである。

(無論、信教の自由の範囲内なら何をしてもいいというわけではない。より優先すべき価値を侵害していれば、その行為は制限され得る。)

このように、全ての価値は相対的であるという価値相対主義の考え方に立つとき、大事なのは手続きの保障ということになる。例えば、どの選択肢が正しいかは絶対的には決まらない、ということになると、じゃあ多数決で決めよう、ということになる。

何が言いたいかと言うと、リビアのことである。

Never met a god, I saw it's a goddess.

 DIVAISM(ディーバイズム)というフリーペーパーをご存知でしょうか。
私は知りませんでした。

私が入手したのは堀北真希が表紙の第二号。
何が言いたいのかというと、

神は日本にいた!

ということ。堀北真希様がとても美しいです。

このフリーペーパーは、銀座、赤坂、六本木、表参道だけで配布されているそうです。(どこでもらったっけなあ。記憶が定かでない・・・。)
とてもいい紙を使っていて、金取らなくて大丈夫か、という感じです。
ちなみに内容からすると、女性向けだと思います。おしゃれなレストランや映画情報とともに、髪型の記事とか、手料理の記事もある。

堀北真希って、女性に対する訴求力あるのかな。こういう雑誌の表紙になるということは、あるんでしょうね。

顔はロリ顔ですが、まじめな感じで肌の露出も多くないから、女に嫌われるタイプではないな。


2011年4月3日日曜日

AmeriKKKa's Least Wanted

今日DVDで「Vフォーヴェンデッタ」を観た。

それでふと思ったんだけど、今アメリカでは、オバマ大統領が経済的自由に対する規制を拡大する政策を採っていることに対し、非アメリカ的だとして反対する勢力が拡大している。のだが、彼らは、ジョージ・W・ブッシュ大統領が愛国者法とかを成立させて市民のプライバシーに対する政府の制限を拡大したり、米国外にある米軍基地でテロリストの容疑がかかった者に拷問したりしていた時、当時の政府の政策に反対したのだろうか。ブッシュ反対のティーパーティー運動などあったのか?

彼らの主張にはどうも矛盾があるようである。

アメリカ保守層の左派政策への嫌悪感や、もっと露骨に言ってしまえば黒人大統領に対する人種差別などがこの問題の背後に横たわっているのだろう。

ただ、それとは別に、この件には、日本とも共通する点がある。

自由権については、「二重の基準」を適用すべきというのが、日本憲法学界の通説と言ってよい。精神的自由権には「明白かつ現在の危険」とか「より制限的でない他の選び得る手段」などの基準により、自由権の制限に対する合憲性の判断は厳格に行うべきである一方、経済的自由権については、「合理性の基準」など、基本的に立法・行政の判断を尊重すべきである、というのである。

しかし、例えば法令違憲になった過去8件を見てみると、


1. 尊属殺人重罰規定     2. 薬事法距離制限規定     3. 衆議院議員定数配分規定
4. 衆議院議員定数配分規定 その2     5. 森林法共有林分割制限規定
6. 郵便法免責規定     7. 在外邦人の選挙権制限     8. 非嫡出子の国籍取得制限


平等権関係・・・1、3、4、7、8
経済的自由・・・2、5、6、

というわけで、経済的自由権は三度も違憲判決が出されたにもかかわらず、精神的自由権の制限は、違憲とされたことはない。

つまり、「白いアメリカ人」同様、経済的自由の侵害は厳しく批判するが、精神的自由の侵害には寛容なのだ。

思えば、精神的自由は、なくても生物としての人間は生きていけるものである。精神的自由は、強く抑制されれば、あきらめられてしまうことも多いのだ。
他方経済的自由は、金の問題である。侵害されて黙ってはいられないという人が多い。従って裁判所も一定の配慮をせざるを得ないのだ。

しかし、なくても生きていけるものだからこそ、それに命を掛ける姿は尊く、美しいのではないか。「Vフォーヴェンデッタ」にはそれが描かれている。

少なくともアメリカでは、「Vフォーヴェンデッタ」のような映画が作られている。日本で商業的意味でトップクラスの映画作家(「Vフォーヴェンデッタ」の製作は、「マトリックス」をヒットさせたウォシャウスキー兄弟)が、こんな映画を作れるだろうか。

なお、エンドロールで流れるストーンズの「Street Fighting Man」は、

Hey! think the time is right for a palace revolution
と革命を呼びかける(フランスはパリの五月革命への共感を示した歌と言われている)歌。


リライトはよくします

きーしーんだーおーもーいをー吐き出ーしたーいのはー  そんざーいのーしょーめーいがー他にーないーからー

そうかもしれないけど、やぱり、吐き出した言葉が軋んだ思いとなるのであり、吐き出した言葉が存在を、否、存在者を形作るのではないか。

そう思えないなら、その主体は生きてなどいないのだ。

2011年4月2日土曜日

お詫びはがき

 今日東京電力のお詫びはがきがポストに入ってた。
3月の電気使用量は、検針できなっかたからって言って、2月と同じにするとか言ってたんだよな。それはおかしいべ。謝ってもらわないと。

なになに、「お客さまには、電気ご使用量のお知らせ(検針票)をお送りする際、今回の取扱いに関するご説明が不足しておりましたことを深くお詫び申し上げます」だって?そこかよ!!だいたい、それは「お知らせ」とかいうはがきに書いてあったぞ。どこが不足なのか・・・。
あ、分かんなかった人が苦情電話でも掛けたのかな。馬鹿・・・。

2011年3月28日月曜日

ロケ地

 「大切なことはすべて君が教えてくれた」のロケ地・・・
http://loca.ash.jp/show/2011/d201101_taisetsuna.htm

「ランチの女王」の、緑色の鉄骨でできた橋は柳橋。
http://loca.ash.jp/info/2002/d200207_lunch.htm
の007

簡便

 日本は1つのチームじゃない。それは勘弁。

それから、そういうこと言っている間は代表は強くならないよ。

×8

原発の件、やっぱりヤバそうだな・・・
「大丈夫、大丈夫」って言われているのを丸々信じてたわけじゃないけど、でもそうならいいなと思ってた、その気持ちが、やっぱり冷静な判断力を失わせたのか。
いや、原発の安全度など、私には分からないのだ。
分かりはしないのに、選挙の際には推進派と反対派のどちらかを選ばされる。

それは、正統性の根拠であり、妥当性の担保ではあり得ない。

のみならず、それが民の意思であるというのもフィクションにすぎない・・・それはまさに表象と代行の問題なのだ。

2011年3月23日水曜日

Put your memories together and what have you got

 さっきテレビをザッピングしてたら、ドラゴンボールをやっていた。魔人ブウが出てたんだけど、結局魔人ブウ篇って、どうやって終わったんだろう?記憶がないなあ。

でもそんな目で見るもんじゃねえ

 他人の娘をそんな目で見るもんじゃねえよ (司馬遼太郎 『燃えよ剣』)

2011年3月21日月曜日

Customers, don't go away "Mad"

 地震、津波、親しい人の死、避難生活、停電、交通ダイヤの乱れ、生活必要物資の不足、それに追い討ちをかける原発事故、放射性物質拡散の恐怖。人々の心は千々に乱れている。それにしても、ACのCMにケチつけなくても。以下はデイリースポーツのHPの記事より抜粋。


http://www.daily.co.jp/gossip/article/2011/03/18/0003875908.shtml

・・・ACジャパン(旧公共広告機構)に抗議の電話が殺到している・・・

・・・民間企業が震災の影響でCMを自粛する中、大量に放送されている・・・

・・・穴埋め的な役割を果たしているにもかかわらず、とんだとばっちりを受けている。・・・

・・・同法人が国の管理下にないにもかかわらず「そんなCMを流すのに税金を使うなら、少しでも被災地に回せ」という勘違いの抗議や、中には「今から刃物を持って押しかけるぞ」という脅迫電話もかかってくるという・・・

・・・ACジャパンは、マナーやモラル向上などといった社会啓発的なCMを年間13本制作している。その制作費は約1200社の加盟社から得られる年会費で賄っており、今回大量にCMを放送しても、テレビ局との間で金銭的なやりとりは一切発生していない・・・同法人では、抗議を受け16日付でHPに謝罪文を掲載・・・

・・・災害用のCM6本の制作も決定。通常は月単位での制作期間を2、3日に短縮、来週にも新バージョンのCMを放送する。関係者は「今回の件で、悪いイメージだけひとり歩きしてしまうのが怖い。われわれの本当の姿を知ってほしい」と訴えていた。・・・

俗情と結託しがちなスポーツ新聞も、さすがにこの民の声は違うと思ったか、かなりACに同情的である。わざわざ電話を掛けて苦情を申し立てた人は、自分が思うような筋書きとは違う、同じCMが流れざるを得ない、何かやむをえない事情があるかもしれない、とは、全く思わないのだろうか。
まあ、民の声と言っても、もともとわざわざ苦情の電話をしてくるような人って、ホントの一般人とは違うことも多いのかもしれないが。ちなみに私は生まれてこの方、苦情電話などというものは一度も掛けたことがない。
それにしても、そんな中、ACがHPに謝罪文を掲載して平謝り、というところが泣ける。無理が通れば道理引っ込むとはこのことか。

ところで、ACのCMと書いたが、よく考えると、Cはcommercial(商業的)の頭文字であって、ACのあれには当てはまらないような気もする。まあ、広告フィルム、といったところか。



2011年3月14日月曜日

Walk, walk, walk...

 金曜日は東京中の交通機関がストップした。タクシーを捕まえられたラッキーな人を除けば、みな徒歩で帰宅したはずだ。私もその一人。あらためて、東京って広いなあ。

2011年3月11日金曜日

狂気揚々 残るな

 横綱審議委員会5月の夏場所を開催するよう協会に申し入れたらしい。


 会見した鶴田委員長は、再開を要求した理由を「八百長は『していない』と言われれば、それ以上、調べようがない。エンドレスの問題に関わっていては前に進めない。不心得者が何人かいたかもしれないが、まじめに取り組んでいる大部分の力士を犠牲にしてはいけない。多くの国民が再開を待望しており、(再開しなければ)職場放棄になる」と説明。「(調査は)幕引きし、5月場所開催に向けて全力を挙げてほしい」
毎日新聞 3月10日

相撲が好きなんですね。多くの国民は大相撲の早期再開などどうでもいいと思いますが、相撲好きの爺さんの脳内では、違う「世界」が開けているのでしょう。

この人、

 協会の大相撲新生委員会が再発防止策として掲げた、維持員が力士に敢闘精神があったか5段階評価する案に、「発想がくだらん。素人に分かるのか」と異議を唱えた。
(同上)

りもしたんだそうです。(「維持員」が何か知りたい人は ここ を見てください。)
爺さん、自分はただの新聞社の元社長(日経)の分際で横綱の昇進を審議しといて、「素人に分かるのか」とはどの口が言うのか??
自分だけは特別だと思ってるんでしょうね。自分を相対化して見ることが完全にできなくなってしまっている。こういう、脳が緩んでしまった人(高齢化社会で、身体だけはやたら元気)を早く日本のあらゆる組織の意思決定から排除していかないと、この国もおしまいだな。

そもそも、大相撲で八百長が常態化したのは、こういうわけの分からない、声だけはでかい取り巻きがよってたかって口出しするもんで、各方面の利害を整理するため、シナリオなしでことが運べなくなった、ということなのではないか?

2011年3月7日月曜日

When Dobus Cry

 AKBINGO!でAKB48のメンバーが一般人の女の子「現代女子の本音 語ルシス」という企画をやっていた。親友が何人いるか、とか、自分が好きか、とかいう質問に一人ずつ答えていくんだけど、一般の女の子が「自分はこうです」という、普通の切り口なのに対し、AKBの子は、ほとんどが「こうあるべき」という話に終始した(特に大島優子)。質問を取り違えているのでもなく、答えの前振りというわけでもない。「そうあるべき」という地点に、自分の気持ち自体を合わせていく、という、意志=自分、という考え方が身に染み付いているのだ。
やっぱりこういうところが違うんだな・・・。芸能活動をしていく中でこうなっていくのか、それともこういう人を選んでいるのか。

笑ったのは、大家志津香が「私なんか、ブスとかいっぱい言われてきたし」と言ったら、××界の松坂みたいなモンスターが「あれでブスだったら私何になるんですか?逆に失礼になりますよ」とか言ってたところ。全国ウン万人の視聴者が、「お前はド××だよ!!」と同時に叫んだことでしょう。(この人がネットで炎上してないことを祈る。怖くて確認できね。)

それにしても、大家しーちゃんみたいなカワイイ人をブス呼ばわりする人がいるのか、と思って、ちょっとネットを見てみると、AKB全体に「アンチ」がいて、悪口をやたら書き込んでる人がいるんですね。キモ・・・。

2011年3月3日木曜日

日没する国の天真爛漫

 北アフリカでは革命が起こっとって、CNNのトップニュースもカダフィー大佐だが、日本の読売新聞では、1面トップは携帯でカンニングした学生の使用キャリアがNTTドコモだった話。平和だ。現内閣は党内から造反が出て、予算関連法案の行方も定まらない。が、そんなことよりカンニングの方が大事なのか。
 さすがは「経済大国」。
はだしのゲンも、草葉の陰で喜んでいるだろう。立派な国になったものだ。

2011年3月1日火曜日

小人の学は携帯より入りてネットより出ず。

 京都大学他のネットカンニング事件、今日の朝日新聞と毎日新聞の一面トップ記事だった。

そんなビッグニュースか?

こいつらが大騒ぎする可能性は2つ。
・所詮朝日とか毎日とかっていうのは、学歴コンプレックスの塊どもの集団で、大学受験でカンニングとかいうと平静を保っていられない。

・「ネット社会の恐怖」的な話にでっち上げようとしている。

どっちにしてもしょうもない心性・・・ ゲスの勘ぐりなんでしょうかね?

Standing-still in the JP

「まきちゃんぐ」という人が今テレビに出ている。歌手らしい。
彼女は岡山市の出身なのだそうだが、
「どんな街?」と聞かれて、
「いい意味で保守的というか・・・」と答えていた。
1987年生まれだそうだから、23,24くらいか。
「いい意味で保守的」と言い放つ20代前半?
そういうこと言う人の音楽は、それだけは聴きたくないな。

2011年2月28日月曜日

月の出てない月夜の晩に

 いまや雑誌もデジタル化時代。雑誌の通信販売のサイト「fujisan.co.jp」にはこんな雑誌も。

「アナログ(analog)<デジタル> 」

ええっ?


ニュースタイルなオーディオ&ライフスタイルマガジン!
アナログ機器、管球アンプ、スピーカーといった、物として質感の高いオーディオ機器を中心に置くニュースタイルなオーディオ&ライフスタイル誌。あわせて通底する趣味の世界、カメラ、時計、楽器、酒などの奥深さもご案内する、“よりよい音楽を聴く、よりよい時間を楽しむ”を基本コンセプトにおきます。単に復古、レトロではなく、未来につながるアナログ感覚や、わかりやすさを追求する雑誌です。

ああ、そうか、そのアナログか。

2011年2月27日日曜日

Get out of my Typecast

 『恋とニュースのつくり方』を観た。
ワーキングウーマンの共感を狙ったラブコメディーで、コピーは

 「憧れの恋と仕事を手に入れた、テレビプロデューサーのベッキー
しかし、視聴率をUPしなければ、
恋も番組も打ち切りに――!?」
(パンフレットより)

もう大体内容は分かった、というあなた、実際ストーリーは基本的にあなたの予想を超えるものではありません。

それでもやっぱり面白かった。これぞハリウッドムービーというものでしょう。

ダイアン・キートン、ジェフ・ゴールドブラムも脇役で出ていますが、何より偏屈オヤジのニュースキャスター役でハリソン・フォードが脇で出ているというのが凄いところ。1本20億円とも言われる彼が、このこじんまりした映画で(D.キートン、J.ゴールドブラムともども)幾ら貰っているのか、興味深いところではあります。

ハリソン・フォードと言えば、巻き込まれた事件をタフ・アンド・クレバーに解決する正義漢(『エアフォース・ワン』ではついに大統領に!)、という役どころが染み付いていて、最早(超大物なのであまりはっきりとは言われないが)タイプキャストの一典型と言っても過言ではなかった彼だが、ここでは頑固爺いの役を声色まで変えて熱演しています。金につられて出たくない朝の情報番組にいやいやレギュラー出演するくだりなど、セルフ・パロディーとも言えましょう。
80~90年代は彼の時代だったとも言えるわけだが、その男らしさ、誠実さ、ユーモアのセンスとともに、こういう軽やかさこそが、彼の魅力なのだろう。

ハリソン・フォードがこんな映画に出ているなんて、すごい事だな。そうか、彼との丁々発止のやりとりで笑いを誘う情報番組のホステス役も、D.キートンぐらいじゃないと釣り合いが取れないんだな。

この映画で主人公のイケメン彼氏役で出ているパトリック・ウィルソン、どっかで見た顔だなと思っていたら、『ウォッチメン』のナイトアウル役の彼だった。痩せたね!!

さよなら

今回auについていろいろネットで調べた際、2008年当時のKDDIの常務さんのこんな言葉に接した。

打倒!"ソフトバンク"iPhone--ドコモ、auの戦略


「LISMOにも優位性がある」 高橋 誠 KDDI取締役執行役員常務
auの音楽配信サービスであるLISMO対応端末は稼働数1854万台と、幅広いユーザーにお使いいただいている。アイフォーンだと楽曲のダウンロードは無線LAN経由だが、LISMOは3Gのネットワークを使う。場所を選ばずにダウンロードできるし、最新楽曲数で優位性がある。音楽業界はアップルが大好きだが、LISMOも応援してくれている。最近でもサザンオールスターズの歴代楽曲の「着うたフル」を展開しているが、ものすごい人気で、これまで触れたことがない人が来ている。LISMOの課金は1曲420円だが、iTunesでは99セント。音楽の価値が4分の1と評価されているわけだ。権利者の価値を大事にしたいという思いが強いところは、LISMOのビジネスモデルを高く評価してくれるはずだ。

(下線引用者)

「権利者」の「価値」を守り抜くau、実に、実に立派なことだ。問題あるとすれば、誰から守るのか、私を含む消費者からである、という点・・・。私から見ると、劣位性、ってことになるね。amazon.jpのmp3ダウンロードも始まったことだし(1曲150円)、もうLISMOで音楽ファイルを買うこともないだろう。auは「権利者」の価値を勝手に「大事」にしててください。

You give, and you take away...

以前x-アプリ for LISMOが立ち上がらなくなってしまったことを書いたが、どうやっても立ち上がらないのでLISMOごとアンインストール・再インストールすることにした。
「データは残す」という選択肢で一度やってみたものの駄目。泣く泣くデータごと消去した。無論写真はコピー、メールは別のソフトで保存してだ。
まっさらな新ソフト、恐る恐る立ち上げてみると・・・、立ち上がった!

携帯に入れていた着うたフルは、8割方もう一度パソコンに取り込めた。取り込めなかったものにもう1回転送を掛けたところ、「転送できないコンテンツの詳細」という表示が出て、詳細というところを読むと、こうある。

パソコンで購入した楽曲や CD 取り込みを行った楽曲、IS シリーズで購入して IS シリーズ以外のケータイに転送している楽曲は取り込むことができません。

どうやら、パソコンから購入したファイルは駄目らしい。
(いや、コンテンツによっては、転送無限OKのものもあるらしい。)

それから、別に保存した写真・メールも、もともとのソフトで見られないのはやっぱりなんか悲しい。


2011年2月24日木曜日

GREED

 今日はオリバー・ストーン監督の『ウォール・ストリート』を観た。
面白かったけど、環境保護派対マネーゲームみたいないかにもなストレートさがストーン節か。逆にラストはいささか娯楽色が強く出た。『プラトーン』というよりは『エニイ・ギブン・サンデー』か。

主人公たちの行動の動機付けが弱い、というか、その理由でそこまでやる?的な部分がいくつかあり、脚本はもう少し練る余地があったのでは、という気もする。
ただ、高速で変化するNYの風景、やたらと激しい音とともに挟み込まれる地下鉄の車窓の光景などが何度も登場し、真に人の異常な行動を決定付けているのは、NYという都市のエネルギーなのだ、と言っているようにも見えた。

前作でベビーフェイス役だったチャーリー・シーンがワンシーン出ているが、もろ悪人面に変貌してしまったためか、役柄も堕落したっぽい感じで描かれていた。そうだろうなあ。

ジョシュ・ブローリンが好演。

毎度世知辛い話ですが

 お台場のAQUA CITYには、江戸時代末期にお台場が埋め立てられるのに要した費用は、今の金額で約520億円だとか。確か。
今の世の中、520億円じゃ、一部上場のそこそこの企業なら、株式の過半数がやっと買える程度かな。

なるほど、そうか資本主義の流儀はキツイものだね

 どんな部下であろうと、一たび上下の関係になったからにはとことん守り抜く上司がいる。
 かと言えば、部下という部下の陰口を叩いて組織内でどうにか貶めてやろうという上司もいる。
 前者には、高潔な人格か、または絶対の自信が必要である。あなたの仕事ぶりを見てきた部下は、あなたの最大のライバルになる可能性が、あなたを今の地位から蹴落とす可能性が、十二分にあるからだ。

 そこまで考えて仕事してないよというあなたは、よほど優れたかつ独創的な人事制度を持つ組織に勤めているか、本業の方もその程度にすぎない人か、どちらかである。

2011年2月22日火曜日

便りのないのはよい便り

 Saying ''No problem.'' is a problem.
 という文がNHKの「実践ビジネス英語」の2月号に載っている。
 Thank you. への返事として''No problem.''が若者の間で流行っているが、反発する人(どういう人か、まあ大体想像が付くけれども)もいるので、安易な使用は問題だ、という趣旨のようだ。

昔、鳩山由紀夫氏がまだ総理大臣になる前、彼の使う「・・させて頂く」をやたら批判している人がいた。どういう点が問題なのだろうか。
文化庁・文化審議会(壮大な名前だな)が出した「敬語の指針」平成19年2月2日には、

「『お・ご)……(さ)せていただく』といった敬語の形式は,基本的には,自分側が行うことを,ア)相手側又は第三者の許可を受けて行い,イ)そのことで恩恵を受けるという事実や気持ちのある場合に使われる。・・・
(『それでは,発表させていただきます』は、)ア)の条件がない場合には ,やや冗長な言い方になるため 「発表いたしま , 。す 」の方が簡潔に感じられるようである。」

とあり、第三者の許可を受けていないような場合または恩恵を受ける要素がない場合にも使うのは問題、ということのようである(少なくとも、全部が問題なのではない)。


この指針には、歴史考証や用例などは一切載っていないので、本当なのかうそなのか分からないが、中村明著『名文』には、こうある。

「地方によって表現の仕方の違う例はまだまだある。目だつものだけあげても、例えば、関西のデパートでは『包ませていただきます』と言うそうだが、東京のデパートではまだ『お包みいたします』と言う。」

ここでは『包ませていただきます』は『お包みいたします』と完全にパラレルになっていて、相手の許可の有無や恩恵の有無は関係ないようである。(なお、中村引用箇所は、方言について述べているのではない、と思う。地方により物事を言い表す際の発想が異なることを述べた箇所に書いてあるのだ(否定文を肯定する際に「No.」で始める英語と、「はい」で始める日本語の違い、という話も出てくる、と言えば分かりやすいだろうか)。)

言葉にこだわると、不可避的にどうでもいい話になっていくのも、世の常である。

2011年2月20日日曜日

今の御時勢、なめんなよ

『大切なことはすべて君が教えてくれた』第5話、三浦春馬扮する高校教師が、武井咲扮する高校生と寝ていないことが明らかになった。
この時代に大胆なストーリーだと思っていたが、そういうオチだったのか。

千原ジュニアも言ってたからなあ。
「今の御時勢、なめんなよ」

2011年2月18日金曜日

Technical Term

 業界用語、専門用語を使いたがる人は、器が小さい と、教育評論家の尾木直樹(尾木ママ)が言っていた。
 そんな器が小さい人に見られたくないと思って故意に専門用語を使いたがらないオレって・・・もっと小さい?

ホンマ?

 肉を食べる人は攻撃的な人が多く、そういう人が通風になる、と、環境評論家武田邦彦氏が言っていた。(通常肉を食べると通風になると言われているのと因果の流れが異なる点に注意。)
 それが本当かは分からないけど、スギ花粉の花粉症を無くすには、スギを全部切ってしまえばいい、というのはその通りだと思う。

This is the happiness.

 姪にチョコをもらった。この幸せ。

2011年2月17日木曜日

お、ミステイク

 Amazonで注文したものがどうも来ないと思ったら、クレジットカード情報の入力ミスだった。

 入れ直したから、そのうち来るだろう。

I'll never turn my back on Business Communication in Action

turn against  反対する、敵対する
turn around   好転させる
turn away     立ち去る
turn down   断る、拒絶する
turn in     提出する
turn off    脇道に入る
turn one's back on 無視する
turn out 出席する(for)
turn to 頼る
turn up     姿を現す

(実践ビジネス英語2011年2月号82ページより抜粋)

昨日今日と電車で暗記してたから、憶えたぞ。

2011年2月16日水曜日

無題

 昨日はすごい雪だったね。
 仕事仕事で疲れます。

 今日はもう寝よう。

2011年2月10日木曜日

ルール

 セックスをした場合、一応それはお互い秘密にするのが、暗黙のルールだ。
 しかし、この「ルール」は守られないことも多い。
 ドラマ『大切なことはすべて君が教えてくれた』では、初回冒頭でいきなり見知らぬ女性と一夜をともにしたことに気づき主人公は動転するが、それからわずか第3回までの間に、相手の女性(JK)は、主人公の婚約相手、行きつけの病院の看護士(婦)、自分の友達、にそれを伝えまくる。(友達には「好きな人と」としか言っていないのだが、ブログに「好きな人」のエピソードを堂々と書いているのですぐ誰だかわかってしまった。)
 ドラマだから、と言ってしまえばそれまでだが、これって割とリアルなんじゃないだろうか。
 昔、ビル・クリントン大統領の不倫疑惑が持ち上がった時、デニス・ロッドマンがこう言った。
「オレに一言言ってくれれば、もっと口の固い女の子を紹介したのに。」クリントンの「不適切な関係」の相手モニカ・ルインスキーは、知り合いの女性に電話で大統領との関係をペラペラしゃべってしまい、それが大統領の弾劾にまで結びついた。
 「恋愛にルールはない」
 セックスにもルールはない、んじゃないだろうか。
 

2011年2月8日火曜日

ワタベの光景

 『大切なことは君が教えてくれた』第2話で戸田恵梨香がウェディングドレスを試着する店は、ワタベウェディングだった。

鼻の下じゃないよ

イライラしがちな人は、イライラしたらすぐに、あらかじめ決めておいた動作をすることによって、イライラの元を忘れる、それが最良の方法なのだとか。イライラしたら耳とか引っ張るといいんだよ、と、さんまのほんまでっかTV!で池田清彦氏が言っていた。

down in a row

 『大切なことはすべて君が教えてくれた』、今日が4回目。初回から12.1%,11.6%,10.5%と3回連続で視聴率が下がっているね。やばいのか。1回目が若干重かったからかな?私は好きなんですが。

aura

 月曜日から『DOCUMENTARY of AKB48 to be continued』など観に行ってしまった。
 一応ドキュメンタリーと銘打ちつつ、インタヴューシーンは若干芝居がかっているところもあるが、秋葉原の劇場公演のところは想像以上にやけに生々しい。音声もラインを通さず劇場内のスピーカー音をそのままマイクで拾っているし、なにしろメンバーが後ろを向いた時の背中の肉とか、年長メンバーの若干の顔のテカリ具合とか、ドアップの顔の(これまた若干の)肌の荒れ具合とか、気取ったアイドルのテレビドキュメンタリーとは全く異なっていた。これが逆にハマっていて、よりメンバーも輝いて見えた。そんなところが被写体としてのAKBの魅力なんだろう。
 まあインタビューシーンも映画館の大画面であるからして、やはりいかに最近の大画面TVと言えども、ここまで美しさにはっきりと差は出ない。小嶋陽菜は完璧に綺麗。こじはるは内面の方もいつも突っ込んで表現されていて、この映画で得した口。
 そんな中、やはり後半に登場する前田敦子のオーラが一際異彩を放ってました。発言も彼女だけ自信溢れる語り口で、やっぱりAKBはあっちゃんなんだな、と感じた。チーム単位で見ても、チームBが名曲と言われる「初日」を歌うシーンもいいが、やっぱり後半に出てくるチームAはオーラが違った。
 それにしても、前田あっちゃんは東京タワー付近、麻里子様(彼女も綺麗に映っていました)は隅田川河口付近でイメージショットやインタビューなど撮影していて、東京在住者には見慣れた風景。そんな中、柏木由紀ちゃんは桜島をバックに、「灰だ」とか言ってて、それはそれで可愛かった。

 ひとつ残念だったのは、小野恵令奈の脱退について全く言及がなかったこと。このドキュメンタリーの映像は2009年の年末から2010年一杯(板野智美がソロ曲「Dear J」を歌っているシーンあり)かけて撮られたので、恵令奈ちゃんの脱退はまさにその間に起こったのだが、彼女の映像は登場するものの、それ以上の説明はなかった。彼女の脱退を掘り下げれば、AKB48運営サイドにとっては余り好ましくないエピソードなのかも知れないが、映画としては深いものになったと思う。岩井俊二(製作総指揮)ぐらいでは無理なんだろうな。深作とか大島渚クラスじゃないと。
 

2011年2月7日月曜日

接して知らず もうそんな年なのかもしれない

 今日「平成教育予備校」で、「長野県と接する海のない県」(4つ)という質問が出ていた。

 答えは
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岐阜・栃木・山梨と、埼玉。
埼玉っていうのが意外である。
埼玉県出身の人は皆知っているのだろうか。

2011年2月5日土曜日

推薦します

 そう言えば、『ノルウェイの森』緑役の水原希子さん(モデル、女優)はBigbangのG-Dragonと噂があるとか。

NHAr

 「バレンタイン・キッス」のPVに出てくる仲川遥香(AKB48。チームA)、可愛い。

ふざけて ばかりじゃ 馬鹿馬鹿しいだけ

 「映画秘宝」を読んだのは、前の日に町山智浩&柳下毅一郎の「ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判3」を読んだからなんだけど、このシリーズ、対談(漫才?)形式で読みやすいものの、何ていうか、読み終わった後、いつも空しくなる。時間の無駄というか。
 ああ、映画って、そんな見方もできるんだ、というような感動が全くない。
 FBBの2人が、映画の知識だけは豊富で(まあそれはいいことですが)、そのくせ独自の映画観みたいなものが全くないので、あら捜し、元ネタ探し、マニア向けジョークばかりとなる。これぞ悪い意味での「おたく」の典型。
 このシリーズを読むといつも思い出すのが、雑誌「Number」から出てた、サッカー名勝負のビデオ。86年W杯のフランスvsブラジル、同年W杯アルゼンチンvsイングランド、82年W杯のブラジルvsイタリア、などの名試合が、選手経験のないサッカー記者みたいののしょうもない解説により、汚される汚される。なまじ知識だけはあるが試合感覚みたいなものがないため、どうしても個々の選手の小ネタとか、内輪ウケ的なジョークに話が流れ、試合の流れのようなものは全くコメントできない。聞いててウザかった。にもかかわらず、NHKが生で放送してた際の解説者を批判してたりして・・・100万年早いんだよ。ほんと人って、我が身を振り返るのは難しいんだナ・・・。製作者もキモさが十分分かっていたのか、解説抜きでも再生できるようになってました。それに気づいた時、とってもうれしかったぞ!

 話が横にそれたが、ファビュラス・バーカー・・・の本も全く同じ。
 「昔の映画は1本見ると確実に成長したような気にさせてくれたもんだよ。」(317頁)とか言ってるけど、この本を作った者たちこそ、この本が読者をそういう気にさせてくれるか、よく考えるべきだろう。

閉じ と 開き

 今日「映画秘宝」の最新刊を読んだら、当然のごとく『キック・アス』が年間ベスト1映画に選ばれてた。
 はいはい。いかにもですね。

 一番面白かった記事は成海璃子の選ぶ年間映画ベスト10。見たらぶっ飛ぶ。さすが「スターリン」好きの18歳(注:今は2011年です。て言うか、80年代でもスターリン好きな18歳の女なんて日本に何人もいなかったはず。)

なおし

 ウィキペディアのナオミ・キャンベルのページは、日本語がめちゃくちゃだ。
 ほとんどがウィキペディア英語版のナオミのページの翻訳なので、誰か直してあげたら。

2011年1月30日日曜日

着々

 サッカーの試合中にガムを噛むのは集中力を高める、噛み合わせをよくするなどの効用があり、お勧めである。日本人としてヨーロッパで初めて成功したあの奥寺康彦選手(元)も、いつもガムを噛んでいた。
 日本でもサッカー人気が高まって、若いころにサッカーと全く縁のなかったような人もネットでサッカーについて語るようになった。でも、ガムを噛んでるのが何かよろしくないことのように書いてる人を見ると、嫌な気分になる。スポーツ新聞とかも、そういう記事を載せないんだ・・・

やっぱ持ってるナ、と

  おめでとう、日本代表!ありがとう!!
 オレも頑張るよ!!

2011年1月26日水曜日

KSK

 日本アジア杯で韓国に勝つ!!
 だが忘れてはいけない。
・守り切れず。残り15分でベタ引きするディフェンス力はなかった。センターバック2枚の能力が南アフリカW杯の日本代表に劣るのは明らか。
・本田拓人のKYプレー2連発。彼はもう当分代表に呼ぶべきでないだろう。
・所詮はPK勝ち。W杯でパラグアイにPK負けした時、みんな何て言った?「PKの勝敗は時の運」

 それにしても細貝は相変わらず攻めのセンスないなあ。このチームはセンターバックも攻撃センスゼロ。そこが岡崎好調・香川復調でもすっきり勝ちきれない理由だろう。

 まあそれでも、韓国に互角の戦いをしたことで、日本がやはりアジアトップの実力を持っていることが証明された。「この程度の調子で韓国(決して調子悪からず)に勝つか」という驚きは、確かにある。特にPKを取った時の圭祐の「持ってる」感は、彼の株を更に上げただろう。「ああ、やっぱりあそこでホンダを前向かしちゃ駄目なんだ」の声が、世界中のスカウトから漏れたことは間違いない。



と、その後ドイツにわたった細貝は、ヘルタ・ベルリンで攻撃の起点として同チームのオフェンスを操るほどの攻撃センスを身に着けていた!!!これはビックリ。

2011年1月24日月曜日

しりあがり、な春

 フジテレビ月曜9時の連続ドラマ『大切なことは全て君が教えてくれた』、AKB48篠田麻里子様が出演しているということで録画してみましたが、さすがは月9、美しいヴィジュアルも含め、今後の期待できる第1回だった。
 三浦春馬の二年目(?)教師もなかなかよかったんじゃない? 金八+「高校教師」のような第1回、ちょっと方向性はわからない感じだけど、まあそれはそれで今後どこに行くのか、興味深い感じ。
 戸田恵莉香って、デスノートの前編ではもろ大根だったけど、いつの間にか(少なくとも『流星の絆』以降)いい演技をするようになってますね。

 ウィキペディアによれば、

「初回視聴率は月9枠としては歴代最低となる12.1%(関東地区、ビデオリサーチ)と厳しい出だしとなり、それまでのワースト記録であった前クールの『流れ星』に引き続き2クール連続で15%割れとなった。また、月9ドラマで初回視聴率が2作連続で15%を下回るのは初めてとなる。」
とのこと、 
 おっと、上戸彩チャンの視聴率取れない神話は健在だったのね。『流れ星』はいいドラマだったけどな~(視聴率は尻上がりによくなっていったと聞いております)。

 『大切なことは全て君が教えてくれた』、生徒役の武井咲、広瀬アリスもとってもかわいいし、きっと今後視聴率は上がっていくことでしょう。観たほうがいいよ!!

 って、今日2回目か。録画してあるけど、今日はもう寝ないと。明日見るか。

白いアメリカの望むクラブ

 『ソーシャル・ネットワーク』を観た。感情が揺さぶられる傑作。映画冒頭のハーバードの夜の景色は、デジタル撮影なのか、ベッタリライトアップされておらず、とても美しい、絵画のようなシーンでした。デビッド・フィンチャーは、『ベンジャミン・バトン』もデジタル撮影してたはずだが、同作冒頭にあった夜のシーンはもっと普通だった。(ちなみに『ベンジャミン・バトン』中盤、父親を海辺に連れ出すシークエンスの、車を降りた瞬間のカット、あれこそデジタル撮影でのみ可能なライティングというべきだろう。)これが技術の進歩というものだろうか。
 余談だが、この映画で描かれているハーバードの階級社会には驚かされた。
 アメリカって、こういう国なんだなあ。やっぱり、アメリカを映画とハリウッドだけ通して見るのは、危険だ。金髪碧眼大柄の、もろアングロ・サクソンの上流社会出身者ウィンクルボス兄弟を演じるアーミー・ハーマーは、今の映画界では大物になれるはずもなく、パンフレットで紹介すらされていない。しかしアメリカ社会を動かしているのは、おそらくこういう人たちなんだろう。




と思ったら、その後「ローン・レンジャー」の主役にもなったアーミー・ハマーであった。

2011年1月17日月曜日

Man, I don't know any Bachs. You don't know the guy who shot the Rep., either.

 バッハの曲なんてほとんど知らないけど、彼の「G線上のアリア」と言えば、映画『コラテラル』の序盤に出てくるジャズバージョン(「Air」  Klazz Brothers & Cuba Percussion演奏)が素晴らしいです。『コラテラル』のサントラに入っています。Please check it out!!

G線上のAir

 1月9日にアリゾナ州ツーソンで起こった銃撃事件について、今日のCNNで、犯人がG-stringを穿いた写真を犯行前に撮っていたとかなんとかいうニュースをやっていた。
 何じゃそりゃ、東スポか、というニュースのように思えたが、どうやらこの事件を単なる犯人の狂気が引き起こした犯罪と見るか、大衆迎合的な一部政治家の過激な政治キャンペーンが影響を与えていると見るかで、アメリカの世論が割れていて、犯人が、まあ平たく言えば「変態」だったかどうかが重要な問題となっているようである。
 CNNの用意した専門家は「裁判への影響はない」と言っていた。

 日本にも、大衆の劣情に訴えかけて世の中をかき回そうとするお調子者のしょうもない政治家が少なからずいる。逆にそういうのを潔しとしない政治家は、低い評価しか受けてこなかったように思う。まあ、暗ければいいってものではないけどね。

・・・なりに ちゅう

 前から不思議なのだが、セルジオ越後の解説ってそんなに鋭いのか。1試合中同じことしか言ってないことも多いし。
 だいたいこの人25年くらいは解説者やってるはずなんだけど、いつまでたっても日本語が間違っている。この人のよくあるセリフに「プロなんだから」というのがあるが、それを聞くたび「お前はしゃべりのプロだろ。何年ガイジンの立場に甘えてんだよ」と思う。

2011年1月15日土曜日

Manga-beating has been around for 10,000 years

 映画『キック・アス』の中で、コミックブック初心者のヒロインの女の子ケイティが、字幕によれば「スコット・ピルグリムと少女漫画を読んでみたけど」というシーンがあった。
 その時、「少女漫画」が英語でも「sho-jo ・・・」というふうに聞こえるんです。
 そこでネットでいろいろ調べてみると、「Scott Pilgrim and Shojo Beat」と言ってるらしい。
Shojo Beatというのは、集英社と小学館がJVで作ったアメリカの会社VIZ MANGA社がアメリカで発行していた漫画雑誌。
「Shojo Beat(ショウジョ・ビート)はVIZ Mediaが北米で発行していた月刊少女漫画誌。2005年6月に創刊され、それまで英語圏に存在しなかった少女漫画市場の開拓に寄与したが、2009年6月に発売された7月号で休刊となった。」(ウィキペディアより)。

 『キック・アス』の全米公開は2010年4月16日なので、公開時には既にShojo Beatは休刊してたんですね。

 単なるヒーロー映画でなく、こういうマニアックな情報(作中にはガンオタク垂涎の銃コレクションも登場)が、復讐譚や少年の成長などの普遍的なテーマとともに描かれているところが、この映画のヒットした秘密の1つなのではないだろうか。

 ちなみに、Wikipediaによれば、Shōjo mangaも英語になっているようです。(ここ参照)

 ウィキペディアによれば、この映画に「ロジャー・エバートは4つ星満点で1つ星を与え、本作が「道徳的にふとどきである」と批判した」そうだ。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%B9_(%E6%98%A0%E7%94%BB))

 道徳的にふとどき、とは、morally reprehensible。

 引用元のエバートの記事を読んでみると、11歳の少女が人を無情に撃ち殺すところが気に入らない、ようである。
 例えば、音楽も引用されていた『夕日のガンマン』なんかも無情に人を撃ち殺す主人公が、最後に死体を荷馬車に山積みにして去っていくわけだが、エバートは夕日のガンマンも星ひとつなのだろうか。それとも子供の場合だけ「morally reprehensible」なのだろうか。なぜだろう。子供が純真で人殺しができないことが倫理的なのだろうか。

 エバートは、映画の最初の方はコメディー映画としていい出来だと思っていたので、その後ダークになってきて悲しくなった、と書いている。私に言わせれば、そんな浅い批評をする人が「アメリカで最も有名で、信頼される映画評論家」(ウィキペディアのエバートの項)という事実こそ悲しい。

I'm ready, ready for the big shot baby

 昨日また『キック・アス』を観に行った。今回も面白かった。

 この映画、やっぱりBテイストのような気がする。登場するスーパーヒーローの一人「ビッグ・ダディ」のコスチュームがバットマンもどきだからっていうのもあるんじゃないかな。『ウォッチメン』も、予告編を観た時にB級だなーと思ったんですが、それは「ナイトアウル」のコスチュームがバットマン風に見えたから。まがい物っぽい感じに見えたんですね。

 この映画では、「ビッグ・ダディ」が変身する時に鏡を見ながら目の周りを塗っていくというシーンがあった。ヒーローもので、こういうシーンが描かれたことがかつてあっただろうか。
 その後、「キック・アス」のデイブが、殴られた顔を洗おうとして、鏡の中の自分の顔を覗き込むシーンがある。その後のシーンでは、顔の血がそのままで、洗ってきれいにした様子が見えない。
 思えばビッグ・ダディは、ヒーローというよりは、罠に嵌められ、妻を奪われた復讐者であった。かたやいじめられっ子のデイブ。彼らがスーパーヒーローになるためには、自らの顔を覗き込み、顔に何かを塗る儀式が必要だったのかもしれない。怖いもの知らずの「ヒット・ガール」にそんなシーンは全くないのでした。

 映画館から出る時に、観客の女性の一人が「あのお父さん、なんか見たことある。」と言っていました。ニコラス・ケイジ知らないとは!それともやっぱり、まさかこの映画に超大物が出てるとは思わなかったのかな。『ザ・ロック』『コン・エアー』『フェイス・オフ』『ナショナル・トレジャー』のニッキーですよ。って、こりゃみんなB級か。

 個人的に好きなのは、『ランブル・フィッシュ』のスモーキーです。

2011年1月14日金曜日

My only super power was being invisible to girls.

 『キック・アス』を観た。
 しまった!!こんな面白いとは知らなかった。後もう2回は観れる!! と思ったら、行った映画館では明日で終わりだって。明日も観に行こう!!

 アクションシーンの映像がすごいリアル。だから冷静に考えればそんなことが?っていうシーンでもえらく感情移入してしまう!!
 脇役でニコラス・ケイジによく似た役者が出てるなあ、と思ったら御大本人でした。ひょっとして、これ大作なのかな?
 町山智浩が推してるから、マイナー映画だとばっかり思ってたけど。

 今確認したところ、町山氏は推したのではなく(まあ推してるのかもしれないが)字幕を監修したとある。ああ、そういえば冒頭そんな字幕表示が出たような気もするな。

 悪役フランク・ダミーコ役を演じてるマーク・ストロングは、ワールド・オブ・ライズでヨルダンの切れ者情報局長を素晴らしい演技で演じていたあの俳優。ちなみにこれも今公開中の『ロビン・フッド』でも悪役を演じていますが、同じ悪役でも全く違う悪人を演じ分けてます。こういうところに役者としての幅が見えるね。

 エンニオ・モリコーネ作曲の夕日のガンマンのテーマが流れる中、ツインテールにして白のブラウス、チェックのミニプリーツスカートに身を包んだ金髪娘クロエ・グレース・モレッツ(撮影当時11歳だとか)が残酷ともいえるガンアクションを決める!!誰に向けて作ってるんだこの映画、と頭の片隅で考えつつも、思わず引き込まれます。ちなみにPG15!

 現在のクロエちゃん(13歳だとか)の動画もアップされてます(ここ)。当たり前だけど、とっても魅力的ですね。

 とにかく、町山氏と趣味の合う人も合わない人も、必見のグレートムービーだ。

 なお、Part2の製作も決まっているらしい。この作品は元々マシュー・ヴォーン監督の持込企画っぽいので、次回も多分彼が監督するだろうから、今から期待が持てるね。

 ところで、パンフレットによれば、この映画はヒット・ガール(クロエ・グレース・モレッツ)はいわばハン・ソロで、ルーク・スカイウォーカーにあたる主役はスーパー・ヒーローワナビーのオタク、デイヴ・リゼウスキ(アーロン・ジョンソン)。ソロ船長じゃなくて田舎の少年ルーク・スカイウォーカーが主役だからこそ、『スターウォーズ』はあんなにヒットしたのだ、同様に、オタクのデイブが主役なのがいいのだ、という。私、どちらかと言うとハン・ソロ派なんですが・・・、あなたはどうですか?

2011年1月13日木曜日

タツヒ

 ウィキペディアで新交通システムの記事を見てる時に、立川に新交通システムなかったっけ?と思ったのだが、今検索してみると、「多摩モノレール」のことだった。

 あれはモノレールだったんだ!!

 知らなかった。

 ところで、多摩モノレール沿いには「立飛企業」という会社があり、下の道を車で通るとよく看板を見かける(た)。この名は元々「立川飛行機」という社名で、立川飛行場のそばで飛行機を設計・製造していたことに由来するらしい。現在東証2部上場の会社(主に不動産業)である。

 この会社、新立川航空機という同じく東証2部上場の会社(主に不動産業)と株式の持合をしていたのだが、グループ内の持ち合い比率変更の際、計算を間違えて、相互保有により議決権を消滅させてしまったようだ。(同社プレスリリースより。)
 本来議決権のない単元未満株を議決権計算の分母に入れてしまったとのことであるが、どういう経緯だったんだろう。
 平成13年6月の商法改正で、相互保有の計算の分母が「発行済株式の総数」から「全株主の議決権」に変わったのだが、それを忘れてたのではないか?まあ全くの憶測ですが。
 なおこの改正のせいで「子会社」の確定の際に重大な問題が発生するところとなり、平成13年(つまり同年)11月に商法改正が行われ、相互保有による議決権の消滅は、子会社の確定の際には無視する旨のみなし規定が入った。これ参照。
 こういうのって、法務官僚の首につながったりするのか、と思いきや、いや、急に思い出したが、そういえば、商法の立法担当者が過労で(?)亡くなったことがありました。

 「立飛」って絶対「タッピ」だろうと思ってましたが、「タツヒ」が正しいらしい。なんて読みづらい、と思っていたら、地元では「タッピ」とも呼ばれていた、とウィキペディアにありました。そうでしょうそうでしょう。

 ちなみに多摩モノレールには「立飛駅」があるが、立川市に立飛という地名はない。駅名がそうなった理由は私にはよくわからないのだが、駅とその周りの軌道の敷地は、元々立飛企業の所有地だったらしい。・・・

 うわっ、書き出したらきりがない!!立飛トリビア面白すぎ!!

とおいくせに

 AKB48指原梨乃チャンの冠番組「さしこのくせに」を観た。やっぱカワイイ・・・
 大切りコーナーで、同じくパーソナリティーのツッチー土田との間で、こういう会話が。(以下うろ覚えなので引用は不正確です。)
土「このスタジオ遠かった。」
さ「初めて乗った電車に乗って来ました」
土「舎人ライナーね。」

 舎人ライナーは、荒川区の日暮里から出て足立区最北の地(東京最北か)見沼代親水公園に至る新交通システム。
 「新交通システム」という言葉は曖昧な使われ方をしているが、「狭義にはゴムタイヤ式の自動案内軌条(ガイドウェイ)式交通(Automated Guideway Transit (AGT))を指す。」(ウィキペディアの「新交通システム」の項。

 ウィキペディアで引用されていますが、舎人ライナー(東京都交通局の「新交通事業」)の繰越欠損金は、2009年度で51億3900万円。この監査報告書(「平成21年度東京都交通事業会計決算審査意見書」)の表20の最下段参照
 ちょっと心配だね。まあ、例えば2009年で言うと、営業費用5,038,550,719円中、減価償却費が2,157,679,276円ですから、無理もないか。民間企業だと「過大投資」ということになるんでしょうけどね。足立区の「陸の孤島」とも言えるエリアを北へと延びる交通機関ということで、まあやむを得ないんじゃないでしょうか。ラッシュは結構きついみたいだし。償却が終わったら黒字になるんじゃないのかな。あ、あの橋脚とか何年償却なんだろう。

 そういうわけで、「さしこのくせに」は、荒川区だか足立区だかで撮影されているようです。芸能人はどうせ港区・渋谷区、またはさらにその西に住んでる人が多いだろうから、東京の中心を抜けて北東側の荒川、足立は遠いでしょうね。

 「さしこのくせに」、さしこ出身地の大分でも放送決定とのこと。遠くてもガンバレ、さっしー。

2011年1月9日日曜日

You taught me how to love you. Now don't teach me to forget.

 録画していた『アイリス』最終回を観た。
 キム・テヒきれいだな~。名門ソウル大学(日本で言えば東大)出身。『天国の階段』では憎々しげに悪役を務めて、「ユリにらみ」とかいう言葉(怒った時に目をカッと見開く。ユリはキム・テヒの演じたお嬢さんの役名)も生まれたくらいであったが、それでトップスターの仲間入り。2006年には日本の爽健美茶のコマーシャルにも出てましたね。1980年生まれということは、30歳か。
 『アイリス』ではイ・ビョンホンの相手役ヒロイン。ラストシーンなんてキム・テヒのイメージ・ビデオだったね。

 『アイリス』はアメリカの『24』などを意識して作られたといわれるが、ラストの回に、『se7en』のラストのようなシーンがありました。撃つのか撃たないのか、それはあなたの目でご確認下さい。

 『アイリス』は日本ではイマイチ視聴率で苦戦したとか。アクションシーンは迫力あったと思いますが、やっぱ北朝鮮をスッキリ悪役にできなかったのが痛い、のかな?まあ、それに限らず、何というか韓国的にpolitically collectな感じが、ちょっとウザい感じではありました。日本の『相棒』とか、もっとドロドロしてるincollectなところを、そのままお茶の間にぶつけてますよね。これも国民性の違いなのか。それとも、下手に日本のTBSが関わってしまったばっかりに、こういう形にせざるを得なくなってしまったのか。日本のテレビ局が反韓的ドラマを作った!とか言われたらまずいもんね。

 殺し屋ビック役のT.O.P.は韓国のアイドル・グループBIG BANGのメンバーだそうな。AKB48の篠田麻里子チャンはBIG BANGが好きと公言しているが、お気に入りは、G-DRAGONという別のメンバーらしい。T.O.P.の方がカッコいいような気もするが・・・。ま、いいです。

Imaginary line all the people

 映画『ノルウェイの森』の、緑の家のシーンで、カメラがイマジナリーラインを越えた、ような気がした。
 DVD出たら買おう。

煉瓦の壁ほど急な山腹に、蝙蝠のように吸い付いた人間

「何故働かない」
「何故働かないつて、そりや僕が悪いんぢやない。つまり世の中が悪いのだ。」
『それから』(夏目漱石)

 大人になって読むと、青臭い議論で笑ってしまう、と言うはたやすい。
 しかし、この小説には、日糖事件という、明治末期当時の疑獄事件-資本主義の醜悪な側面-も描かれている。鼻で嗤って済まそうとするのは、その読者が資本主義の悪に鈍感になってしまっているだけなのかもしれない。

 ちなみにこの後、働かない主人公の主張はこう続く。

「もつと、大袈裟に云ふと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。第一、日本程借金を拵(こし)らへて、貧乏震ひをしてゐる国はありやしない。此借金が君、何時になつたら返せると思ふか。そりや外債位は返せるだらう。けれども、それ許(ばか)りが借金ぢやありやしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでゐて、一等国を以て任じてゐる。さうして、無理にも一等国の仲間入をしやうとする。だから、あらゆる方面に向つて、奥行(おくゆき)を削つて、一等国丈の間口(まぐち)を張つちまつた。なまじい張れるから、なほ悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。其影響はみんな我々個人の上に反射してゐるから見給へ。斯う西洋の圧迫を受けてゐる国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。悉く切り詰めた教育で、さうして目の廻る程こき使はれるから、揃つて神経衰弱になつちまふ。話をして見給へ大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日(こんにち)の、只今の事より外に、何も考へてやしない。考へられない程疲労してゐるんだから仕方がない。精神の困憊(こんぱい)と、身体の衰弱とは不幸にして伴なつてゐる。のみならず、道徳の敗退も一所に来てゐる。日本国中何所を見渡したつて、輝いてる断面は一寸四方も無いぢやないか。悉く暗黒だ。其間(あひだ)に立つて僕一人が、何と云つたつて、何を為たつて、仕様がないさ。僕は元来怠けものだ。いや、君と一所に往来してゐる時分から怠けものだ。あの時は強ひて景気をつけてゐたから、君には有為多望の様に見えたんだらう。そりや今だつて、日本の社会が精神的、徳義的、身体的に、大体の上に於て健全なら、僕は依然として有為多望なのさ。さうなれば遣(や)る事はいくらでもあるからね。さうして僕の怠惰性に打ち勝つ丈の刺激も亦いくらでも出来て来るだらうと思ふ。然し是ぢや駄目だ。今の様なら僕は寧ろ自分丈になつてゐる。さうして、君の所謂|有《あり》の儘の世界を、有の儘で受取つて、其(その)中(うち)僕に尤も適したものに接触を保つて満足する。進んで外(ほか)の人を、此方(こつち)の考へ通りにするなんて、到底出来た話ぢやありやしないもの――」

 今の日本人で、これを嘲笑できる人がいるだろうか。

2011年1月8日土曜日

あとは集客の算盤だけ

『武士の家計簿』トリビア2つ。

 途中で出てくる『「塵劫記』という本。
1627年 吉田 光由著、「わり算やかけ算のやり方を、そろばんの図解入りで記しています。また、当時の商人や職人が仕事の上で使う計算法も述べられており、平方根の計算法も図解入りで記されています。この書の形態や内容は、明治時代まで「○○塵劫記」という名で受けつがれ、「塵劫記」という名は、和算書の代名詞となりました。」(日本珠算連盟HP

 それから、映画冒頭いきなり驚かされるのは、算盤が、上が玉1つ、下が4つの、あのソロバンじゃない!
 ではどういうソロバンかと言いますと、上が2つ、下が5つの玉が付いています。
 これは、16進法のために必要なのだそうな(1桁で15まで数えられる)。
「中国のそろばんといえば、五玉2つ、一玉5つというのが普通です。しかし、珠算書で最も古い「盤珠算法」(1573年、徐氏心魯訂正)でのそろばん図は、五玉は1つです。
ところが、このすぐあとに出版された「算法統宗」(1592年、程大位)では、五玉が、2つでした。
この当時の目方の単位は、一斤を十六 両(十六進法)としていたので、一桁に15までおけるものが重宝だったといわれています。」(同じく日本珠算連盟HP

 そうなんだ。

 この映画、パンフレットは算盤の形をしてるyo!

I'll make you an offer you may refuse

 『武士の家計簿』を観た。

 以下、ネタばれがある、かもしれない。

 前半はちょっとホームコメディっぽいのだが、後半主人公の直之(堺雅人)が仕事で成功したあたりから、話が次第にシリアスになっていき、主人公が一家を支える大黒柱化して、ある意味神話的人物となっていく。それに反発しつつ、成長するにつれ父の偉大さを理解していく息子、夫を支えつつ息子を思いやる妻・・・。なんかどっかでみたことあるなあ。
 これって、『ゴッド・ファーザー』?
 そう考えると、8代続く「御算用者」(今で言えば、経理マン+パソコン、と言ったところか)とイタリア移民二世の犯罪組織のトップ、この違いが移民の国・アメリカンドリームの国・ダイナミックに社会階層の移動が生じ得る階級社会アメリカと、よりスタティックな平等社会である日本社会との差、というように見えなくもない。

 まあ、考えすぎだと思いますけどね。

 映画全体としては、堺雅人と仲間由紀恵を神話的に描く一環として、二人の立ち居振る舞いををパキパキに「古きよき日本風」にさせてるのが、いかにもアホな国家主義者に媚びているようでちょっとヤだったな。「こういう映画作っとけば『古き良き日本の美しさを思い出させてくれた森田監督ありがとう』ってコメントが産経新聞とかyahooのブログで続々と挙がるでしょ」、みたいな。
 それと、この映画は(上にも書いたように)急激な転調を見せるので、「作者のイイタカッタコト」を読み取ることを芸術作品の鑑賞と思っている人(勘違いダヨ)にとっては、わけが分からないでしょう。

 堺はこの手の役をやらせると日本一。タイプキャストにならないよう、『ジェネラル・ルージュの凱旋』みたいな役でバランスをとる必要がありますね。

 仲間ユッキーは、良妻賢母役ということで、グッド・シェパードのアンジェリーナ・ジョリーみたいに、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのアルバムのデイブ・ナヴァロみたいに、影が薄くなっています。

 まあ、シネコンで私を含め2人だけで鑑賞(自己新記録!)、というほど悪い出来だとは思わないですけどねー。この時期上映にもかかわらず、年末・年始に堺雅人がTVで宣伝してる絵を全く見かけなかったな。気のせい?と思ったら、この映画12月1日からやってたんですね。11月はテレビ見なかったからなあ。

2011年1月6日木曜日

八王子に日は落ちて

中央大学のサイトに、教員のひとりである加賀野井 秀一理工学部教授の「現代社会における「言語」「記憶」「想像力」の低下をどうくいとめるか」というエッセイが載っている。
「現代社会における「言語」「記憶」「想像力」の低下をどうくいとめるか」

 前半は、言語とは単なるコミュニケーションのツールではなく、「思考の道具であるとともに、思考そのものでもある」、という、80年代によく見たソシュール言語学的な言語の説明。
 言語こそが思考を規定するというわけだ。

 後半はよく見る若者批判となる。

「この言語の能力が低下すればどうなるか。言わずと知れた、思考力の低下をひき起こすことになるのである。昨今、若者の言語力が落ちてきたと言われるが、別に若者に限ったことではない。おそらくは私たち全員が、パソコン、ケータイ、電子辞書といった便利ツールに囲まれながら、文字を覚えることも、文を暗記することも、彫琢(チョウタク)された文章を書こうとすることもなく、日々の多忙におし流されているのではないだろうか。」

 一応「若者に限ったことではない」と書いてあるが、公平を装っているだけに過ぎない。こうくる。

「そんなわけで、最近の学生さんたちは、暗記の努力ができなくなってきている。フランス語の初歩でも、時によると、英語のbe動詞にあたるêtre動詞の活用を暗記することさえままならない。こうした記憶力の低下は、そのまま歴史意識の低下にも、空間的・地理的意識の低下にもつながることになるだろう。ことほどさように、彼らは、グローバル化の時代と言いながら、世界の国々と首都をあげさせてみても、国内の県と県庁所在地をあげさせてみても、時代の順序を言わせてみても、いずれも惨憺たる結果を示してくれることになる。」

 自分の若い時になかった便利な機械を今の若者が使っていることが、よっぽど気に入らないんでしょう。何の根拠もなくパソコンなどを犯人扱いして、今の若い人をバカ呼ばわりするという、全共闘世代特有のゲス発想。だいたい、歴代の中央大学理工学部のフランス語履修学生が、どの程度être動詞の活用を暗記していたのか、テストの平均点の推移でも出して論証してもらわないと、「最近の学生さんたち」の記憶力が落ちているという前提自体、全く説得力がない。「中央大学文学部仏文科卒業・同大学大学院を経て、パリ大学大学院で学」んだ加賀野井センセーの「実感」(偏見とも言う)だけで語られても困ります。そんな文章で「言語」の「低下」を語られてもなあ。大体、「『言語』の『低下』」自体、日本語としておかしいでしょう。

 このブログはもっと科学的、統計学的にいきたい。
 そこで、40歳以上、大卒、パソコン・ケータイ・電子辞書のない時代に大学で第二外国語(ヨーロッパ語)を習ってそれ以来使っていないというそこのあなた、être動詞(/sein動詞/ser動詞/essere動詞)の活用を、1/2/3人称(敬称/親称)、単数形/複数形、過去形、過去分詞と全て言ってみよう!・・・・言えます?

 だいたいこの手の輩は「本を読め」と結論付けるのが通例、そして、「書を捨てよ、街へ出よう」(寺山修司)に言及する率も高いんだよね、と思いつつ読み進めると、ハイ来ました。

 「こうした諸君には、寺山修司流に、まずは「便利ツールを捨てて街に出よ」と言ってみたくもなるのだが、ケータイ中毒になっている彼らには、はなから相手にしてもらえそうもない。仕方がないので、目下のところ私は、せめてもの埋め合わせにまずは読書をしなさいと勧めることにしている。なにしろ、最近の大学生の中には、一年間に一冊の本も読まないという者さえ珍しくはなくなっているのだから。」

 こういう、判で押したような若者批判って、書いてて恥ずかしくないのかな?
 だいたい、本は60代より20代の方が読んでる。
第31回 読書世論調査データで検証する「読書離れ」のウソ

 思考を不自由にするのは、言語だけではない。単なる思い込み、やっかみや嫉妬、新テクノロジーへの敵意・・・まずそこから気をつけないと。構造主義を偉そうに語る前に、そういう基本を押さえた方がよろしいんじゃないですか。


 さて、中大教授のアホエッセイを読んだ後、似たような題材から出発する、しかし全く趣の異なる一服の清涼剤のような清清しい文章に接した、のだが、もう疲れたから、以下は次回へ。

2011年1月5日水曜日

No Things

 昔、サミュエル・L・ジャクソンとミラ・ジョボビッチが競演した映画『ノーグッドシングス』(原作はダシール・ハメットの『コンチネンタル・オプの事件簿』の中の一編「ターク通りの家」)の試写会に行ったことがありました。上映終了後、なぜか神田うのがゲストとして登場!!映画トークなんてできるんかいな、と思っていると、こうきた。

 「ミラの役はー、悪女なんですけどー、悪女じゃないんですよ。」

 おおっ、何か斬新なキャラクター論が聞ける予感、と思いきや、
その後が続かない。トークタイムは15分くらいあったと思いますが、ずーっと、「ミラはー、悪女なんですけどー、悪女じゃないって言うかー」とリピートして、それを全く敷衍することなく帰って行きました。まあ、試写会の中心をなす20代半ば(当時)の女性たちには、神田うのは特別な思い入れがあるタレントらしく(モデルだったから?)、皆さん満足してましたけどね。私にとっては、やっぱバカだな、という、そして、手足がやたら細長くて、体もえらく細くて色が黒いもんだから、ガガンボみてーだな、という、そういう印象しか残りませんでした。

 聞き手が吉本の芸人なら、「同じかよ!」「先行けや!」「ガガンボか!」で盛り上がったと思うんだけどな~。

秋元御免状

 以前指原梨乃のブログが面白いという話を書いたが、それは御大秋元康のお墨付きなのだった!!
 以下は映画『インセプション』の宣伝の一環として行われたナンタラ賞の授賞式の1コマです。

http://www.youtube.com/watch?v=WNw_GEOpyzI

 サッシー、裏方シバり・・・。

 いつも思うんだけど、映画の舞台挨拶とか、この手の映画宣伝の煽り企画みたいのって、毎回毎回、エラく寒いよね。私は聞き手に問題があるんじゃないかと思うんですが。この聞き手役って、フリーのアナウンサーみたいな人が多いけど(TV局がスポンサーの場合局アナのことも)、話し手が何とか面白いことを言おうとしても、受け手のツッコミが弱いから、拾ってやれないんだよね。ここはやっぱ、吉本の芸人にやらせるべきだと思うなー。逆におちゃらけたくないなら、映画評論家でいいと思う。アナウンサーは、映画に関する深い突っ込みもできないし、それこそお笑いの方の「ツッコミ」もできない。中途半端なんだよね。

 吉本さん、新規分野への参入、どうですか?

若干 入ってますけども

NHKの「ニュースで英会話」という番組を観ていたら、
「オバマ大統領 学校の昼食を改善」という回(2010年12月23日)で、以下のようなシーンがあった。以下はNHKのサイトの抜粋です。ミッシェル・オバマ米大統領夫人が、学校の昼食(給食?)改善改正法成立を記念してワシントンDCの小学校で行ったスピーチと、その途中でバラク・オバマ大統領が入れた茶々の反訳です。

(Michelle Obama / U.S. first lady)
"My husband worked very hard to make sure that this bill was a priority in this session and I am grateful to you (Obama)."

「私の夫は、この会期中、この法案が優先事項となるよう一生懸命取り組んでくれました。私はあなた(=オバマ大統領)に感謝しています」

(Barack Obama / U.S. President)
"Because I would've been sleeping on the couch!"

「なぜなら、(一生懸命やらないと)ソファで寝るはめになるからね」。

 ああ、仮定法ってこういう意味になるのね、という文章で、勉強になります。(どうでもいいが、最後の訳は、仮定法過去完了なんだから「なぜなら、(一生懸命やっていなかったら)ソファで寝てたところだったんだからね」とかの方がよくないかな?)
 番組中では大統領のジョークが面白いという話になってました。アメリカ一偉い人が奥さんには頭が上がらない、というシチュエーションが面白い、ということだそうです。
 それはそうなんですが、このジョークにはいささか問題がある。
 1つは、こういう「カアチャンには頭が上がらなくてさ」的、「うちの大蔵大臣が」的な中年サラリーマンのオヤジギャグが、実は男絶対優位の立場から、それにさざなみを立てる(根本的に転倒するのではなく)ところに起こる笑いなのではないか、というフェミニズム的立場から見た場合の問題。それとも、アメリカだと実際女性の立場が強くてこういう視点は不要なのだろうか。

 もう1つは、これが本論ですが、このジョーク、小学校でやるのは多少際どいんじゃないか、という点です。言うまでもなく、大統領は「罰として、寝心地の悪いカウチでの睡眠を強いられる」という文脈で言ってますが、「罰として性的おあずけを食らう」という意味にも取れるからです。

 実際、映像で見る限り、あまりウけていない(そして、直後に何となく「えっ」という空気が流れ(たような、気がする)、大統領も「あれ、やばかったかな」という感じで一瞬キョドる(ように見える))。
 ダウンタウンの松ちゃんなら絶対言うはず。「若干、シモ入ってますけども」(そして浜ちゃん、松ちゃんの頭をはたいて、「やめろや(怒)」(歯を食いしばり気味に))

2011年1月4日火曜日

Seen it all, never done it at all, can't remember most of it.

 この正月休みは、思い切り何もかもサボってしまった。
 youtubeでたくさんの動画を観た。
 これがマイベスト
  ↓ ↓ ↓
渚のCHERRY (篠田麻里子ver)

麻里子様の歌声ってこんななんだ・・・意外。歌う時は高い声で歌うんだね。
そうすると、AKBの歌はやっぱりみんなの歌声が入っているんだなあ。

時代 やろう

 私が疎くて今まで気づかなかっただけかもしれないが、今、冬のアウターはショート丈なんだね。

 時代は、short。

 マトリックスでキアヌが着てたようなロングコートはもうダサダサなのか?
 たまにはLEONでも買わないといけないかな?
 いや、LEONは金持ち用だろうから、メンズノンノかな?

 あー明日から会社だ。

2011年1月3日月曜日

今日の英単語 thoroughbred

 サラブレッドはthoroughbredのカタカナ読みだが、
その語源はなんなのか。
thorough 完全な、全くの、徹底して行う
bred breed(繁殖させる、飼育する、品種改良する)の過去分詞
というわけで、徹底して品種改良された、ということのようです。ただし、
ウィキペディアには、「純血を意味するアラビア語の直訳という説もある。」とある。

 競馬ファンには周知のことのようであるが、サラブレッドの血統は、全てバイアリータルク号、ダーレーアラビアン号、ゴトルフィンアラビアン号の3頭に帰属する(ブリタニカ国際大百科事典)、そうである。

 なお、サラブレッドという意味の英語には、他に
blood horse
bloodstock
hot-blooded
warm-blood
などがあるようである。

下衆だ!下衆だ!

結構有名な話なのかも知れないが、AKB48の2009年の総選挙の時、発表会場で2位の発表の番になったら「前田!前田!」と前田敦子コールが起きたそうだ。前田あっちゃんが1位になって欲しくないというファン(?)が、そういうコールをしたんだとか(「Quick Japan」vol.87の南キャン山ちゃんと黒川智花の対談より)。
山ちゃんはそういう環境で揉まれているAKBは強くなる、と、ポジティブな文脈でその話を語っているが、普通に考えてえげつない仕打ちだ。そういう人って、やっぱいるんだな~。前にTVで大家志津香ちゃんが握手会で列が途切れちゃって泣いてるのを見たんですが、その時はその場にいるファンはよくいたたまれなくならないものだと思ったものです。でもそういうコールする人は、そんな場に出くわしても全く意に介さないんでしょうね。
でも、時々そういうハートが欲しくなる・・・。

とそんなことを思いつつ、昨日(今日か)アキバのドンキに買い物に行ったら、1階の柱のAKBの写真が巻いてあるとこで、某メンバーの顔の写真にいたずらがされていました。やめろよ、本人が見るかも知んないのに・・・。ホントこの世にはサイテーなやつがいるなー。

今日の英単語

 マイケル・サンデルのハーバード白熱教室(再)を何気なく見ていたら、やたらsolidarityという単語が出てくる。

solidarity 一致、団結、連帯、連帯責任・・・

 そういうことか。マイケル・サンデルは代表的なコミュニタリアン、すなわち、共同体主義者、の代表格であるからして、共同体における連帯について議論していたんでしょうね、きっと。英語で聞いてたのでよく分からんかった。

謹賀新年

 今年が皆様にとってよい年でありますように。

 みかんを買ったら、既に1,2個表面がうっすらとカビている。一応拭いてみたが、それで進行が止まるのだろうか?今日に限って奮発して高いの買ったのにな~。おかしいな~。