「何故働かない」
「何故働かないつて、そりや僕が悪いんぢやない。つまり世の中が悪いのだ。」
『それから』(夏目漱石)
大人になって読むと、青臭い議論で笑ってしまう、と言うはたやすい。
しかし、この小説には、日糖事件という、明治末期当時の疑獄事件-資本主義の醜悪な側面-も描かれている。鼻で嗤って済まそうとするのは、その読者が資本主義の悪に鈍感になってしまっているだけなのかもしれない。
ちなみにこの後、働かない主人公の主張はこう続く。
「もつと、大袈裟に云ふと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。第一、日本程借金を拵(こし)らへて、貧乏震ひをしてゐる国はありやしない。此借金が君、何時になつたら返せると思ふか。そりや外債位は返せるだらう。けれども、それ許(ばか)りが借金ぢやありやしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでゐて、一等国を以て任じてゐる。さうして、無理にも一等国の仲間入をしやうとする。だから、あらゆる方面に向つて、奥行(おくゆき)を削つて、一等国丈の間口(まぐち)を張つちまつた。なまじい張れるから、なほ悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。其影響はみんな我々個人の上に反射してゐるから見給へ。斯う西洋の圧迫を受けてゐる国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。悉く切り詰めた教育で、さうして目の廻る程こき使はれるから、揃つて神経衰弱になつちまふ。話をして見給へ大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日(こんにち)の、只今の事より外に、何も考へてやしない。考へられない程疲労してゐるんだから仕方がない。精神の困憊(こんぱい)と、身体の衰弱とは不幸にして伴なつてゐる。のみならず、道徳の敗退も一所に来てゐる。日本国中何所を見渡したつて、輝いてる断面は一寸四方も無いぢやないか。悉く暗黒だ。其間(あひだ)に立つて僕一人が、何と云つたつて、何を為たつて、仕様がないさ。僕は元来怠けものだ。いや、君と一所に往来してゐる時分から怠けものだ。あの時は強ひて景気をつけてゐたから、君には有為多望の様に見えたんだらう。そりや今だつて、日本の社会が精神的、徳義的、身体的に、大体の上に於て健全なら、僕は依然として有為多望なのさ。さうなれば遣(や)る事はいくらでもあるからね。さうして僕の怠惰性に打ち勝つ丈の刺激も亦いくらでも出来て来るだらうと思ふ。然し是ぢや駄目だ。今の様なら僕は寧ろ自分丈になつてゐる。さうして、君の所謂|有《あり》の儘の世界を、有の儘で受取つて、其(その)中(うち)僕に尤も適したものに接触を保つて満足する。進んで外(ほか)の人を、此方(こつち)の考へ通りにするなんて、到底出来た話ぢやありやしないもの――」
今の日本人で、これを嘲笑できる人がいるだろうか。
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