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2011年4月4日月曜日

開くの10時か

 映画「ディアボロス」で、勝つために手段を選ばない弁護士(キアヌ・リーブス)が、ヤギを生贄にして邪教の祈祷をしようとしてNew York City health codes(訳は衛生法だったかな?)で起訴された被告人を弁護してこう言った。

「彼がやったことは検察官から見れば異常かもしれない。それは割礼とか、ワインが血に変わったとかいう話ほど耳慣れたものではない。しかし、彼は信教の自由の下に認められた権利を行使したのであり、それを罰しようというのは憲法の保障する自由の侵害である。」(記憶で書いているので多少違うかもしれないが、まあ大体そんなような弁護だったと思う。)

後ほど、キアヌはこの弁護をアル・パチーノ演じる弁護士事務所長から批難される。邪教の動物虐待と聖書の話を同列に論じるなんて、何たる非倫理的行為、というわけだ。

しかし、信教の自由の建前から言えば、まさにキアヌの弁護の方こそが正しい。キリスト教が正しくてヤギを生贄に捧げる宗教が間違っている、とは限らない、全ての価値は相対的である、というのが信教の自由、さらに言えば、全ての自由権の前提だからである。

(無論、信教の自由の範囲内なら何をしてもいいというわけではない。より優先すべき価値を侵害していれば、その行為は制限され得る。)

このように、全ての価値は相対的であるという価値相対主義の考え方に立つとき、大事なのは手続きの保障ということになる。例えば、どの選択肢が正しいかは絶対的には決まらない、ということになると、じゃあ多数決で決めよう、ということになる。

何が言いたいかと言うと、リビアのことである。

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