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2010年12月26日日曜日

世にもはしたない話3

 前回、前々回の続き。

 蓮實重彥氏はこんなだれでも思いつくような批判はわざわざしていないが、内田氏は村上春樹の小説が世界で売れていることと、その小説が名作であることとを混同している。
 『指輪物語』の例を引くまでもなく、売れていることと名作であることは何の関連もない。内田氏は、優れた小説のランキングは世界で売れている順だとでも言うのだろうか。

内田氏は「蓮實は村上を罵倒する前に、どうして『表層批評宣言』が世界各国語で訳されて、世界各国から続々と「蓮實フォロワー」が輩出してこないのか、その理由についてせめて三分ほど考察してもよかったのではないか。」などと昔のブログで言っていたようだが(http://blog.tatsuru.com/archives/000407.php)、こんなもの3分どころか3秒考える必要もない。村上作品の方が読みやすく、読んで楽しいからである。蓮實重彥氏の本は難解で、また大部分の人にとっては読んで面白くない。ただそれだけのことである。私も村上春樹の小説は好きだが、「優れている」と思って読んでいるわけではない。だいたい、小説と文芸批評の読者数は全然違うでしょう。
 ちなみに「蓮實フォロワー」の語が使用されているのは故意か偶然か分からぬが、日本の表層文化論の領域で蓮實重彥氏の影響力は絶大で、「立教ヌーベルバーグ」は言うに及ばず、まさに蓮實フォロワーが続々と輩出されてきている。せいぜい村上春樹が読めて蓮實重彥氏の文章は難しくて読めない(ネットで見る限り、内田ファンは蓮實氏他批評家の小難しい文章[レベルを落とした福田和也や小谷野敦を除く]など読んだことのないような人ばかりである)程度の読者相手にブログの使いまわしの文章を本にして売りつけている者がそこまで偉そうに見下してよい相手ではないと思うのだが。

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