Powered By Blogger

2010年8月28日土曜日

わしゃモテンきに

 深夜ドラマでやってる「モテキ」が熱い!!
 まずキャスティングがありえないほどはまっている。
 暗い、もてない、オタク趣味だが、実は女の子によっては「こういうタイプのルックス結構趣味!」などと思われたりもする主人公藤本幸世
・・・森山未來。
 地味目に見えたりもするが、実は超可愛くて、服装しだいでゴージャスになったりエロくなったりする20代後半の彼女第一候補土井亜紀
・・・野波麻帆。
 女度低め、恋愛苦手の、処女コンプレックスのオタク友達、カメラマン助手の20代前半の彼女第二候補中柴いつか
・・・満島ひかり。
 モデル級の完璧ルックス超ゴージャス美女にして、主人公を振り回す魔性の女小宮山夏樹
・・・松本莉緒。
 地方の地元のバツイチ元ヤン女で、主人公にカツを入れ続けてくれる姉御女林田尚子
・・・菊池凛子。
 イケメンではないが男らしく気さくで頼れる性格ゆえに、女にもモテモテのリア充男の親友(たまに主人公を裏切る)島田雄一
・・・新井弘文。

 どうだろう。これらの説明に当てはまる俳優として、実際のキャスト以外の候補が思い浮かぶだろうか?
 単に役にぴったりというだけではない。さらにすごいと思うのは、
 ・モテない男の設定であるにもかかわらず、主人公である以上、実はスター性のある俳優でないといけないという点もクリア。地味女も同じ。
 ・ゴージャス女と超ゴージャス女の微妙なゴージャス感の違いがちゃんと出てる。
 ・深夜ドラマに菊池凛子。しかも、重要な役かも知れないが、完全脇役で。
 ・言うまでもないことだが、全員演技がうまい!!みんな、映画中心に頑張っている俳優さんですよね。
 ・松本莉緒も濃厚キスシーンに体当たり。

 こんなキャストが渾身の演技をしているドラマで、面白くないわけがない。

 このドラマは「ドラマ24」というテレビ東京のドラマ枠で、ちょうど20作目らしく、タイトルに「ドラマ24 第20弾特別企画」とついています。
 たぶん金も少し多目に使ってるんじゃないかな。
 タイトルバックはいきなりバレットタイム撮影してるし。

 それにしても、このドラマであらためて野波麻帆の美しさを再認識しました。彼女をはじめて知ったのは、深田恭子主演の「そして、ともだち」(2000年)でしたが、あれからもう10年になりますか。彼女ももう30歳なんですね。相変わらず綺麗だわ。
 しかもこのドラマでは、妄想癖のある漫画家の空想シーンや、麻帆ちゃんが一人で部屋でくつろいでいるシーンで、とってもナイスな下着姿も観ることができます。かなりエロいっす。深夜ドラマでよかった。ありがとう監督・脚本さん!!

 まあそういう点を置くとしても、このドラマはストーリー展開もすごく面白いし(原作は相当売れてる漫画です)、いろいろ小ネタも利いているし(リリーフランキーが演じてるエロ中年の猥談に「リリーフランキーかよ」みたいな台詞があったり)、感情に訴えかける名シーンも多いし(満島ひかり演じるいつかちゃん(DEATH NOTEの夜神月の妹役だった娘も濃厚キスシーンを演じられる大人になりました)の「ロックンロールは鳴り止まないっ」熱唱シーンは、ドラマ史に残る!)、芸達者の俳優陣は熱演してるし(リリーだけキャラ設定が漫画と変わっちゃってんだけど、この人もうまいねー、すごい説得力)、映像的にもよくできてるし(手持ちカメラも効果的に使用)、今のところ視聴率は普通みたいなんだけど、そのうち伝説のドラマになるんじゃないの?
 DVDはディレクターズカットで全く違うものになると思いますので、放送バージョンはゼッタイ観ておく方がいいと思いますよ。君も歴史の証人になれ!!

 このドラマについてはほかにもいっぱい言いたいことあるけど、今日はこの辺で。

 といったけど1つだけ。このドラマの挿入歌のコンピアルバムが2枚同時発売らしいが、挿入歌の1つ、フカキョンの「スイミング」が入っていないじゃない?名曲なのにぃぃぃ。原作でもわざわざ歌詞に言及されてるのにぃぃ。やっぱ、買いそうな層がロック派が多いからかなー・・・。

2010年8月26日木曜日

思想・良心の自由を今,考える,論文について今,考える

 ジュリスト3月1日号に、「日本国憲法研究第7回・思想・良心の自由 [基調報告]『思想・良心の自由を今,考える』」という早稲田大学西原博史教授の論文が載っている。

 憲法19条は、実は国家からの思想・良心に対する介入の禁止という捉え方と、国家からの一定思想の(外的表れたる行為の)強制に対し国民がそれが自分の思想・信条と相反すると思うときにはこれを拒むことができる、という捉え方があり、これは信教の自由における政教分離と狭義の信教の自由の関係に似る。(もっとも、狭義の信教の自由と政教分離は、現に共存しているのだが、思想良心の自由の上記2側面は、共存するのだろうか? する、している、という前提なんだろうな。)
 信教の自由同様、この二つの捉え方の間には緊張関係がある。すなわち、前者においては、社会的に「思想」として流通しているような一定の(おそらくはある程度体系性な)「信条」のみが問題となる。そうしないと、国家が何らかの主張・教育等する都度「これもひょっとして誰かの思想と抵触するかな?」などと考え出してきりがなくなるからだ。たとえば、Samが「子育てしないパパはかっこ悪い」と言っているポスターを作成しようと国が考えたとしよう。その際、「男は子育てすべきでない」と考える人が万一いたらまずい」ということになると、じゃあそういうポスターはやめようということになる。こう考えていくと、国はポスターなど作れなくなる。同様に、あらゆる国の啓蒙活動が不可能になり、最終的には国家による教育というもの自体不可能となる。
 これに対し、後者は個人の側から考えるのだから、一応全ての「ものの考え方、価値観」が問題となる。

 これはたとえば、音楽教師が「君が代」伴奏を拒むような場合に健在化する。前者によれば、「ピアノで伴奏する/しない、というくらいで『思想の問題』として論ずるのは言い過ぎではないか」ということになりやすく、後者によると、「とにかく本人が『それは私の良心に反する』と言っているんだから、憲法19条の問題となる」ということになる。

 西原教授は、この後者の考え方(思想・良心の自由のアイデンティティー論的構成)を重視する。
 それはそれで1つの考え方だとは思うが、日本社会においてはかなりの人々(people)が画一的な世界観・信念に囚われているから、西原教授の考え方は、具体的案件において、一般人の「常識」に反する結論を招きやすく、日本社会で共感を呼ばない(というか、大いに反感を買う)可能性が高いだろう。

 それにしても、この論文で考察されている日本の社会状況(特に教育基本法改正の社会的背景)の分析は、私も大いに共感するところである(エらソやね)。
 これについてはまたいずれ。

2010年8月25日水曜日

円高く、誰が肥える秋?

 円高で大変なことになってますなー。俺の勤めてる会社もチョイやばいんでねーの?
 政府日銀が無策だとかどうだとかいう議論も喧しい。
 でも、それは難しいところだよねー。今の相場が実体経済を反映してるんだったら、それを変える方が問題とも言えるわけだし。ビックマック指数では今の相場でちょうどいいらしいよ。
 そもそも、今の相場が実体経済を反映していない、というためには、つまり、効率的市場仮説は、為替相場において「真説」でない、アノマリーはある、と言うためには、実地調査で証明しないといけないわけだ(可能なのかな?)。
 いや、証明しなくてもいいのかな。つまり、実体経済を反映してようがしてまいが、問題あれば介入してしまえ、という考え方もあり得るわけだ。特にわが国では、市場経済に対する不信感が強いからね。まあ、それもひとつの考え方でしょう。
 ただし、現在中国経済が好調なのは、鄧小平以来の開放経済が、起業家精神を始めとする市場経済的思考の導入結果であるという側面がある(というか、主な理由である)ことを忘れてはならないだろう。私に言わせれば、市場経済批判など、政治家とか大学教授とか、市場経済の恩恵をうけて暮らしていることに気づいていないだけの、お釈迦様の手の平の上の孫悟空のような恩知らずの戯言に過ぎない。

 それと、今の円高が問題であるか、というのも、一応論点になるね。実際輸入側は得なわけだし。ダイソーとかユニクロとか、完成品を輸入して国内で販売している企業は、ウハウハではないか。問題は、製造業が廃れると、国内のブルーカラーは職がなくなるってことだな。日産のマーチ現象が、全製造業に波及するだろう。それでもホワイトカラーの一部は、本来生き残れるはず、だけど、失業者への生活保護費支給等、社会保障費に多額の費用が必要になる。今の社会保障水準を切り下げるのは政治的に無理だろうから、結局一部の能力のある働き者に重税をかけて、みんながそれにたかる構図になり、能力ある人たちも馬鹿馬鹿しくて働かなくなるか、語学能力を生かして海外に逃げるか、ということになる。
 では円高を是正すべきなのか?

 ただ、最後の問題がある。ほんとに一国だけで円高を是正できるのか、ってことだ!!今回米・欧は協調してくれないよ~。

 うーん。やっぱ語学は勉強しとこっと!!

 

飴が下、迷信まかり通る

 患者に独自の砂糖玉を飲ませる民間療法、ホメオパシーには全く医学的根拠はないとする談話を、日本学術会議が金沢一郎会長名で出したそうだ。
 日本医師会と日本医学会も賛同のを表明したとのこと。

 そんなの当たり前、と言うのはたやすい。
 しかし、朝のニュース番組を見ていると、「今日の運勢ワースト1位は、・・・ごめんなさーい、○○座のあなた」(by高島彩)なんて言って、ごくまじめに星座占いの結果なんかを公共電波で垂れ流している。

 信じる方が馬鹿といえばそれまでですが、そういう情報を発信して、結果的に迷信にお墨付きを与えている人も、やっぱ問題あるよね。
 「人は空を飛べないってことぐらい、ちゃんと学校で教えて欲しい。」(浅田彰)

2010年8月24日火曜日

Guessen what?

 世の中にはどうにも解せないことがある。
 民主党の山岡賢次副代表は、菅直人では早晩政権運営が行き詰るとして、小沢一郎前幹事長の党代表選への出馬を要請するという。
 民主党の支持率急落の張本人である小沢氏が総理になって、政権運営が安定するとでも言うのだろうか?むしろ地獄への道をまっしぐらでしょ?どうにも解せない。そんなに菅氏が嫌いなのだろうか?

 あるいは、山岡氏は小沢一郎氏さえ復権すれば、民主党などどうでもよいのだろうか?そういう人は、きっと国民のことはもっとどうでもいいだろう。

 判断力に問題があるのか、それとも志に問題があるのか、どちらにしてもこういう人は国政に携わって欲しくないなあ。

2010年8月22日日曜日

闘う市長

 アメリカニューヨークのグラウンド・ゼロの近くにモスクを建てることを認めるべきかで、アメリカが揺れている。
 最初にこのニュースに接した時は、「信教の自由があるからね。建てるなとか無茶言わないでね。」でスパッと終わりとなる話かと思ったが、なんと国民の7割が反対して、未だに論争の火の手は収まっていないようだ。
 まともな知識人は反対すべきでないという論調で固まっているようだが、例によって大衆迎合的な一部の政治家、保守系メディア等が、恐ろしいことに堂々と反対論を主張しているらしい。
 売り言葉に買い言葉で、賛成派からは「建てようとしているのはイスラム穏健派だから、建ててもいいのでは」という言説も飛び出しているようだ。これだと、穏健派でなければ規制してもいいように聞こえ、問題だろう。9.11テロを起こしたのはほんの一部の人で、全イスラム教徒の数からすれば、無に等しい数字ではないか。
 NY市のブルームバーグ市長は、「自由にものを言ったり、好きな場所で自分の信じる神に祈ったりする権利は、憲法上認められている、と、確か7年生か8年生で習った。」と至極真っ当な論理でを展開し、更に「今回の件に即して言えば、モスク建設を計画している団体は、わが市に多様性をもたらすものであり、歓迎している。」と毅然とした態度を見せた。かっこいい。日本の市長で、一人でもこんな立派な方がいらっしゃるでしょうか?
 ちなみにこの市長は、あのブルームバーグ端末の、フィナンシャルニュースの、ブルームバーグ社(お世話になっております)の創始者その人なんですね。彼はユダヤ系移民の子ですが、上記言動からすれば、そういう出自だけで人を推し量ることがいかに問題かということもよくわかります。広瀬某の「ユダヤが世界を」どうのこうのなどという本を読んで感心しているようなアホ人間は、よく反省しなさい。(エラそーでごめんなさい。)

2010年8月21日土曜日

ヤツらを追放せよ!

 昨日「踊る大捜査線 the movie 3 ヤツらを解放せよ」、を観た。
 出来としては、秀逸だった「容疑者室井慎次」側というよりは、「少林少女」と同類項である。つまり、ひどい。山崎真実のサービスシーンがない分、さらに悪い(無論、小泉今日子のサービスシーンが欲しかった、というわけでは、全くない、全くない。)。
 難点をいくつか挙げると、冒頭な長回しの退屈さ(「スネーク・アイズ」などと言わずとも、「有頂天ホテル」などと比べてもひどい)、垂れ流しのキャスト(伊藤淳史など、見せ場が用意できなかった)、意味不明な盛り上げ、不可解なタイミングでのネタバラシ、・・・などなど。小栗旬やギバチャンは例によって好演しているが、こういう駄作で熱演すると、却ってイタイのも世の常である。

 今日立ち読みした雑誌では、この映画は大ヒットなのだそうな。私が観た回は大ホールに5人だったので、さすがに口コミで詰まんないって伝わってるんだろうな、口コミは馬鹿に出来ないなーと思ったが、木曜ラストの回だったから、たまたま少なかっただけなのかな。
 その雑誌では、監督・製作、と誰か(脚本だったかな)の鼎談が載っていたが、あんな映画作ってよく偉そうに語れるなー。ジョージルーカスが、スター・ウォーズはきっとコケると思って、公開時に(たしか)ハワイに逃避していた、などという謙虚な(小心者の?)話を思い出すよ。
 日本人は謙虚だなどという人は、この対比をよく踏まえて国民論を語るべきである、と余計なことまで考えてしまう今日この頃である。
 小栗君扮する補佐官の描写(思わせぶりな台詞を吐きつつ、本作では何も起こらず終了)などからすると、このシリーズももう1作くらい作るつもりらしいが、彼(とギバチャン)の名演技を無駄にしないためにも、監督・脚本(と、たぶんプロデューサーも)は、総取っ替えすべきだろう。デスノートの金子修介にでもバトンタッチしてはどうか。(あずみ2もそつなくこなしたし。あ、小栗旬つながりだね。)
 結局、小栗君の人気にあやかって、駄作になっても集客を確保しようという製作サイドの思惑/保険付保行為が、今回見事にハマっているわけであるが、人気者の方は、その人気を無駄遣いしないよう、出る作品を選ばないとね。小栗君、「NANA」を振り切った宮崎あおいに学べ!!(「NANA」は駄作じゃないけどね。)
 

2010年8月20日金曜日

懺悔録

 ああ、やばい、やばいよ。
 これだけははまっちゃいかんと思ってたのに。
 馬鹿だなー俺。いい歳して。(ちなみにまだ
 48というわけではない。)

 買ってしまった「篠田麻里子写真集 麻里子」・・・

 最近深夜番組でやたら見かける、そしてゴールデンタイムもやたら見かけるようになってきたAKB48。そこに所属している、茶髪のショートヘアーがよく似合う女の子、篠田麻里子チャンの写真集を、本屋で見かけてしまいました。
 今更さら次郎、アイドル写真集。AKBはやべーだろ。ガキ集団ではないか。
 でもこのコは可愛いなーと前から思っていたんですよね。性格もよさげだし。しかも最初はAKBのグッズかなんかの売店の売り子さんだったとかいうところ(深夜番組でそんな話をしてました)も、なんかソソルわ~。
 表紙の写真も素晴らしい。結局、一も二もなく買ってしまったのでした。お店のお姉さんの視線が、心なし痛いワ~。
 家で中を見ると、やっぱいいわー。可愛いわー。
 細身なのね。この細腰たまらんわ~。表情も豊かだね。表情どころか、顔自体、テレビで見る顔とちょっと違って見える写真も多く、そっちもまた魅力的だナ~。

 一応この子は24歳で、現AKB48メンバーでは最年長なんだね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%A0%E7%94%B0%E9%BA%BB%E9%87%8C%E5%AD%90

 少しホッとした。ミドルティーンとかだと、好きになった時点で、世間的に僕、ちょっとオワッちゃうからねー。

 売り子さんだった話もウィキに書いてあるね。

 身長168cmか。高からず、低からず、ちょうどいいねー。ソソルわー。たまらんわー。

 AKB48劇場って、アキバのドンキの上にあるんでしょ。近いわー。近くて、、、そして遠いわー。さすがにキツイわ、この歳でAKBライブは・・・。でも生で麻里子チャン見てみたいわ~。ウーン、ウーン・・・。

 馬鹿だなー、男って。

 んっ?もう第三写真集なんだね。あと2つあるんだ・・・。やべーこと知ってしまったなー。

 ああ、AKBの人気投票でも3位なんだ。テレビで見てると、もっとマニアックな、一部のコアなファンにのみ人気がある感じのキャラのように見えましたが(メインの番組進行の合間に挟まるショートコ-ナーで変な服着て街を歩いたりとかしてました)、割と正統派の立ち位置なんですね。まあ、これだけ可愛きゃ当たり前か。

 仕事でつかれた精神を明るい笑顔やコケティッシュな憂いの表情で癒してくれる篠田麻里子チャン、本当にありがとう。これからも頑張って下さい!!
 応援するよー!!

 

2010年8月5日木曜日

やたらメッタら破天荒 残念!! 斬り!!

 破天荒とは、前人未到と同じような意味である。つまり、今まで誰もできなかったことをする、という意味である。
 今日、新聞、雑誌、単行本等で使われている「破天荒」は、ほとんどが「型破りな」「ハチャメチャな」という意味で使われており、それは全て誤用である。(次のサイトを参照)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%B4%E5%A4%A9%E8%8D%92
 一番多いのは、小説の紹介文である。個性的な登場人物が出てくると、すぐ「破天荒な主人公/脇役が・・・」とくる。
 破天荒の意味を一度知ると、「メッタ斬り」シリーズの豊崎由美の文章・対談など、いかにも教養のない人のそれに思える。
 まあこの人の場合、誤用である点を差し引いても、そもそも主人公のキャラ説明に「破天荒」を使いすぎである。他人の小説をメッタ斬りする資格があるのだろうか・・・。

2010年8月3日火曜日

Bella, bella!!

 引き続き、「テレビでイタリア語」を観る。
 川島(南アフリカW杯日本代表ゴールキーパー)、ゲストで登場。イタリア語ベラベラやな~。

主体性の共同体

 今BSでプラネットベービーズという番組をやってて、なんとなく観てました。
 デンマーク南部ロラン島の「園舎を持たず・・・森の中で子どもたちが自由に遊ぶ『森の幼稚園』・・・」の紹介。(番組HP[末尾url参照]より)、ナビゲーターは田中律子、コメンテーターは齊藤先生という幼児教育学専門の相模女子大准教授。
 と聞けば、世の時流に逆らうイヤミな諸兄(私を含む)は、「自然の中でのびのびと」とか、「自然の恵みに感謝することを学んで」とか、そういうイラッとくる決まり文句満載の馬鹿馬鹿しい番組を想像するところでしょうが、そしてまあそういう面もあったのですが、でもとっても面白い番組でした。
 特に興味深かったのは、こんな場面。
 幼稚園の子供たちが二人で遊んでいて、一人が頭を殴られて泣き出すのですが、子供がもう一人来て、「あっちへ行こう。」と泣いている子を連れて行く。殴った方も自分が悪いと思っているらしく、なんとなく二人の後をついて行く。殴られた子はだんだん気持ちが落ち着いてきて、泣くのをやめ、殴った子に「もうお前なんか嫌いだ」とかいいつつ木の枝を投げたりしているうちに、なんとなく仲直りする、のですが、その間大人が(諍いには気づいているのに)誰も仲裁しない、そして、(日本と一番違う点は、とコメンテーターも指摘していましたが、)子供がだれも「先生、○○ちゃん泣いちゃったよ」とか「○○ちゃんと××ちゃんがケンカしてるよ」などと、言いつけ(?)に行かない。子供が自分で解決するのです。
 わたしは最近、会社における各従業員の主体的行動(意欲の欠如)につき思いを致す機会が多いのですが、デンマーク人(上述のような教育を受けた人々がデンマーク人の一部なのか全体なのかは知らないが、ここではこう言っておこう)は、きっと権威に頼ったり、上の指示を待ったりしていないで、ガンガン自分で仕事を企画して進めて行けるんじゃないかな。
 「できる人」っていうのは、子供のころ刷り込まれた日本人気質を意識して排除し、自らの人格をデンマーク人化した人たちのようだ。

番組HP本日(じゃなくて7/29の再放送なのかな?)分は、以下の通り。
http://www.nhk.or.jp/baby/archives/archive100729.html