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2010年2月20日土曜日

漁夫の利狙いの不届き者

 googleが検閲を拒否して中国政府と対立している。中国の市場としての価値を認めつつも、人権問題も等閑視できないのが欧米先進国の人々だ。
 こういうgoogleの戦いで、皆が共同歩調をとれば、中国政府もその意向を尊重し、自国の人権問題に配慮せざるを得なくなる。逆に、ここがチャンスとばかりに中国政府に擦り寄ってgoogleの後釜を狙おうとする卑怯な輩がいれば、中国政府はgoogleの提起した問題など無視できる。その結果googleはドン・キホーテとなる。
 あなたはそういう「卑怯な輩」候補に、誰を思い浮かべますか?

 第一に考えられるのは、人権に、基本的に価値を認めない人々である。(無論ここでいう「人権」とは「他人の人権」である。自分の人権にだけ敏感な人は除かれる。)
 さらに、その者の主要顧客も人権に価値をおかない人々であろう。アメリカなどでは、人権に配慮しない(ことがばれた)企業には、即座に批判、さらに不買運動が巻き起こるのだが、そういうハンディを負わずに、中国で人権侵害を気にせず商売ができると非常に有利である。

 ところで、本日こういうニュースに接した。「人権状況視察のためミャンマーを約1年ぶりに訪問した国連人権理事会のキンタナ特別報告者は19日、現地で記者団に『年内に歴史的な総選挙を実施するにもかかわらず、軍事政権が政治犯の釈放を前向きに考えている様子がなかった』と述べ、軍事政権の対応を強く批判した。」(日経HPより)

 そんなミャンマーで1988年に軍事クーデターが起き軍事政権が成立した際、これをいち早く承認したのは誰か。
 我が日本である。その後も日本は、人権問題・民主勢力弾圧を批判して経済制裁を続けるアメリカ・EUなどを尻目に、経済協力による援助を実施し続けてきた。(ただし、現在、人道的な理由がなく、かつ緊急性がないような援助は停止されている、という。)
 公式見解では、単にバッシングするのではなく、孤立して意固地になるのを防ぎ、国際社会の中に留めおく中で、徐々に人権重視を説得するべきだ(いわば「北風と太陽」の太陽戦略といったころであろう。韓国の金大中政権でも北朝鮮に対する宥和外交を「太陽政策」と言ってました)、からとされている。
 それが本気なのか、それとも単なる金儲けの言い訳なのかはともかく、しかし、この戦略には、大きな失敗例がある。

 1989年の天安門事件後、中国は欧米の経済制裁を受け、経済成長率も大幅に落ち込んだ。その中国との関係をいち早く正常化したのは、やはり日本であった。天皇訪中まで実施して、中国の国際社会復帰に手を貸した。そしてそのようなわが国の行動の理論的根拠は、やはりミャンマーの時と同じ、太陽戦略だったと記憶している。

 そして、あれからはや20年。国際経済の巨人となった(史実から言えば「巨人に復帰した」だが。原田泰『日本はなぜ貧しい人が多いのか』参照。)中国は、89年と全く変わらず、人権など鼻にも引っ掛けない国のままだ。そうして自国に参入する企業に対し、検閲への協力を求める。

 もう言いたいことはお分かりであろう。googleの戦いを無駄なものにする第一候補は、日本企業・日本政府・日本人である。
 以前中国で、突然日本バッシングが起こって、日本資本の店や大使館などが襲われたことがあった。あの時の中国治安機関の無作為ぶりはいただけなかったが、私はそれとは別に一つ気になった点があった。それは、暴動が大きくなって政府・治安機関が暴動の沈静化を図る方向に方針転換して後、同国内のネット上で、日本批判を繰り広げるサイトや掲示板の意見が、当局により次々消されていっていったのだが、それを伝えるわが国報道において、これを言論の自由封殺の問題として捉える意見がほとんど見られなかったことである。(ここで「ほとんど」というのは、慎重を期して言っているだけであって、私の知る限りではゼロであった。)むしろ、事態沈静化に向かっていて、良かった良かった、という意見しかなかった。自国の安全の前には、他人の人権のことなど、頭にも上らない、それが日本人である。自国の、自社の利益のためには?恐らく同じであろう。

 昔宮沢喜一氏が総理大臣だったころ、ビル・クリントン大統領(当時)と会談した際に、「日米両国は価値観を共通にしている」というような発言をして、一部から「本当にそうか?」と疑義を呈されていた。こと人権感覚について言えば、相当な差がありそうだ。
 ただ、中島義道氏によれば、現代の若い世代の人々は、人権感覚に富んでいるという。いつの日か日本も、真に欧米と価値観を共有する日が来るのだろうか。

おまけ:人権なんて下らない、という意見がある。それはそれで立派な意見ですが、そういう人は、憲法とその解釈本をよく読んで、そこに書かれた一切の人権を、まず自分が行使しないということからはじめて下さいね。自分で権利行使しといて、他人には行使させないなんて、首尾一貫しませんからね。
 表現の自由・職業選択の自由・移動の自由・プライバシー権・教育を受ける権利(あ、もう行使しちゃったかな?)・・・。生存権なんてのもありますね。

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