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2010年2月17日水曜日

彼は悪くない!!!

 もうバンクーバーオリンピックが始まっているが、国母選手の服装問題、ネットとスポーツ新聞をえらく賑わせてますね。
 あの服装のどこがいけないんだ?あんなの街中にいっぱい歩いてるじゃないか。公式の場だから、という人がいるようだが、空港とか、単なる移動中でしょう。(街を歩いてるのも移動中だ。)天皇の前で同じ格好できるのかとか書いてる変な人もいたけど、実際天皇の前じゃないし。移動中のEXILEがサングラス掛けてたとしても、天皇の前でも取らないのか、とは言わないでしょう。ルール違反という人もいたが、ルールと言っても、日本選手団公式服装着用規定が「自覚と誇りを持って公式服装を着用しなければならない」というだけだ。自覚=腰履き禁止、と読ませるのは、腰履きしたことのない世代にしか通用しない。
 会見の態度が悪かった、という人もいるが、悪くもないのに無理やり謝らされた人の身にもなってみ。あのくらい不貞腐れて当然だろう。
 代表としての自覚が足りないとかいう人もいるが、彼は国のために出場するわけではないことをはっきり述べている。自分の価値観を人に押し付けるな。
 同じ日本人として恥ずかしいとかいう人は、まず己が恥ずかしくない人間か、よく胸に手を当てて考えてみろ。(自分は恥ずかしくない人間だ、という人は、自国のオリンピック選手がどんな格好していようが、自分は恥ずかしくなどないはずだ。自分に自信がないから、変わりに他人に立派になってもらって、それで自分のプライドを満足させようとするのだ。)大体彼はスノボーがうまいからオリンピックに出てるんだよ。服を着崩さないから、国の威信を高めるのがうまいから出てるわけじゃない。出る資格がないとか言うやつは、彼以上の成績収めてから言え。
 それから、国の金で行ってるんだから、国のためにやっているつもりはないでは済まされない、という者もいるが、彼に税金が使われていることは、彼に対する一方的な恩恵ではない。日本の選手が好成績を収めたら、それでプライドを(なぜか)満足させて幸せになったりするあほな国民がいて、それが国家にとって都合がいい(不満から目をそらせるため、とかね)から金を出しているのだ(まあ他にも、子供に夢を与えるとか、いろいろあるのかも知れないけど)。要は完全にgive&takeであり、感謝しろという筋合いのものではない。
 それを、マナー違反だの、強制帰国させろだのと、何を息巻いてるんだ?「スポーツウエアを乱れなく着ていたが、トレードマークのドレッドヘアとひげはそのまま」(「謝罪」会見を伝える産経の記事)などと、ドレッドヘアと髭までやめろといわんばかりの報道(?)まであった。アホか。逆に、「主義主張に基づいての服装なら、謝ったりせずそれを貫け」、などという人もいた。そんなことしたら、集団ヒステリーの火に油を注ぐようなもんでしょう。それこそ阿呆な目立ちたがり屋に刺されたりしかねない。
 だいたい、国母選手はスノーボーダーだ。アーティストなのだ。しかも典型的なXスポーツだし。オルタナティブなんだよ。スラッシュメタルガンガンかけて、大技決めて観客がヒューヒューいうスポーツなんだよ。ショーン・ホワイトの記者会見のカッコ見ろよ。体育会系の論理であーだこーだ言うのはおかしいでしょ。一昔前のマラソンランナーみたいな修行僧もどきになれとでも言うのかよ。もっと言えば、あのくらいで大騒ぎしてたら、スノボーウェア自体まずいだろう。だいたい、日本選手用公式ウェアって、あの変なジャケットとパンツの組み合わせはなんだ。女子は紫とか赤とかのスカーフなんかもついてて決まってるが、成人男子は、上が淡色で下が濃色の組み合わせはきつい。子供っぽくなる。(高校生ならかわいいが。)一体あれはどこ製なんだ。サッカー日本代表を引き合いに出す人もいたが、確かにサッカー日本代表で移動の際にスーツを着崩しているやつはいないものの、彼らが支給されてるスーツは、(大会によって変わるが)ダンヒルとかヒューゴ・ボスとか(あとゼニアだったかな)だかんね。カッコいいのさ。はるやま(北京の時の公式ウェア支給元)とかと一緒にすんなよ。
 スノボーは次第に衰退しつつあるウィンタースポーツの中で、唯一と言ってもいいほどの人気を保っている。それが気に入らないらしく、スピードスケート(「ミズスマシのようで面白くない」あれです)あたりから、すなわち銀を取った長島や、オリンピックの時だけ人気が出る岡崎から、ここぞとばかりに非難の声が上がっている。みっともない。岡崎など「あっち(スノーボード)の世界はどうか分からないけれど、代表チームのトップの人たちが身だしなみについて指導した方が良い。」などと、露骨に「あっち」の人呼ばわりしている(我々正統派とは異なる、と言いたいのだろう)。
 なお、川端文部科学大臣が、「極めて遺憾だ。国を代表して参加する自覚が著しく欠けていた」「反省している態度ではなかった」と言ったそうで、これが一番腹が立つ。鳩山・小沢に言え!!彼らにぴったりの言葉ではないか!ちなみにお前のところの党首と幹事長だ!!

 まあつい熱くなってしまいましたが、国母選手は、直前の大会でアメリカの選手に混じって(ここが重要。前回トリノでは、日本HP陣は前評判はよかったものの、未知の存在だったアメリカ選手に、蓋を明けて見れば格の違いを見せ付けられてしまった。しかし今回はそうではないのだ)好成績を挙げており、本来活躍が期待できる選手だった。今回こうやって寄ってたかってバッシングして、精神統一ができないようにしてしまったから、いい成績を残すのは大変困難になってしまった。それこそ投下資本が無駄になる可能性が高まってしまったのだ。なんというアホ。
 とは言え、彼も一流のアスリート/アーティストである。並みの精神力ではないはずだ。ぜひこの件を気にせず頑張って、活躍して欲しい。スノボーは、技が決まると本当にカッコいいからね。国母選手はものすごい大技をもっているらしいし。

 国母選手、頑張れ!!

 ちなみに、彼はドレッド・髭スタイルで、今はちょっとお気楽アンちゃん風に見えるが、実は髭を剃って髪をストレートに戻すと、石川遼風イケメンだ。敢えてのドレッドスタイルであることも知っておこう。

 

2010年2月15日月曜日

50歳の恋愛白書 reminded me of the phrase ”the last~"

 先日「50歳の恋愛白書」を観た。言いたいことはいろいろあるが、3つだけ。
・いい映画です。脚本・演技・演出とも良いが、衣装やプロダクションも含むヴィジュアルも素晴らしいですね。特に衣装は、どれもこれも美しい(ジュリアン・ムーア除く)。
・テイストとしては、ポール・トーマス・アンダーソン監督の映画っぽいような感じでしょうか。
・もちろん配給会社はいろいろ考えて付けたんでしょうが、この邦題は、どうよ。この題名で「おっ」て思って見に行く人って、いるのかな?あくまで個人的感想ですが、The Japanese title of this movie is the last one that encourages me to see it. (合ってるかな?)
 ちなみに原題は、「The Private Lives of Pippa Lee」。ピッパ・リーの私生活、というか、裏事情、かな。Pippa Leeは主人公の名前です。「ピッパ・リーの裏事情」、これでは客は入らないのだろうか?「ピッパ・リーの裏・事・情」とか「ピッパ・リーのウ・ラ・事情」とかならどうだ!俺はこっちの方が観たいぞ。・・・まいいか。それにしても、なぜLivesと複数形になっているんだろう。裏の顔がいくつもあるからかな?

 ともかく、シネコンで観客3人は自己新記録タイ。1人というのは、意外にないんですね。
 でもほんとにいい映画なんですよ。登場人物の心情に共感できないところもあったけれど、それも含めていい映画だと思います。終わる前に観て欲しい。

(続く)

2010年2月11日木曜日

民主党政権と私

民主党政権は、斎藤次郎元大蔵事務次官を郵政のトップに据えた時点で、私の中では終わった。嘘つきは嫌い。
以上

追加
ちなみに、安倍政権は、郵政民営化反対組を自民党に復党させた時点で、私の中では終わった。嘘つきは嫌い。

少林少女と山崎真実

 映画「少林少女」は駄作であると言われている。それは否定できない。ラストがカタルシスを得られない、というのは、まあ好みの問題でしょうが、全体的にストーリー展開に筋が通っていない。脚本家の脚本自体の問題なのか、監督またはプロデューサーの問題なのかはわからないが、とにかく「なんで?」「なんで?」「なんでやねん?」の世界。熱演している俳優陣がかわいそう。
 監督・プロデューサーは「踊る大捜査線」をヒットさせたコンビで、その映画版がクオリティーの割りに大ヒットしたのもよくなかった。どこかにモヤモヤを抱えていた映画ファンが、文句なしにレベルの低い「少林少女」に、ここぞとばかり罵詈雑言を浴びせたのだ。特に「踊る大捜査線 THE MOVIE 2」は、映画としての質に問題があったというだけでなく、なんというか、映画を馬鹿にした感じがあった。冒頭のいかにも映画的なカット割を直後にずっこけさせる編集、弱者(女性・失業者)に対する容赦のないバッシング(井筒監督はテレビで「リストラされた人を勇気付けるのが映画じゃないのか!」と激怒していた)、強者・組織への温かい視線(例えばこの映画では、いわゆる「官製談合」が、微笑ましく描かれている!)。そして日本映画歴代興行収入1位(実写)・・・。
 いや、「少林少女」の話であった。
 しかし、映画というものは、ストーリー展開だけではない。漫画だってストーリーだけじゃないでしょう?
 そこで山崎真実である。これはwikipediaはじめいろいろなところで書かれている話であるが、この映画の一番の魅力は、柴崎コウが最初にラクロス部に行くシーンだ。グラビアアイドルの山崎真実ちゃんがラクロス部の主将役で出ているのだが、体にピッタリしたaddidasの変な緑色(映画館で観た時はブルーに見えたんだけど、記憶違いかな・・・)のポロシャツ風トレーニングウェアを着た彼女、その胸のポッチが、もろに!
 わざとじゃないと思うんですよね。ブラもしてるし。撮影の時寒かったのかな?ストラップレスブラ(に見えます)は危険なのか?(あれはなんか縦方向の緊張感に欠ける気がする・・・)
 この映画はブルーレイでも出ているが、主要ターゲットは真実ちゃんのファンかも知れない。私の持っているのはDVDですが、DVDのキャスト紹介には、主要キャストではないということらしく、山崎真実ちゃんは出ていない。わかってないなー。この映画は映画秘宝の最低映画にも選ばれているが、これまたわかっていないなー。映画は総合芸術です。何かいいところがあればいいのだ!

「何に対してであれ反対する書物は、いかなるものも重要ではない。何か新しいものに「賛成」する書物だけが大切である。」(ドゥルーズ)

 「新しい」かどうかはわからないですが。

 山崎真実ちゃんはすごく可愛いし、よく雑誌の表紙も飾っていますが、なぜかもう一つブレイクしないですね。グラビアアイドルがステップアップするには、テレビのバラエティー番組で受けるトークができることが必要なようです。昔ナインティーナインの番組に出てましたが、まじめな感じでしたからね。「少林少女」でも、背の小さい柴崎コウが平靴で立っている隣に写ると、スラっとしてすごくきれいなんですがねー。ミスマガジン出身なので、シャベリの方はあまり問われず、写真映りの良さ(実物がたいしたことないという意味ではない)でデビューしたんでしょうね。読者特別賞か。読者投票で選ばれたんですね。
 それから、女優として生きていくとなると、演技力が問われる。「少林少女」でも、彼女のセリフはアテレコのようだ(こういうのって外れていることも多いですが)。
 ここまで書けばわかると思いますが、私は結構ファンです。「少林少女」を映画館で観た時は、彼女が出ているとは知らなかったので驚きました。あまり出番がなくて残念に思ったように記憶しております。ただ、例えば柴崎や江口洋介や岡村隆史を写す時はかなり高い確率で彼女がフレーム内に来るように撮っているから、サブキャラとしては優遇されている方でしょう(どうでもいいが、この気遣いをなぜストーリー展開に生かせないかなあ)。
今後とも、もう一段のブレイク目指して頑張って欲しいと思います。

2010年1月29日金曜日

農林水産省HPに学ぶべきこと

(前回の続き)

 食料自給率とは何か?
「食料自給率とは、国内の食料消費が、国内の農業生産でどの程度賄えているかを示す指標のことです。」(農水省HPより。以下出典は全て同じ。)

 どうやって計算するか?

「3種類の計算方法があります。」

 具体的には?

・重さで計算 「重量ベース自給率」
・カロリーで計算 「カロリーベース総合食料自給率」
・生産額で計算 「生産額ベース総合食料自給率」 

それぞれ日本の数値は?

・重量ベース自給率 ・・・農水省HPでは食料全体の数値は不明。
・カロリーベース総合食料自給率 ・・・41%
・生産額ベース総合食料自給率 ・・・65%
  (上記はすべて最新値(平成20年度概算値))

ということは、
・見方によっては65%は自給できている。
・田中センセーのいう39%(前回参照)って何?
 
 実は平成18年のカロリーベース自給率が39%(史上最低値)。論旨に合わせるため数年前の数値をわざわざもってきたようだ。ズルいなー。

 カロリーベースと生産額ベース、どちらを使用するのが適切なのか、という問いは無意味ではある(何を論じるかによるだろう)が、農水省HPには、生産額ベース自給率の説明として次の記載がある。

(生産額ベース自給率には、)「比較的低カロリーであるものの、健康を維持、増進する上で重要な役割を果たす野菜やくだものなどの生産等がより的確に反映されるという特徴があります。」

 つまり、生産額ベースにもそれなりの良さがあるわけだ。ところが、日本の食料自給率を論じる場合、ほとんど常にカロリーベースが使用される。不思議な話です。

さらに、田中氏のエッセイ中「米以外はほとんど自給できなくなっている。」との記述ですが、農水省統計では以下のとおり。
米 95%
に対し、
かんしょ 96%
野菜 82%
みかん 96%
鶏卵 96%(*ただし下記参照)
牛乳・乳製品 70%(*ただし下記参照)
海藻類 71%
きのこ類 86%
など、米の自給率に引けをとらないものもあります。すなわち、米だけしか自給できないというのは、嘘。

 さらに、田中氏の「飼料や種子や加工食品の原料のことを考えに入れると」(米以外はほとんど自給できなくなっている)という記述についても、少なくとも飼料については重大な誤りがある。

「カロリーベース自給率の場合、畜産物には、それぞれの飼料自給率がかけられて計算されます。」(農水省HP)

 つまり、仮にある畜産物が国産品100%でも、飼料の半分が外国産なら、自給率も50%となる。カロリーベース自給率において、飼料は最初から「考えに入れてある」のだ。
(私はこの、飼料を自給率計算で考慮するという発想はおかしいと思うが、いずれにしろこれに従うと上記*部は、
鶏卵 9%
牛乳・乳製品 29%
となるので注意。)

 以上が田中氏エッセイの明らかな誤りだが、私が思うに、そもそも食料自給率が低い=問題・不安、という田中氏その他の人々の発想自体が間違いである。

 食料自給率が下がる過程としては、次の二つがあり得る。

・国内でみんなが食べる食料が足りず、輸入する他ない!
・別に国内で食糧がまかなえないわけではないだろうが、食べたい物は輸入品。

 言うまでもないことだが、問題であり不安であるのは、前者の場合である。
 (私個人的には、この場合も問題ではないと思うが。後述)
 では、日本はどちらなのか。明らかに後者である。

 典型的なのが、小麦である。小麦のカロリーベース自給率は14%。皆さん一日一食くらい、パンを食べませんか?あるいはパスタ、ケーキ、うどん、ラーメン・・・。三食米を食えば、全体の自給率は上がる。なぜ米を三食食べないのか?小麦製品を食べたいからである。断じて、米が食べたいのに足りないから輸入品の小麦にすがっているのではない。いわゆる「食料安保論」では、急に輸入品が入って来なくなったら大変だ、と言われるのだが、日本人の場合、「その時はしょうがないから米でも食うか」、それだけのことである。
ちなみに、農水省もこう言っている。
「日本においては戦後、食生活の洋風化が急速に進んだという特徴があり、この急激な変化が食料自給率を引き下げてきた大きな要因となっています。日本では昔から主食(ごはん)を中心とした食生活が行われてきましたが、戦後、副食(おかず)の割合が増え、中でも特に畜産物(肉、乳製品、卵など)や油脂の消費が増えてきました。自給率の高い米の消費が減り、自給率の低い畜産物や油脂の消費が増えてきたことにより、食料全体の自給率が低下してきたのです。また、自給率低下の要因は、単に食料消費の変化があったということだけではなく、この消費の変化に生産が対応しきれなかったことも要因の一つであるといえます。
特に近年では、日々の食事の中で惣菜、冷凍食品といった調理・加工された食品の割合が増え、また外食をする機会も増えてきました。こうした中で、これまでの国内の生産では食品加工メーカーや外食店といった食品産業が求める要望に十分に応えられてきませんでした。
したがって、国産の農産物が利用されるよう、こうした食品産業の要望に応えていくことが期待されています。」 つまり、みんなが食べたいのは、日本で作っていない(作れないのではない)外国産の食品なのだ。
ただし、農水省も結論としては自給率低下は問題としている。しかし「問題」の意味が違う。
「消費者が求め、消費者に選択される農産物や食品を供給することが、食料供給産業としての農業と食品産業が発展するための基本です。」
要するに、国の問題というよりは、「消費者(国民ではなく)のニーズに応えていない農業関係者、しっかりせいや。」、ということ、つまり生産者(と、多分政策担当者)にとっての問題として捉えているようです。農業関係者(と、多分自分)という身内を批判していて、ある意味誠実。

 なお、食料安保論が出たのでこれも批判しておく。
 この考え方の根本的間違いは、食料の供給者は、それを日本に売って金を稼いでいる、ということを忘れているという点である。すなわち、日本に食料を売るのをやめると、売り手にお金が入って来ないのである。顧客をスパッと切る、これはおいそれとできる決断ではない。例えば、アメリカが「ソニーとパナソニックとトヨタと本田がいっぺんにアメリカに製品を売らないと言ったらどうしよう」と心配するだろうか。アメリカに製品を売らなかったら、4社とも潰れてしまう。だからそんな心配をする必要はないのだ。
世界経済は持ちつもたれつである。それを、太平洋戦争前のABCD包囲網(日本を海上封鎖しても、ABCD各国は特に損をしなかった!)のような感覚で論じるからおかしな話になるのである。
 その昔イラン革命でイランの日本に対する石油輸出がストップしたが、次の年(だったか?)から、イランの国家予算がその輸出額とほぼ同額削減されたという話がある。今日本に農産物を輸出している国で、農民が日本から1ドルも得られないことに耐えられるだろうか?

 ちょっと田中氏の新聞エッセイから話がそれた。
 いずれにしろ、農水省のHPもチェックしないような人が、ネットで与太話を書くくらいならよいが、偉そうに新聞紙上で(まあ大した新聞じゃないですが)現代の食糧問題など語らないで欲しい。ついでに言えば、江戸時代にも飢饉だの圧政だのがあった事実も踏まえて(思い出して?知っていて?)欲しい。

上記と関係ないが、田中氏エッセイ中、

「子供の貧困は進み」

は許しがたい一文である。江戸時代の方が現代より子供が豊かだったとでも言うのか???

田中氏エッセイには、こんな記述もある。

「気候変動、テロ、伝染病、戦争、何が起きても日本人は飢餓に陥る可能性がある。江戸人から見ると、なんと不安な国なのだろうか。」

これも許しがたい。日本が世界のどこからも食料が買えないほど食糧が逼迫した場合(それがテロによって起こしうるようなことかという疑問はさておき)、例えば世界中が異常気象に見舞われた場合、日本だけ食糧が豊富に取れるということがあろうか?少なくとも、江戸人は日本でだけ気候変動が起きた場合でも飢餓で死んでいたのだ。そっちの方がよっぽど不安だろ。

田中氏エッセイ「いざと、いうときの受け皿となっていた共同体はもはやない。子供さえ孤立し、親からも他人からも助けてもらえない。」

 いざというときに共同体に助けてもらえる可能性、子供が親・他人から助けてもらええる可能性は、賭けてもいいが、今の方が高いはずである。いつの世にも、弱者に救いの手を差しべない共同体、親はいると思うが、現代と江戸時代の生活水準を考えれば、子供を守る余裕のある共同体・親が多いのはどちらかは自明である。江戸時代の最良のケースと、現代の最悪のケースを比べてはいけない。(現代は冷たい人ばかりで他人の子を助けるような奇特なコミュニティーは全く存在しないと思う方は、「ホームレス中学生」を読んで反省しよう!)
 ちなみに、これも田中先生は知らないだろうが、江戸時代は、村の人口は横這い傾向にあった。その原因として、「間引き」があるとされている。言うまでもなく、生まれた子供を口減らしのために殺すことをいう。松平定信の寛政の改革の一つに、間引きの禁止がある。一方、民主党政権の改革に、間引きの禁止は含まれない。なぜか?間引きをする人がいないからである。さて、どちらが「不安の時代」なのだろうか?
なお、この手の勘違い現代論の似たような例として、「昔の学生に比べて、今の学生は本を読まない」というのがある。ごく一部の人だけが大学に行った全共闘世代のエリートと、大学全入時代の三流大学の学生を比べるのは馬鹿のやることである。

*食料自給率に関する部分については、野口悠紀雄氏の論述に示唆を受けた・・・、と勝手に思っていたが、今野口氏のサイトを確認したら、当方の駄文はほとんど質の悪いカーボンコピーですね・・・。もっと切れのいい論述を読まれたい方は野口氏サイトをご覧下さい。

2009年10月31日土曜日

江戸学に学ぶべきこと

 10月27日産経新聞に「ちょっと江戸まで」という法政大学田中優子教授のエッセイが載っている。
「江戸時代を知ることにどういう意味があるのか、私たちの近現代は何を乗り越えたのか、あるいは何を克服しそこなったのか、とりわけ、何を捨て何を失ったのか-私は江戸文化を研究しながら、その問いを持ち続けている。」
 歴史に学ぶのは大切なことだ。しかし、単なる歴史学者が歴史から何を学ぶかまで考えてしまうとおかしなことになる場合がある。歴史に没頭する(学者はそうあるべきだが)あまり、現在のことをあまり知らないからだが、場合によっては専門とする国、地域の贔屓の引き倒しで、もっとめちゃくちゃな(非)論理をとなえる人もいる。

 田中エッセイによれば、現代は不安の時代だ。

「江戸時代に驚いてばかりはいられなくなった。いったん江戸時代側に立って現代を眺めてみると、それもまた驚きの連続である。食料自給率39%という数字は多く見積もっての話で、飼料や種子や加工食品の原料のことを考えに入れると、米以外はほとんど自給できなくなっている。気候変動、テロ、伝染病、戦争、何が起きても日本人は飢餓に陥る可能性がある。江戸人から見ると、なんと不安な国なのだろうか。子供の貧困は進み、いざと、いうときの受け皿となっていた共同体はもはやない。子供さえ孤立し、親からも他人からも助けてもらえない。江戸人から見ると、何と過酷な国だろうか。」

 突っ込みどころが多すぎる。
 まず、田中先生は知らないかもしれないが、江戸時代には享保、天明、天保の三大飢饉をはじめ、いくつもの大飢饉が起きた。人々は飢餓でバタバタ死んだ。安心の時代でなかったのは確かだ。
 これも田中先生は知らないことだろうが、江戸時代、日本は鎖国をしていた。よって、食料自給率は100%である。自給率なぞ何の意味もない。むしろ、国内で米が取れないにもかかわらず、外国から輸入できず、不足分の口は死ぬしかなかったのだ。かわいそうに。
 
 ついでに言えば、鎖国をしたのは、キリスト教の流入が時の為政者に不都合だったためであり、民衆の意思と無関係に強制したものである。江戸時代の文化とは関係ない。むしろ、江戸時代の文化が、そのような法制度の結果生まれたものだ。今の時代にそういう文化を当てはめようとしても、木に竹を接ぐの類である。

 食料自給率に関する記載にも、大きな誤りがある。(長くなるので続く。)
 

2009年10月5日月曜日

契約書って、ないといけないの? No way!!

 鳩山内閣は日本郵政の西川社長の自発的辞任を求めている。財界はこれに反発しており、また西川社長も恐らく唯々諾々とは従わないだろう。どうしても辞めさせるとなれば、財務大臣が株主として臨時株主総会開催を請求し、西川社長の取締役解任議案を提出した上で可決し取締役の座から引きずり降ろす(自動的に代表取締役も解任となる)ことになろう。この場合、さすがに民間会社の社長を国がクビにするのはいかがなものか、との批判は免れまい。そもそも、会社法で言うところの正当な(解任)事由があるかは微妙、というか恐らくないので、不当解任となって、西川社長が損害賠償請求訴訟を提起すれば勝訴=任期満了までの取締役報酬相当額の支払いが認められるだろう。これでは「国民共有の財産」(原口総務相)である日本郵政の財産が目減りし、批判は更に避けられない。(そこまで西川社長がやるかはわかりませんが。)
 そこで、応援団が現内閣を援護射撃すべく、日本郵政の不祥事を掘り起こしてきた。すなわち、昨日10月4日付け朝日新聞朝刊(一面!)の、「日本郵政、広告発注に契約書なし 博報堂に368億円」の記事である。これがまた酷い記事だ。(私は新聞ウォッチャーではないのだが。何でこんなに酷いのが多いのか。)
 記事によれば、日本郵政は民営・分社化前は案件ごとに入札で広告代理店を選んでいたが、民営・分社化後「企業イメージの統一性を図る」ことを目的として、特定の1社に一括発注する方式に変更することとし、「企画提案コンペ」を開き、大手広告会社4社の中から博報堂を選定したが、一括発注の独占契約につき契約書類を一切取り交わしていなかった。契約額は07年度は、博報堂との独占契約で約146億円、08年度は約222億円(朝日新聞は、郵政公社時代は06年度が電通:約51億円、博報堂:約19億円、大広:約2億円という内部資料を入手したという)。総務省はずさんな手続きだと問題視している、そうな。

「民主党政権が公約に掲げる郵政事業の見直し作業に影響を与えそうだ。」(西川社長の首も危うくなったぞ、とは書いていない。書かなくてもわかるでしょ、といったところか。)
 問題があると思うのは次の各部分。

問題箇所1:「通常、包括契約時に交わす覚書や合意書には、契約期間、双方が履行する義務、契約を解除する場合の条項などが記される。双方の理解のずれや、これに起因するトラブルを回避するほか、取引の透明性を担保する目的もある。」

問題点:契約書に理解のずれ、トラブル回避の目的があるというのは正しい。しかし、はっきりさせないほうが良い場合もある。天下の博報堂ともなれば、法務部門も充実しているはずだし、顧問弁護士も超一流どころをそろえているはずだ。きっちり契約書を、となれば、日本郵政の言いなりの契約書になるとは限らない。むしろ不利となった可能性もあるのだ。そもそも、日本郵政はその後博報堂の子会社で郵便割引制度の悪用事件が発覚したため、この一括発注契約を解除しているのだが、包括契約を書面化したもの(基本契約書)できっちり解除権発生の場合を場合分けしていたら、(子会社が郵便制度を悪用したときは解除できる、なんて入れたはずもないので)きっと解除できなかったはずだ。(厳密に言えば、契約書がなければ解除可能というものでもないが、ここはやはり曖昧だからこそ、相手に引け目があることもあり、エイヤで解除できたと考えられる。)結ばなくて良かったではないか。
 しかも、この手の包括取引では必ず契約書を締結するという実務もない。この記事には、そもそもこのような契約自体少ない、と書いてあるのだ。(ついでに言えばこの記事ではめったに見かけない契約であることがいかにも悪いことのように書いてあるが、みんながやらないことをやったら悪いなどとは到底言えないことである。トータルコンセプトで広告して欲しいという日本郵政側の説明は、そんなにおかしなものではないではないか。)
 とにかく、個々の状況では包括契約など締結しない方が得な場合もあるのであり、締結しなかったからといって即批判するのはおかしいのである。
 しかし、たとえ損でも文書化はしなければいけないのでは?と思う人もいるかもしれないが、そんな決まり=法令はない。実際、業界にもよるのだが(広告業界など、そうである可能性が高いと思うが)実務上、契約書面、特に複数契約にまたがって適用される基本契約書が締結されないケースも多い。つまり、(これがこの記事および原口大臣のコメントの最大の問題点だが、)包括取引に関して契約書を締結しないこと自体は、別に法律上違法ではないはずなのだ。
 原口総務相は「日本郵政に内部監査機能や法令順守への姿勢が欠如している疑いがあ」る、と述べたそうだが、どこが法令違反なのか、何法の何条に違反しているのか、明確に述べて頂きたいものだ。
 なお、内部監査の観点からは、合意内容は書面化するのが望ましい。私も、結論として今回の場合包括契約書がない方が良い、と言いたいわけではない。ただ、まるで本件が日本郵政の不祥事だというような報道(もはや真の意味での「報道」を遠く離れていると思うが)はおかしいというのである。もっとも、今回は包括契約に従って締結される各個別の契約では契約書を作成していたとあるから、内部統制上も問題とまでは言えないだろう。 
 さらに、「取引の透明性を担保する目的もある。」とあるが、契約書の解説本とかで、こんなの見たことないぞ。いわゆる独自の見解ってやつでは?

問題箇所2:「会社法でも業務の適正を確保するため、契約書類の保存や管理を要請している。」

問題点:この部分は、一番酷い。憤りを通り越して呆れる。
 会社法施行規則100条1項1号では、取締役に「取締役の職務の執行に係る情報の保存及び管理に関する体制」を整えることを要求している。そして、この「取締役の職務の執行に係る情報」には契約書類も入るだろう。しかし、この規定が求めているのは、「(契約書の)保存や管理」である。「作成」とはどこにも書いていない。よって、今回契約書を作ることは、会社法上要求などされていないのだ。実際、記事中引用箇所も「保存や整理」としか書いていない。なのになぜ「会社法『でも』」となるのか。この一文は、読んだ人に、なんとなく日本郵政の行為が会社法に違反していると思わせるために書かれている(おそらく95%くらいの人がそう思ったであろう。新聞の文章など、厳密には読まないものだ)。もしかすると、筆者は「いや、会社法違反とは書いていないしそう読ませる意図もない。実際記事には会社法上契約書「作成」義務がある、とは書いていないではないか」と反論するかもしれない。しかしそれは嘘だ。なぜなら、そうであれば、この一文が書かれる意味がないからである。契約書の保存管理義務と、契約書不作成の間に、どんな関係があるのか。いかにも卑怯な書き方である。

問題箇所3:「グループ子会社の幹部は『イベントや広告内容の質に疑義があっても業者を変更することができなかった。契約額が割高になっていた疑念もぬぐえない』と話している。」

問題点:まず、各個別契約が割高になるかどうかは、包括契約書を締結するかどうかとは無関係だ。契約書があっても、割高になる可能性はある。よって、この談話は、本件と何の関係もない。ただ、なんとなく日本郵政けしからん、という雰囲気をかもし出すだけのために入れられている。卑怯なり、朝日。
 次に、博報堂はトータルコンセプトという付加価値を付けていたのだから、仮に個々の契約額が割高になったとしても、当然である。
 また、4社でコンペをやっているという点から、選定に際してはきちんと手続きが踏まれていると言える。もし出来レースだとでも言うのなら、その証拠を示すべきだ。
 さらに、これが一番問題だと思うのだが、この「グループ子会社の幹部」なる者の意見が公正なものか、非常に疑わしい。旧郵便局のスタッフは、大部分が民営化反対と考えられるからである。「疑念もぬぐえない」って、どういう根拠なのか、それを確かめもせず記事にするというのは、非常に問題ではないか。だいたい、包括契約に関して書面化していないこととか、公社時代の広告宣伝費の内部資料とか、誰がリークしているのか(むろん現体制に反対の者である)。しかも政権交代直後のこの時期に、とっくに解除した契約の契約書の有無が急に問題になるとは、いかにも不自然である。この情報漏洩の方が、内部統制上よほど問題ではないか。

 日本郵政の広報部門は、「『業務に支障はなく、問題ないと考えている。しかし今後は、この発注方式を採用すべきか否かや、契約書類の作成についても社内で検討したい』としている。」とのこと。大変真っ当なコメントである。

 ちなみに、明けて10月5日、毎日新聞が朝日と同様の立場から本件を伝えている。
 9月13日の社説で
「西川氏が政治任用であることは明らかだ。政権が代わり、郵政民営化が抜本的に見直されようとしているわけで、その責務を終えたことは、西川氏自身がよく理解しているはずだ。」
とまで述べた毎日であるから、政権ヨイショのスタンスも当然と言えば当然であるが、その主張は更に訳がわからない。
「グループ各社に対しては明文に基づかないまま博報堂への発注を義務付けていた形で、同グループの法令順守上の問題点がまた一つ浮上した。」
 明文に基づかないまま、とあるが、契約書は博報堂との間に締結するものであり、それとグループ会社に博報堂との契約を指示することとは全く関係ない。
 知らない人もいるかも知れないが、口頭契約も契約である。日本郵政が博報堂との間で「グループ会社にも博報堂を使わせる」との義務を負うことを約せば、当然それを履行する義務が生じるのだ。
 それとも、やはり内部統制上の問題を指摘しているのだろうか。どう問題なのか良くわからないが、日本郵政も包括発注契約書を締結していないだけで、稟議書の類は作成していると思うので、全く紙に残すことなく広告発注の基準を取り決めているというわけではない。とにかくよくわからない一文である。
 そして、またも「法令順守上の問題点」・・・。どういう不遵守があるのか、書けるものならちゃんと書いてみて欲しいものだ。

 さらにちなみに、朝日は10月5日も日本郵政の問題点を、これまた一面で報じていた。第3種郵便物の審査・監査が杜撰だったとのこと。朝日、必死ですな。日経は・・・今にいたるまでこの(契約書の)件無視。アホか、というところなんでしょう。正しい・・・。