Powered By Blogger
ラベル 映画 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 映画 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012年6月24日日曜日

わからんティン

そう言えば、昔ゴダールの映画を観たけどようわからんかったという話を書いたことがあったが、最近読んだタランティーノの本によれば、タランティーノはゴダールが大好きだそうだ。(「クエンティン・タランティーノの肖像」)
タランティーノよ、お前もか。
もっとも、タランティーノは17歳の頃ダリオ・アルジェントと仕事をしたくてイタリア語を勉強してたっていうから、そっちはもっと好きなんだろうけど。それはわかるよ!

2012年6月19日火曜日

Mann Is Our God

今日初めて、缶入りで発売されたbacardi Mohitoを飲んだ。なんだか軽い味わいだな。 モヒートを飲むようになったきっかけは、劇場版『マイアミ・バイス』でコリン・ファレル扮するソニー・クロケットが何度も飲んでいたから。カクテルなんてそんなに知らないから、ヘーそんなのがあるんだ、と思ったものは大体飲んで見る。そして大体好きになる。 マイアミ・バイスでは、ソニーは「バカルディ・モヒートを」と、銘柄指定なのでした。 モヒートはミントの入れ方で大分感じが変わってくる。 ドカッとでっかく、そのまま植木鉢に植えても立派に見えそうなくらい茎に葉っぱのついたのを入れるところもあれば、汁を絞っただけの場合もある。僕は前者が好きですね。 マイアミ・バイスは、僕の最も好きな映画の一つ。「Heat」、「Collateral」、「Miami Vice」はマイケル・マン監督の神三部作です。

2012年6月14日木曜日

人生不可解-独占大人の時間

今日、生まれて初めての経験をした。
映画を映画館で、たった一人で観たんだ。どの映画だったかは、言わぬが花だろう。
今まで2人とか自分とカップル1組だけとかいうのはあったんだけど、他に誰もいないというのはなかった。
予告編上映前の「鷹の爪団」の吉田君の映画上映中のマナーの歌で、「最後に食べ物のにおーい、音にーは気をつけてー」の後、吉田君と一緒に「ドーン!」とユニゾンしてみたりして。
それにしても、自分一人しか観客がいないような場合、もぎり嬢が「お客様・・・実は、チケットを買われた方が、お客様しかいらっしゃらなくて・・・。お代はお返し致しますし、あ、これは詰まらないものですが、なんとかこれで、上映中止の方向でご了解頂けないでしょうか。」とか声を顰めて頼んで来たりするんじゃないかって勝手に思ってたんですが(だって一人分の料金でフィルム2時間回したら、きっと赤字でしょう?)、そういうことはないんですね。
映画自体はよくできていたりするところが、また浮世の不思議なところではである。

2011年12月13日火曜日

100/0

 「映画50/50 フィフティ・フィフティ」を観てしまった・・・。
 若者のガン患者の闘病生活をコミカルに描く、という触れ込みなのだが、そのユーモアに満ちた日常が、むしろリアルに感じた。ガンは、現代の結核とも言うべき「死に至る病」。だが、患者の毎日は、ある時点まで、今までと変わりなく流れていくのだ。
 自分を裏切った者に対し、心の底から気遣いつつも毅然として別れを告げる、そんな主人公の強さに、心を打たれた。
 いい映画。

2011年12月11日日曜日

Life is a maze and Movie is a riddle

 11月も終りに近いある日、深夜テレビで「ジェロニモ」という映画が上映された。19世紀、南北戦争前後に勇名を馳せたアメリカ先住民の戦士、アパッチ族のジェロニモを描いた1993年の作品である。ジーン・ハックマン、ロバート・デュバル、ジェイソン・パトリック、マット・デイモンと豪華競演、ジェロニモ役はウェス・スチュディ(私の大好きな「ヒート」にも出ています)。
見所はたくさんあると思うが、基本的にジェロニモの人生のクライマックスを史実に忠実に描くため、映画としてはアンチクライマックスになってしまうという、まあ「based on a true story」にはありがちな展開となっていて、それが本作の本国アメリカにおける毀誉褒貶の激しさにもつながっているようである。
そんなことを考えていて想起されたのが、現在公開中の「マネーボール」である。
これも同様に実話の映画化なのだが、ご存知の通り、この映画は同名の「マネーボール」というドキュメンタリー本が原作となっている。そしてこの原作を読んだ人が一様に述べるのが、「あの本からこんなにドラマチックな映画ができるなんて」という驚きである。
主人公のビリー・ビーンがGMを務めるオークランド・アスレチックスは、この映画で描かれている2002年に一応地区優勝したものの、プレーオフであっけなく敗れ去っているので、本来なら大したドラマにはできないのであるが、それを無理やりシーズン20連勝のかかる大一番にクライマックスを持ってきて、大げさに盛り上げるのである。
そういう言い方をすると白々しい映画だと思われてしまうかもしれないのだが、そこはさすがハリウッド、ええっと思うまもなく、素直にカタルシスを得られるつくりになっていることは言うまでもない。これから観に行く人は(もうそろそろ終りだが)安心して行って欲しい。実際この映画は、当初ソダーバーグが撮ることになっていたが、スタジオが脚本に難色を示して降板の事態となったそうである。どんな脚本だったかは分からないが、せっかくのベストセラー本の映画化が、「フル・フロンタル」みたいになったら困る、かもしれない。

そんなわけで、激動の時代を生きたアメリカ先住民の人生の最高潮期が淡々と、取り立てて何もおきなかったようにも見える球団の一年が劇的に描かれる、こんな懐の深さが、映画の魅力ではないだろうか、などと思うのである。

「ジェロニモ」(原題は「Geronimo: An American Legend」。なぜかWikipedia日本語ページには記事がない。英語版はhttp://en.wikipedia.org/wiki/Geronimo:_An_American_Legend)は、上記のとおり見所は満載であるが、ジェイソン・パトリックのカリスマチックな演技は特筆もの。マット・デイモンはこのあと「戦火の勇気」だの「グッドウィル・ハンティング」だの「レインメーカー」だのに出ることになる。このイノセントな、だが芯の強さを感じさせる笑顔が、この映画でも欠かせない魅力となっていて、さすがはウォルター・ヒル監督、確かな演出力だ。

「マネーボール」は、野球場という、それだけでスペクタクルになってしまう被写体を、効果的に画面に配して、素晴らしいビジュアルとなっている。ジョナ・ヒル演じるピーターが初めてオークランド・コロシアムを訪れてスタジアム内の廊下を歩くところとか、ブラット・ピットがスタンドやフィールドを歩くシーンなど、絵画のように素晴らしく、「ああ、映画だなあ」と思わされる。できれば映画館で、しかも前の方で観たい映画。

蛇足ながら、「マネーボール」には、セイバー・メトリクス理論(一言で言えばデータ野球。アメリカより20年以上前からこれを実践していた野村克也監督は偉大だ・・・)でチーム改造に乗り出したアスレチックスが開幕から負けが込み、GMのビーンがバーか何かのテレビで試合を見ながら落ち込んでいるシーンで、我らがイチローがテレビでアップになる。2001年にメジャー移籍したイチローは、初年度から打ちまくって、新人王はもちろん首位打者・盗塁王も取ってMVPに輝くという偉業を達成。2001年はマリナーズも116勝46敗(勝率.716)で地区優勝しており、同じアメリカン・リーグ西地区に属するアスレチックスの視点で見れば、2002年シーズン開幕当初時点では、もっとも憎たらしい男と言っても過言ではないわけである。
ともかく、いつもは頼もしいイチローが、視点しだいでは不気味なアジアン・スラッガーに見えるというのも、この映画の面白いところである。

2011年7月27日水曜日

沈黙は蝶

 映画『パピヨン』を観た。
 不思議な雰囲気を持つ映画。逃亡したパピヨンが南米のどこか(コロンビア?ベネズエラ?)の海辺で出会う原住民たちとのシークエンスでは、言葉が一切話されない。
 それは、一見パラダイスのように見せながら、その実、脱走囚人が罰として入れられる、一切の言葉の禁じられた独房とパラレルなのだ。

2011年7月12日火曜日

リアル?

 映画『テンペスト』を観た。
これ、私には皆目理解できません。

1つ言えることは、シェークスピアの戯曲のセリフを映画でそのまま読み上げると、全く感情移入できないし、感情の変化も全く説得力を持たない、ということ。まあ、作った方も感情移入して欲しいわけじゃないんだろうけどさ、多分。

数週間前に見たスピルバーグの『激突!』が、主人公(というか、ほぼ唯一の登場人物ですが)の感情の動きをいかに見せるか、という映画だったのと対照的だった。

と言いつつ、何かが気になってシェークスピアの原作を買ってみたりする私なのであった。

ところで、英語の教材でこの映画を観た二人の男女が英語でトークする、というのがありまして、その中で、両性具有的に描かれるエアリアルという妖精の胸が、シーンによってちょっと膨らんでる(両性具有ならおっぱいでしょ、というのは安易な気もする)のを男性が指摘すると、女性の方は「気づかなかった」って言っていました。これが男女の目線の差というものでしょうか。

2011年6月12日日曜日

これが世間だよ

 言い忘れた。
『もしドラ』上映終了後、大学生くらいのお兄ちゃん二人組みが、
「『みなみさん』とか言ってっからよ、そりゃおめえだろって笑っちったよ」
と言ってました。
言うまでもなく、峯岸みなみが、「川島みなみ」(キャスト:前田敦子)に呼びかけるシーンについての発言です。
それがこの映画観て第一の感想か。

「これが世間だよ」(有吉弘行)

みなみは感動するのが仕事だった

映画『もしドラ』(「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」)を観た。
とてもよくできた映画で、クライマックスはもちろん、前半もサクサクとストーリーが展開していく様は見事だった。映画というのは必ず中だるみするもの(ナイト・シャラマン)であるからして、ここをうまく突破するのは大変難しいことである。
主演の前田敦子の演技も大したもので、最初の5分位であまりのうまさに「おおっ」となる。『マジすか学園』などと比べると(前田の演技はAKB全体の中では上の方だと思うが)格段に良い。監督の演出力の確かさをそこにみた。(とは言え峯岸みなみの方は若干苦しい。『マジすか学園2』ではそんなに悪くないように思えたが・・・。)心に闇を抱えたみなみ役は、内に秘めたタイプのあっちゃんによく合っている。
野球ムービーということで、野球シーンのリアリティーも重要なのだが、まあ『メジャーリーグ』シリーズレベルを求めるのは無理と言うものだろう。『ルーキーズ』よりはましであったとは言っておきたい。そもそも、野球選手のリアル感は、単に投打のフォームだけでなく、選手の肉体(特に尻のでかさ。他に身長・肩幅・日焼けなど)、さらに何もしていない時の選手の所作(グローブをひん曲げる・帽子のつばをひん曲げる・ユニフォームのズボンのすそを直すなど)に現れるものである。野球をやっているとグローブの形がすごく気になって、始終嵌めてないほうの手でギュウギュウやって形を直すんだよね。それと、注意したいのが、グローブを反対の手の拳でポンポンとやる、あれである。あれは、一目見るだけでやったことのある人かない人かが分かる。なにが違うんだろう・・・。
映画の話であった。ストーリー展開については、以前原作段階からの欠点について一点苦言を呈したところであるが、映画になってみると、あれがないとストーリーとして持たない(要するに2時間持たない)のだろうな、という気がする。とにかく、主人公は選手でなくマネージャーなのであるから、ラストの試合で大活躍というわけにはいかない(特にこの映画では。後述)。

映画を観るまで気づかなかった点を1つ。
主人公は、友人の夕紀から「野球部がもし(目標とした)甲子園への切符を手に入れられなくてもいいと思う。大事なのはプロセスだと思う」と言われて、「自分としては結果を大事にしたい」と反論し、後で猛烈に後悔する羽目になる。ドラッカーからすれば主人公が正しい、なぜ後悔するような展開にするのだろうか、と当初思っていたが、よく考えると、夕紀も正しいのである。
すなわち、マネジメントとは、明日のために今日決断することである。つまり、不確実な未来のために今なすべきことをなすのがマネジメントなのである(と、まさにドラッカーの『マネジメント』に書いてある)。最善を尽くしても、結果として失敗することはある。成功のリスク(可能性)に賭けて今最善を尽くすことがマネジメントにとって最も重要なことなのである。今、という一点でみて見れば、マネジメントとは、まさに結果に至るプロセスでしかありえないなのだ。実際、県予選の決勝、マネージャーのみなみに、(ベンチで選手の心の支えとなる、という点を除けば)何の出番もないのである。彼女は、ただ結果を見守り、感動する(まさにこの時みなみも野球部の『顧客』となっているのだ!)他に、何もすることはない。これが、この映画のストーリー中最もドラッカー的なところであり、よって下世話な世間に媚びない真摯・誠実なところであり、よってこの映画のもっとも感動的なところなのではないか、と思う。みなみが監督や選手に代わりなにかアクションを起こしてそれで試合に勝っていたりしたら、かなりのトホホ映画になっていたろう(それをやってしまったのが、信長も光秀も死の瞬間に主人公を思い出すという俺様(?)ドラマ『江~姫たちの戦国~』である)。
そう考えてみると、昨今政治家(マネジメント!)の資質として盛んに言われている「リーダーシップ」というものも、よく考えて使う必要がある。リーダーシップで物事を解決したと外部の者に一目瞭然分かるようなのは、真のリーダーシップとは言えないのだ。この映画のみなみのような活躍こそ、本当のリーダーシップなのである。
それにしても、映画中盤、監督(高校教師)の采配に憤慨する後輩マネージャーに対し、「監督をマネジメントできなかった私たちの責任」と言い切る高校生女子マネージャーみなみの潔さ!昨今の政治情勢に対し、「政治/与党/総理/マスコミが駄目だから」で済ませている人々は、これを観て猛省すべきではないだろうか。「この程度の国民にこの程度の政治」の語もある。

また話が飛んだが、みなみの反論「結果にこだわりたい」も間違いではない。実際のマネジメントにおいては、ある結果に向かって取り組みを行っている最中でも、時間の経過とともに状況は刻々と変わっていく。一度決めたことでも、状況に応じ日々て新たな対応をしていくことが必要なのである。つまり、「一度決めたことを一生懸命やってるんだからいいじゃん」では済まないのであり、全ての行動が目標の達成に最適なものとならなければならない。その意味ではやはり「結果にこだわる」ことが必要なのである。要するに、マネージャーの主観では結果思考で、それを外から見る者はプロセス思考で考えればよいのではないだろうか。

本作は200万部超のベストセラーの映画化であり、主演は国民的アイドルグループの中心人物、というわけで、それなりのヒットが期待されているわけであるが、読者=映画ヴューワー、ではなく、AKBファン=前田敦子ファン、でもない。実際、初期動員は若干苦しいようである。(まあそもそも映画は典型的な「アドベンチャービジネス」であるからして、どんな映画だろうと、必ず当たるという見込みなど全くないのであるが・・・)いい映画だと思うんですけどねえ。

なお、大泉洋は毎度ながら演技がうまい。原作・アニメでこの作品に触れていた人は、「ああ、監督はこういう人だったんだ」とあらためて納得したはず(理科室のシーンの演技など本当にうまい)。第二の竹中直人は君だ!!

2011年4月4日月曜日

開くの10時か

 映画「ディアボロス」で、勝つために手段を選ばない弁護士(キアヌ・リーブス)が、ヤギを生贄にして邪教の祈祷をしようとしてNew York City health codes(訳は衛生法だったかな?)で起訴された被告人を弁護してこう言った。

「彼がやったことは検察官から見れば異常かもしれない。それは割礼とか、ワインが血に変わったとかいう話ほど耳慣れたものではない。しかし、彼は信教の自由の下に認められた権利を行使したのであり、それを罰しようというのは憲法の保障する自由の侵害である。」(記憶で書いているので多少違うかもしれないが、まあ大体そんなような弁護だったと思う。)

後ほど、キアヌはこの弁護をアル・パチーノ演じる弁護士事務所長から批難される。邪教の動物虐待と聖書の話を同列に論じるなんて、何たる非倫理的行為、というわけだ。

しかし、信教の自由の建前から言えば、まさにキアヌの弁護の方こそが正しい。キリスト教が正しくてヤギを生贄に捧げる宗教が間違っている、とは限らない、全ての価値は相対的である、というのが信教の自由、さらに言えば、全ての自由権の前提だからである。

(無論、信教の自由の範囲内なら何をしてもいいというわけではない。より優先すべき価値を侵害していれば、その行為は制限され得る。)

このように、全ての価値は相対的であるという価値相対主義の考え方に立つとき、大事なのは手続きの保障ということになる。例えば、どの選択肢が正しいかは絶対的には決まらない、ということになると、じゃあ多数決で決めよう、ということになる。

何が言いたいかと言うと、リビアのことである。

2011年4月3日日曜日

AmeriKKKa's Least Wanted

今日DVDで「Vフォーヴェンデッタ」を観た。

それでふと思ったんだけど、今アメリカでは、オバマ大統領が経済的自由に対する規制を拡大する政策を採っていることに対し、非アメリカ的だとして反対する勢力が拡大している。のだが、彼らは、ジョージ・W・ブッシュ大統領が愛国者法とかを成立させて市民のプライバシーに対する政府の制限を拡大したり、米国外にある米軍基地でテロリストの容疑がかかった者に拷問したりしていた時、当時の政府の政策に反対したのだろうか。ブッシュ反対のティーパーティー運動などあったのか?

彼らの主張にはどうも矛盾があるようである。

アメリカ保守層の左派政策への嫌悪感や、もっと露骨に言ってしまえば黒人大統領に対する人種差別などがこの問題の背後に横たわっているのだろう。

ただ、それとは別に、この件には、日本とも共通する点がある。

自由権については、「二重の基準」を適用すべきというのが、日本憲法学界の通説と言ってよい。精神的自由権には「明白かつ現在の危険」とか「より制限的でない他の選び得る手段」などの基準により、自由権の制限に対する合憲性の判断は厳格に行うべきである一方、経済的自由権については、「合理性の基準」など、基本的に立法・行政の判断を尊重すべきである、というのである。

しかし、例えば法令違憲になった過去8件を見てみると、


1. 尊属殺人重罰規定     2. 薬事法距離制限規定     3. 衆議院議員定数配分規定
4. 衆議院議員定数配分規定 その2     5. 森林法共有林分割制限規定
6. 郵便法免責規定     7. 在外邦人の選挙権制限     8. 非嫡出子の国籍取得制限


平等権関係・・・1、3、4、7、8
経済的自由・・・2、5、6、

というわけで、経済的自由権は三度も違憲判決が出されたにもかかわらず、精神的自由権の制限は、違憲とされたことはない。

つまり、「白いアメリカ人」同様、経済的自由の侵害は厳しく批判するが、精神的自由の侵害には寛容なのだ。

思えば、精神的自由は、なくても生物としての人間は生きていけるものである。精神的自由は、強く抑制されれば、あきらめられてしまうことも多いのだ。
他方経済的自由は、金の問題である。侵害されて黙ってはいられないという人が多い。従って裁判所も一定の配慮をせざるを得ないのだ。

しかし、なくても生きていけるものだからこそ、それに命を掛ける姿は尊く、美しいのではないか。「Vフォーヴェンデッタ」にはそれが描かれている。

少なくともアメリカでは、「Vフォーヴェンデッタ」のような映画が作られている。日本で商業的意味でトップクラスの映画作家(「Vフォーヴェンデッタ」の製作は、「マトリックス」をヒットさせたウォシャウスキー兄弟)が、こんな映画を作れるだろうか。

なお、エンドロールで流れるストーンズの「Street Fighting Man」は、

Hey! think the time is right for a palace revolution
と革命を呼びかける(フランスはパリの五月革命への共感を示した歌と言われている)歌。


2011年2月27日日曜日

Get out of my Typecast

 『恋とニュースのつくり方』を観た。
ワーキングウーマンの共感を狙ったラブコメディーで、コピーは

 「憧れの恋と仕事を手に入れた、テレビプロデューサーのベッキー
しかし、視聴率をUPしなければ、
恋も番組も打ち切りに――!?」
(パンフレットより)

もう大体内容は分かった、というあなた、実際ストーリーは基本的にあなたの予想を超えるものではありません。

それでもやっぱり面白かった。これぞハリウッドムービーというものでしょう。

ダイアン・キートン、ジェフ・ゴールドブラムも脇役で出ていますが、何より偏屈オヤジのニュースキャスター役でハリソン・フォードが脇で出ているというのが凄いところ。1本20億円とも言われる彼が、このこじんまりした映画で(D.キートン、J.ゴールドブラムともども)幾ら貰っているのか、興味深いところではあります。

ハリソン・フォードと言えば、巻き込まれた事件をタフ・アンド・クレバーに解決する正義漢(『エアフォース・ワン』ではついに大統領に!)、という役どころが染み付いていて、最早(超大物なのであまりはっきりとは言われないが)タイプキャストの一典型と言っても過言ではなかった彼だが、ここでは頑固爺いの役を声色まで変えて熱演しています。金につられて出たくない朝の情報番組にいやいやレギュラー出演するくだりなど、セルフ・パロディーとも言えましょう。
80~90年代は彼の時代だったとも言えるわけだが、その男らしさ、誠実さ、ユーモアのセンスとともに、こういう軽やかさこそが、彼の魅力なのだろう。

ハリソン・フォードがこんな映画に出ているなんて、すごい事だな。そうか、彼との丁々発止のやりとりで笑いを誘う情報番組のホステス役も、D.キートンぐらいじゃないと釣り合いが取れないんだな。

この映画で主人公のイケメン彼氏役で出ているパトリック・ウィルソン、どっかで見た顔だなと思っていたら、『ウォッチメン』のナイトアウル役の彼だった。痩せたね!!

2011年2月24日木曜日

GREED

 今日はオリバー・ストーン監督の『ウォール・ストリート』を観た。
面白かったけど、環境保護派対マネーゲームみたいないかにもなストレートさがストーン節か。逆にラストはいささか娯楽色が強く出た。『プラトーン』というよりは『エニイ・ギブン・サンデー』か。

主人公たちの行動の動機付けが弱い、というか、その理由でそこまでやる?的な部分がいくつかあり、脚本はもう少し練る余地があったのでは、という気もする。
ただ、高速で変化するNYの風景、やたらと激しい音とともに挟み込まれる地下鉄の車窓の光景などが何度も登場し、真に人の異常な行動を決定付けているのは、NYという都市のエネルギーなのだ、と言っているようにも見えた。

前作でベビーフェイス役だったチャーリー・シーンがワンシーン出ているが、もろ悪人面に変貌してしまったためか、役柄も堕落したっぽい感じで描かれていた。そうだろうなあ。

ジョシュ・ブローリンが好演。

2011年2月8日火曜日

aura

 月曜日から『DOCUMENTARY of AKB48 to be continued』など観に行ってしまった。
 一応ドキュメンタリーと銘打ちつつ、インタヴューシーンは若干芝居がかっているところもあるが、秋葉原の劇場公演のところは想像以上にやけに生々しい。音声もラインを通さず劇場内のスピーカー音をそのままマイクで拾っているし、なにしろメンバーが後ろを向いた時の背中の肉とか、年長メンバーの若干の顔のテカリ具合とか、ドアップの顔の(これまた若干の)肌の荒れ具合とか、気取ったアイドルのテレビドキュメンタリーとは全く異なっていた。これが逆にハマっていて、よりメンバーも輝いて見えた。そんなところが被写体としてのAKBの魅力なんだろう。
 まあインタビューシーンも映画館の大画面であるからして、やはりいかに最近の大画面TVと言えども、ここまで美しさにはっきりと差は出ない。小嶋陽菜は完璧に綺麗。こじはるは内面の方もいつも突っ込んで表現されていて、この映画で得した口。
 そんな中、やはり後半に登場する前田敦子のオーラが一際異彩を放ってました。発言も彼女だけ自信溢れる語り口で、やっぱりAKBはあっちゃんなんだな、と感じた。チーム単位で見ても、チームBが名曲と言われる「初日」を歌うシーンもいいが、やっぱり後半に出てくるチームAはオーラが違った。
 それにしても、前田あっちゃんは東京タワー付近、麻里子様(彼女も綺麗に映っていました)は隅田川河口付近でイメージショットやインタビューなど撮影していて、東京在住者には見慣れた風景。そんな中、柏木由紀ちゃんは桜島をバックに、「灰だ」とか言ってて、それはそれで可愛かった。

 ひとつ残念だったのは、小野恵令奈の脱退について全く言及がなかったこと。このドキュメンタリーの映像は2009年の年末から2010年一杯(板野智美がソロ曲「Dear J」を歌っているシーンあり)かけて撮られたので、恵令奈ちゃんの脱退はまさにその間に起こったのだが、彼女の映像は登場するものの、それ以上の説明はなかった。彼女の脱退を掘り下げれば、AKB48運営サイドにとっては余り好ましくないエピソードなのかも知れないが、映画としては深いものになったと思う。岩井俊二(製作総指揮)ぐらいでは無理なんだろうな。深作とか大島渚クラスじゃないと。
 

2011年2月5日土曜日

ふざけて ばかりじゃ 馬鹿馬鹿しいだけ

 「映画秘宝」を読んだのは、前の日に町山智浩&柳下毅一郎の「ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判3」を読んだからなんだけど、このシリーズ、対談(漫才?)形式で読みやすいものの、何ていうか、読み終わった後、いつも空しくなる。時間の無駄というか。
 ああ、映画って、そんな見方もできるんだ、というような感動が全くない。
 FBBの2人が、映画の知識だけは豊富で(まあそれはいいことですが)、そのくせ独自の映画観みたいなものが全くないので、あら捜し、元ネタ探し、マニア向けジョークばかりとなる。これぞ悪い意味での「おたく」の典型。
 このシリーズを読むといつも思い出すのが、雑誌「Number」から出てた、サッカー名勝負のビデオ。86年W杯のフランスvsブラジル、同年W杯アルゼンチンvsイングランド、82年W杯のブラジルvsイタリア、などの名試合が、選手経験のないサッカー記者みたいののしょうもない解説により、汚される汚される。なまじ知識だけはあるが試合感覚みたいなものがないため、どうしても個々の選手の小ネタとか、内輪ウケ的なジョークに話が流れ、試合の流れのようなものは全くコメントできない。聞いててウザかった。にもかかわらず、NHKが生で放送してた際の解説者を批判してたりして・・・100万年早いんだよ。ほんと人って、我が身を振り返るのは難しいんだナ・・・。製作者もキモさが十分分かっていたのか、解説抜きでも再生できるようになってました。それに気づいた時、とってもうれしかったぞ!

 話が横にそれたが、ファビュラス・バーカー・・・の本も全く同じ。
 「昔の映画は1本見ると確実に成長したような気にさせてくれたもんだよ。」(317頁)とか言ってるけど、この本を作った者たちこそ、この本が読者をそういう気にさせてくれるか、よく考えるべきだろう。

閉じ と 開き

 今日「映画秘宝」の最新刊を読んだら、当然のごとく『キック・アス』が年間ベスト1映画に選ばれてた。
 はいはい。いかにもですね。

 一番面白かった記事は成海璃子の選ぶ年間映画ベスト10。見たらぶっ飛ぶ。さすが「スターリン」好きの18歳(注:今は2011年です。て言うか、80年代でもスターリン好きな18歳の女なんて日本に何人もいなかったはず。)

2011年1月24日月曜日

白いアメリカの望むクラブ

 『ソーシャル・ネットワーク』を観た。感情が揺さぶられる傑作。映画冒頭のハーバードの夜の景色は、デジタル撮影なのか、ベッタリライトアップされておらず、とても美しい、絵画のようなシーンでした。デビッド・フィンチャーは、『ベンジャミン・バトン』もデジタル撮影してたはずだが、同作冒頭にあった夜のシーンはもっと普通だった。(ちなみに『ベンジャミン・バトン』中盤、父親を海辺に連れ出すシークエンスの、車を降りた瞬間のカット、あれこそデジタル撮影でのみ可能なライティングというべきだろう。)これが技術の進歩というものだろうか。
 余談だが、この映画で描かれているハーバードの階級社会には驚かされた。
 アメリカって、こういう国なんだなあ。やっぱり、アメリカを映画とハリウッドだけ通して見るのは、危険だ。金髪碧眼大柄の、もろアングロ・サクソンの上流社会出身者ウィンクルボス兄弟を演じるアーミー・ハーマーは、今の映画界では大物になれるはずもなく、パンフレットで紹介すらされていない。しかしアメリカ社会を動かしているのは、おそらくこういう人たちなんだろう。




と思ったら、その後「ローン・レンジャー」の主役にもなったアーミー・ハマーであった。

2011年1月17日月曜日

Man, I don't know any Bachs. You don't know the guy who shot the Rep., either.

 バッハの曲なんてほとんど知らないけど、彼の「G線上のアリア」と言えば、映画『コラテラル』の序盤に出てくるジャズバージョン(「Air」  Klazz Brothers & Cuba Percussion演奏)が素晴らしいです。『コラテラル』のサントラに入っています。Please check it out!!

2011年1月15日土曜日

Manga-beating has been around for 10,000 years

 映画『キック・アス』の中で、コミックブック初心者のヒロインの女の子ケイティが、字幕によれば「スコット・ピルグリムと少女漫画を読んでみたけど」というシーンがあった。
 その時、「少女漫画」が英語でも「sho-jo ・・・」というふうに聞こえるんです。
 そこでネットでいろいろ調べてみると、「Scott Pilgrim and Shojo Beat」と言ってるらしい。
Shojo Beatというのは、集英社と小学館がJVで作ったアメリカの会社VIZ MANGA社がアメリカで発行していた漫画雑誌。
「Shojo Beat(ショウジョ・ビート)はVIZ Mediaが北米で発行していた月刊少女漫画誌。2005年6月に創刊され、それまで英語圏に存在しなかった少女漫画市場の開拓に寄与したが、2009年6月に発売された7月号で休刊となった。」(ウィキペディアより)。

 『キック・アス』の全米公開は2010年4月16日なので、公開時には既にShojo Beatは休刊してたんですね。

 単なるヒーロー映画でなく、こういうマニアックな情報(作中にはガンオタク垂涎の銃コレクションも登場)が、復讐譚や少年の成長などの普遍的なテーマとともに描かれているところが、この映画のヒットした秘密の1つなのではないだろうか。

 ちなみに、Wikipediaによれば、Shōjo mangaも英語になっているようです。(ここ参照)

 ウィキペディアによれば、この映画に「ロジャー・エバートは4つ星満点で1つ星を与え、本作が「道徳的にふとどきである」と批判した」そうだ。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%B9_(%E6%98%A0%E7%94%BB))

 道徳的にふとどき、とは、morally reprehensible。

 引用元のエバートの記事を読んでみると、11歳の少女が人を無情に撃ち殺すところが気に入らない、ようである。
 例えば、音楽も引用されていた『夕日のガンマン』なんかも無情に人を撃ち殺す主人公が、最後に死体を荷馬車に山積みにして去っていくわけだが、エバートは夕日のガンマンも星ひとつなのだろうか。それとも子供の場合だけ「morally reprehensible」なのだろうか。なぜだろう。子供が純真で人殺しができないことが倫理的なのだろうか。

 エバートは、映画の最初の方はコメディー映画としていい出来だと思っていたので、その後ダークになってきて悲しくなった、と書いている。私に言わせれば、そんな浅い批評をする人が「アメリカで最も有名で、信頼される映画評論家」(ウィキペディアのエバートの項)という事実こそ悲しい。

I'm ready, ready for the big shot baby

 昨日また『キック・アス』を観に行った。今回も面白かった。

 この映画、やっぱりBテイストのような気がする。登場するスーパーヒーローの一人「ビッグ・ダディ」のコスチュームがバットマンもどきだからっていうのもあるんじゃないかな。『ウォッチメン』も、予告編を観た時にB級だなーと思ったんですが、それは「ナイトアウル」のコスチュームがバットマン風に見えたから。まがい物っぽい感じに見えたんですね。

 この映画では、「ビッグ・ダディ」が変身する時に鏡を見ながら目の周りを塗っていくというシーンがあった。ヒーローもので、こういうシーンが描かれたことがかつてあっただろうか。
 その後、「キック・アス」のデイブが、殴られた顔を洗おうとして、鏡の中の自分の顔を覗き込むシーンがある。その後のシーンでは、顔の血がそのままで、洗ってきれいにした様子が見えない。
 思えばビッグ・ダディは、ヒーローというよりは、罠に嵌められ、妻を奪われた復讐者であった。かたやいじめられっ子のデイブ。彼らがスーパーヒーローになるためには、自らの顔を覗き込み、顔に何かを塗る儀式が必要だったのかもしれない。怖いもの知らずの「ヒット・ガール」にそんなシーンは全くないのでした。

 映画館から出る時に、観客の女性の一人が「あのお父さん、なんか見たことある。」と言っていました。ニコラス・ケイジ知らないとは!それともやっぱり、まさかこの映画に超大物が出てるとは思わなかったのかな。『ザ・ロック』『コン・エアー』『フェイス・オフ』『ナショナル・トレジャー』のニッキーですよ。って、こりゃみんなB級か。

 個人的に好きなのは、『ランブル・フィッシュ』のスモーキーです。