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2011年5月15日日曜日

サタデーイブニング

 このブログの書き込み時刻を見れば分かるとおり、私は土曜日は遅くまで起きている性質である。よって、日曜朝のテレビ番組など観ない。のだが、先週は故あって「サンデーモーニング」なる番組を観る羽目になった。のだが、驚いたことに、(いや、驚くようなことではないのか・・・)前にこのブログでそのインチキ江戸賛美・現代日本批判を暴いた(と私が勝手に思っている)田中優子先生がコメンテーターとして出ていた!世も末ですな。まあ、この番組では他にも、野球解説者が、わかりもしないサッカーやスケートについて偉そうに一言述べたり、公共の電波を使って漫画家に倒閣発言させたりしてた(これが放送法の求める公平な放送なのだろうか)し、そういうゲス番組だから仕方ないと言ってしまえばそれまでであるが。
田中優子氏は、なんか、日本政府が外国の新聞に被災地支援への謝意を述べた広告を出した際、台湾に出さなかったことに「憤りを感じる」とかなんとか言っていた。私から見ると、財政赤字がこんなに膨らんでんのに、広告費なんかで金の無駄遣いするなよ、という感じである(特に、台湾の新聞は党派性が強く、一紙のみ出すというわけにはいかないのだとか。中田宏ブログより)が、田中氏の世代の人(1952年生まれだというから59歳か)の人は政府には幾らでも金があると思っている人が多いようである。

なお、日本政府が感謝広告を出したのは、

The Wall Street Journal、The International Herald Tribune(米)、
Financial Times(英)、
Le Figaro(仏)、
人民日報(中)、
Kommersant(露)、
朝鮮日報(韓)。

世界でもっとも読まれている米紙が2紙入っているのを除けば、異彩を放っているのは朝鮮日報であろう。それ以外は、全て国連の公用語である。他に公用語であるスペイン語、アラビア語紙が入っていないのは、どの国の新聞に出せばいいか分からなかったからであろうか。

2011年4月4日月曜日

アキれた「民間企業」感覚

 日刊ゲンダイのHPに「『全国健保協会』つまらないお詫びハガキで壮大なムダ」
という記事が載っている。(2011年3月4日掲載)

http://gendai.net/articles/view/syakai/129211


「全国健康保険協会」というのは「民間企業のサラリーマンで勤務先が健康保険組合に加入していない人が入る組合」だそうだが、2月に出したハガキに「様」とか「御中」とかがついていなかったので、ミスを犯した大手印刷会社の費用でお詫びハガキを出しなおしたのだそうな。費用は、ゲンダイの試算では総額で1100万円以上となる見込みだそうだ。

この記事には多少(というか多々)問題がある。

まず

「アキれた金銭感覚」

という副題がついているのだが、費用は「大手印刷会社」が負担しているというのだから、金銭感覚は関係ないだろ。さらに、

どこが負担するにせよ、このコスト感覚が分からない。しゃくし定規の殿様感覚ではないか。」

と書かれているが、どこが負担するかで全然ちがう。

 「これって、フツーの会社でありえるだろうか。」

ってあるけど、全然ありえるよ!!!

他にも突っ込みどころは多い。

 「公益法人の問題を追及しているジャーナリストの北沢栄氏はこう言う。
『社会保障費は切迫しているのだから、お詫び状を出さず、その分の料金をディスカウントしてもらえばいいのです。1100万円は大きな金額です。そもそも仕事を丸投げして、チェックもしないからこんな事態に陥ったのです。民間企業では他社に委託しても社員がサンプル調査をするのが常識。机の上にふんぞり返っているから起きたトラブルで、業者イジメとしか見えません」

そういう、北沢氏の言うような金の出し方・受け取り方は、法人税法上、費用で落ちない・贈与となる、という問題をクリアできない。企業において、税金の問題はもっとも気を使うところである。この「北沢栄」という人は、企業で働いたことがないのだろう。なにが「民間企業では・・・常識」だよ。

だいたい、「大手印刷会社」って、○○社か××社じゃないの。目茶目茶金持ってるぞあいつらは。全然「業者」とか「イジメ」っていう感覚じゃないよ。それに1100万円分金出させるっていうなら、「大手印刷会社」の負担はおんなじじゃん。

おかしいのは、サンプル調査するのが常識、と言っておきながら、その直後に

「全国健康保険協会は社会保険庁が行っていた健康保険部門の合理化・効率化を目指して08年に設立された。何が合理化だと言いたくなる。」

と書いているところ。ギリギリ合理化したら、「サンプル調査」要員もいなくなるんじゃ?



2010年10月21日木曜日

当たり前田の勉強家

 以下、曾孫引きである。
 摂津の国に住んでいたある富豪は儒学に長じていたが、彼が死んだ時にある老婆がこう言った。「これほど学問なさってさえもよい人であったのに、もし学問なさらなかったなら、どれほど善い人であったかなあ。」(「 」内は伴蒿蹊『近世綺人伝』を引用する渡辺京二『江戸という幻影』を引用する齋藤愼爾「或る〈反読書論〉の試み」(てんとう虫2010年11月号)より引用)。
 渡辺氏は「そんなふうに学問なんぞわからずにすむ世界が、この時代には厳然と存在していた。そのことに私はなにか目のさめるような思いを覚える」と言っているそうです。齋藤愼爾氏も「こういう言葉を『畏ろしい』といわずして何と言おう」などと述べていますが・・・。

 学問などするとろくな人間にならん、って、たしか『それから』の主人公の父親もそんなようなことを言ってたんじゃなかったっけ。学問をすると立派な人間になるなどというのは、学問が好きな人のたわごと・戯れ言です。何の論理的つながりもありません。そもそも、学問した人がそう言ったら、その時点で単なる自惚れでしょ?オレは立派な人間だ、と言ってる人が立派だった試しはない。
 こういうのって結構多い。「我々の世代はもっと謙虚だ(から今の若い人より偉いのだ!)」「わが国国民は慎ましい(から○○人より偉いのだ!)」 ・・・ どこがだよ。
 ちなみに、血液型に一番こだわるのは、A型の人です。人口に膾炙している血液型別性格では、A型だけが立派な性格とされています。そのせいで、A型の人が自分を立派だというために一生懸命血液型と性格を結び付けようとするのです。日本ではA型はマジョリティーです。そして、血液型別性格信仰があるのは、日本だけ(あと韓国)だそうです。

 ところで、伴蒿蹊『近世綺人伝』は岩波文庫にも入っている。渡辺氏だの齋藤氏だの、今頃こんな基本文献読んで驚いてる(齋藤氏は読んですらいない)ようでは、文化人失格ですな。私?私は文化人じゃありませんから。単なるブロガーです。
 まあでも、近世綺人伝は、今度読んでみよう。

2010年8月25日水曜日

飴が下、迷信まかり通る

 患者に独自の砂糖玉を飲ませる民間療法、ホメオパシーには全く医学的根拠はないとする談話を、日本学術会議が金沢一郎会長名で出したそうだ。
 日本医師会と日本医学会も賛同のを表明したとのこと。

 そんなの当たり前、と言うのはたやすい。
 しかし、朝のニュース番組を見ていると、「今日の運勢ワースト1位は、・・・ごめんなさーい、○○座のあなた」(by高島彩)なんて言って、ごくまじめに星座占いの結果なんかを公共電波で垂れ流している。

 信じる方が馬鹿といえばそれまでですが、そういう情報を発信して、結果的に迷信にお墨付きを与えている人も、やっぱ問題あるよね。
 「人は空を飛べないってことぐらい、ちゃんと学校で教えて欲しい。」(浅田彰)

2010年3月2日火曜日

ゲスゲスした世の中で

 バンクーバーオリンピックも終わったようだ。
 例によって、日本のメダルが少なかった、問題は・・・、原因は・・・と騒いでる人がいるようです。
 毎回言ってよく飽きないものだ。
 国母選手の試合出場がアナウンスされた時、「メダルが取れる選手だからか」などと批判がましいことを言っていた人がいたが、まさか、今になってメダル数が少ないと嘆いている人と同一人ではないだろうな。
 どのスポーツでも、半端な努力で国内トップクラスになれるわけではない。オリンピックに出られるような人は、皆超人的な努力をしている人たちなのだ。それを、世界で三位までに入れなかったからといって批判するのは、はっきり言って下衆である。温かく迎えて、何が悪いというのか。

というわけで、下衆な人
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
産経HPより
「辛酸なめ子さんの話 『期待されながら結果を残せなかった選手に対して批判が起こらず、優しさに満ちあふれた五輪だった。入賞でもメダルを取ったかのようなムード。不況などで暗い話題が多く、日本中がささやかな喜びで満足してしまったのかもしれない。金メダルへの執念が感じられたのは、フィギュアスケート女子の浅田真央選手くらい。レース後に「出場できてよかった」と笑顔で話す選手が目立ち、物足りなかった。』」

何様? いったい何が不満なの? アスリートたちに何を求めてるんですか?

 それに、入賞したらメダルを取ったかのようなムードだなんて、ウソつくな。安藤ミキティや国母選手と、高橋大輔や浅田真央選手でムードが同じだったですか?滅茶苦茶言うなよ。てめー。

 「ささやかな喜びで満足している」んなら、貴様と同じメダルが少ない少ないの大合唱組の存在は何なんだよ。

「今大会は、カーリング日本代表のチーム青森やスノーボードの国母和宏選手のように、外見やキャラクターが目立つ選手にばかり注目が集まった。競技が面白くても、選手に実力があっても、地味だと話題に上らず損をするという構図は、違和感が残った」

カーリングは競技がおもしろくて注目が集まったんでは?

 ホント、こういう自分の欲求不満を頑張ってる人にぶつけて滅茶苦茶なこと言い放つ下衆コメンテーターは絶滅して欲しい。

「スポーツライター」は坑に埋めよ

 自称(?)スポーツライターの玉木正之氏の国母選手の分析(感想?願望?)
 「一応入賞はしたが、何とも思わなかった。それは彼が才能だけに頼ってやっているからだ。筋力トレーニングなど基礎をやっていないのではないか。スポーツは必ず人間を磨くが、それが感じられない。スポーツをきちんとしている人間とは思えなかった」産経ニュースHPより。
 国母選手が筋トレをやっていないはずはない、と思うので(世界はそんなに甘くないだろう)、まずめちゃくちゃな意見であることは間違いない。が、え?「スポーツは必ず人間を磨く」って? この人イっちゃってるよ。
 批判するなら、根拠を示せって?

マラドーナ。

  Q.E.D.

2010年2月20日土曜日

彼はよく頑張った

 国母選手8位入賞。一回目に大技ダブルコークで転倒したとは言え、恐れることなく二度目も同じ技を繰り出し、残念ながら手がついてしまって35点台ではあったが(ちょっと減点しすぎにも思えるけど)、8位は立派だと思います。予選で大技封印のまま42点台を出していたので、決勝一回目は無難に行く手もあったと思いますが、まあダブルコークは練習では10回中10回成功している、と試合前に言っていたので、その意味では本番ならではの精神状態の問題があったのかも。・・・そう考えるとあの大騒ぎさえなければ、という気がしないでもありませんが、本人が潔く「関係ない」と言ってるので、まあそれ以上言うのは野暮というものでしょう。
 とにかく、国母選手はよく頑張った。世界の8位ですから、決して価値は低くない。ここは素直に褒め称えようではありませんか!!

 優勝は前回同様ショーン・ホワイト。前回トリノでも、決勝1回目で優勝を決める得点を出し、二回目は(みんなが期待する中)とくに大技を繰り出しませんでしたが、今回は更なる大技ダブルマックツイストを出してくれたようです(前回批判でも受けたのでしょうか?確かにあれはがっかりでした)。何度観ても何が起こっているのかようわからん。

2010年2月17日水曜日

彼は悪くない!!!

 もうバンクーバーオリンピックが始まっているが、国母選手の服装問題、ネットとスポーツ新聞をえらく賑わせてますね。
 あの服装のどこがいけないんだ?あんなの街中にいっぱい歩いてるじゃないか。公式の場だから、という人がいるようだが、空港とか、単なる移動中でしょう。(街を歩いてるのも移動中だ。)天皇の前で同じ格好できるのかとか書いてる変な人もいたけど、実際天皇の前じゃないし。移動中のEXILEがサングラス掛けてたとしても、天皇の前でも取らないのか、とは言わないでしょう。ルール違反という人もいたが、ルールと言っても、日本選手団公式服装着用規定が「自覚と誇りを持って公式服装を着用しなければならない」というだけだ。自覚=腰履き禁止、と読ませるのは、腰履きしたことのない世代にしか通用しない。
 会見の態度が悪かった、という人もいるが、悪くもないのに無理やり謝らされた人の身にもなってみ。あのくらい不貞腐れて当然だろう。
 代表としての自覚が足りないとかいう人もいるが、彼は国のために出場するわけではないことをはっきり述べている。自分の価値観を人に押し付けるな。
 同じ日本人として恥ずかしいとかいう人は、まず己が恥ずかしくない人間か、よく胸に手を当てて考えてみろ。(自分は恥ずかしくない人間だ、という人は、自国のオリンピック選手がどんな格好していようが、自分は恥ずかしくなどないはずだ。自分に自信がないから、変わりに他人に立派になってもらって、それで自分のプライドを満足させようとするのだ。)大体彼はスノボーがうまいからオリンピックに出てるんだよ。服を着崩さないから、国の威信を高めるのがうまいから出てるわけじゃない。出る資格がないとか言うやつは、彼以上の成績収めてから言え。
 それから、国の金で行ってるんだから、国のためにやっているつもりはないでは済まされない、という者もいるが、彼に税金が使われていることは、彼に対する一方的な恩恵ではない。日本の選手が好成績を収めたら、それでプライドを(なぜか)満足させて幸せになったりするあほな国民がいて、それが国家にとって都合がいい(不満から目をそらせるため、とかね)から金を出しているのだ(まあ他にも、子供に夢を与えるとか、いろいろあるのかも知れないけど)。要は完全にgive&takeであり、感謝しろという筋合いのものではない。
 それを、マナー違反だの、強制帰国させろだのと、何を息巻いてるんだ?「スポーツウエアを乱れなく着ていたが、トレードマークのドレッドヘアとひげはそのまま」(「謝罪」会見を伝える産経の記事)などと、ドレッドヘアと髭までやめろといわんばかりの報道(?)まであった。アホか。逆に、「主義主張に基づいての服装なら、謝ったりせずそれを貫け」、などという人もいた。そんなことしたら、集団ヒステリーの火に油を注ぐようなもんでしょう。それこそ阿呆な目立ちたがり屋に刺されたりしかねない。
 だいたい、国母選手はスノーボーダーだ。アーティストなのだ。しかも典型的なXスポーツだし。オルタナティブなんだよ。スラッシュメタルガンガンかけて、大技決めて観客がヒューヒューいうスポーツなんだよ。ショーン・ホワイトの記者会見のカッコ見ろよ。体育会系の論理であーだこーだ言うのはおかしいでしょ。一昔前のマラソンランナーみたいな修行僧もどきになれとでも言うのかよ。もっと言えば、あのくらいで大騒ぎしてたら、スノボーウェア自体まずいだろう。だいたい、日本選手用公式ウェアって、あの変なジャケットとパンツの組み合わせはなんだ。女子は紫とか赤とかのスカーフなんかもついてて決まってるが、成人男子は、上が淡色で下が濃色の組み合わせはきつい。子供っぽくなる。(高校生ならかわいいが。)一体あれはどこ製なんだ。サッカー日本代表を引き合いに出す人もいたが、確かにサッカー日本代表で移動の際にスーツを着崩しているやつはいないものの、彼らが支給されてるスーツは、(大会によって変わるが)ダンヒルとかヒューゴ・ボスとか(あとゼニアだったかな)だかんね。カッコいいのさ。はるやま(北京の時の公式ウェア支給元)とかと一緒にすんなよ。
 スノボーは次第に衰退しつつあるウィンタースポーツの中で、唯一と言ってもいいほどの人気を保っている。それが気に入らないらしく、スピードスケート(「ミズスマシのようで面白くない」あれです)あたりから、すなわち銀を取った長島や、オリンピックの時だけ人気が出る岡崎から、ここぞとばかりに非難の声が上がっている。みっともない。岡崎など「あっち(スノーボード)の世界はどうか分からないけれど、代表チームのトップの人たちが身だしなみについて指導した方が良い。」などと、露骨に「あっち」の人呼ばわりしている(我々正統派とは異なる、と言いたいのだろう)。
 なお、川端文部科学大臣が、「極めて遺憾だ。国を代表して参加する自覚が著しく欠けていた」「反省している態度ではなかった」と言ったそうで、これが一番腹が立つ。鳩山・小沢に言え!!彼らにぴったりの言葉ではないか!ちなみにお前のところの党首と幹事長だ!!

 まあつい熱くなってしまいましたが、国母選手は、直前の大会でアメリカの選手に混じって(ここが重要。前回トリノでは、日本HP陣は前評判はよかったものの、未知の存在だったアメリカ選手に、蓋を明けて見れば格の違いを見せ付けられてしまった。しかし今回はそうではないのだ)好成績を挙げており、本来活躍が期待できる選手だった。今回こうやって寄ってたかってバッシングして、精神統一ができないようにしてしまったから、いい成績を残すのは大変困難になってしまった。それこそ投下資本が無駄になる可能性が高まってしまったのだ。なんというアホ。
 とは言え、彼も一流のアスリート/アーティストである。並みの精神力ではないはずだ。ぜひこの件を気にせず頑張って、活躍して欲しい。スノボーは、技が決まると本当にカッコいいからね。国母選手はものすごい大技をもっているらしいし。

 国母選手、頑張れ!!

 ちなみに、彼はドレッド・髭スタイルで、今はちょっとお気楽アンちゃん風に見えるが、実は髭を剃って髪をストレートに戻すと、石川遼風イケメンだ。敢えてのドレッドスタイルであることも知っておこう。

 

2010年1月29日金曜日

農林水産省HPに学ぶべきこと

(前回の続き)

 食料自給率とは何か?
「食料自給率とは、国内の食料消費が、国内の農業生産でどの程度賄えているかを示す指標のことです。」(農水省HPより。以下出典は全て同じ。)

 どうやって計算するか?

「3種類の計算方法があります。」

 具体的には?

・重さで計算 「重量ベース自給率」
・カロリーで計算 「カロリーベース総合食料自給率」
・生産額で計算 「生産額ベース総合食料自給率」 

それぞれ日本の数値は?

・重量ベース自給率 ・・・農水省HPでは食料全体の数値は不明。
・カロリーベース総合食料自給率 ・・・41%
・生産額ベース総合食料自給率 ・・・65%
  (上記はすべて最新値(平成20年度概算値))

ということは、
・見方によっては65%は自給できている。
・田中センセーのいう39%(前回参照)って何?
 
 実は平成18年のカロリーベース自給率が39%(史上最低値)。論旨に合わせるため数年前の数値をわざわざもってきたようだ。ズルいなー。

 カロリーベースと生産額ベース、どちらを使用するのが適切なのか、という問いは無意味ではある(何を論じるかによるだろう)が、農水省HPには、生産額ベース自給率の説明として次の記載がある。

(生産額ベース自給率には、)「比較的低カロリーであるものの、健康を維持、増進する上で重要な役割を果たす野菜やくだものなどの生産等がより的確に反映されるという特徴があります。」

 つまり、生産額ベースにもそれなりの良さがあるわけだ。ところが、日本の食料自給率を論じる場合、ほとんど常にカロリーベースが使用される。不思議な話です。

さらに、田中氏のエッセイ中「米以外はほとんど自給できなくなっている。」との記述ですが、農水省統計では以下のとおり。
米 95%
に対し、
かんしょ 96%
野菜 82%
みかん 96%
鶏卵 96%(*ただし下記参照)
牛乳・乳製品 70%(*ただし下記参照)
海藻類 71%
きのこ類 86%
など、米の自給率に引けをとらないものもあります。すなわち、米だけしか自給できないというのは、嘘。

 さらに、田中氏の「飼料や種子や加工食品の原料のことを考えに入れると」(米以外はほとんど自給できなくなっている)という記述についても、少なくとも飼料については重大な誤りがある。

「カロリーベース自給率の場合、畜産物には、それぞれの飼料自給率がかけられて計算されます。」(農水省HP)

 つまり、仮にある畜産物が国産品100%でも、飼料の半分が外国産なら、自給率も50%となる。カロリーベース自給率において、飼料は最初から「考えに入れてある」のだ。
(私はこの、飼料を自給率計算で考慮するという発想はおかしいと思うが、いずれにしろこれに従うと上記*部は、
鶏卵 9%
牛乳・乳製品 29%
となるので注意。)

 以上が田中氏エッセイの明らかな誤りだが、私が思うに、そもそも食料自給率が低い=問題・不安、という田中氏その他の人々の発想自体が間違いである。

 食料自給率が下がる過程としては、次の二つがあり得る。

・国内でみんなが食べる食料が足りず、輸入する他ない!
・別に国内で食糧がまかなえないわけではないだろうが、食べたい物は輸入品。

 言うまでもないことだが、問題であり不安であるのは、前者の場合である。
 (私個人的には、この場合も問題ではないと思うが。後述)
 では、日本はどちらなのか。明らかに後者である。

 典型的なのが、小麦である。小麦のカロリーベース自給率は14%。皆さん一日一食くらい、パンを食べませんか?あるいはパスタ、ケーキ、うどん、ラーメン・・・。三食米を食えば、全体の自給率は上がる。なぜ米を三食食べないのか?小麦製品を食べたいからである。断じて、米が食べたいのに足りないから輸入品の小麦にすがっているのではない。いわゆる「食料安保論」では、急に輸入品が入って来なくなったら大変だ、と言われるのだが、日本人の場合、「その時はしょうがないから米でも食うか」、それだけのことである。
ちなみに、農水省もこう言っている。
「日本においては戦後、食生活の洋風化が急速に進んだという特徴があり、この急激な変化が食料自給率を引き下げてきた大きな要因となっています。日本では昔から主食(ごはん)を中心とした食生活が行われてきましたが、戦後、副食(おかず)の割合が増え、中でも特に畜産物(肉、乳製品、卵など)や油脂の消費が増えてきました。自給率の高い米の消費が減り、自給率の低い畜産物や油脂の消費が増えてきたことにより、食料全体の自給率が低下してきたのです。また、自給率低下の要因は、単に食料消費の変化があったということだけではなく、この消費の変化に生産が対応しきれなかったことも要因の一つであるといえます。
特に近年では、日々の食事の中で惣菜、冷凍食品といった調理・加工された食品の割合が増え、また外食をする機会も増えてきました。こうした中で、これまでの国内の生産では食品加工メーカーや外食店といった食品産業が求める要望に十分に応えられてきませんでした。
したがって、国産の農産物が利用されるよう、こうした食品産業の要望に応えていくことが期待されています。」 つまり、みんなが食べたいのは、日本で作っていない(作れないのではない)外国産の食品なのだ。
ただし、農水省も結論としては自給率低下は問題としている。しかし「問題」の意味が違う。
「消費者が求め、消費者に選択される農産物や食品を供給することが、食料供給産業としての農業と食品産業が発展するための基本です。」
要するに、国の問題というよりは、「消費者(国民ではなく)のニーズに応えていない農業関係者、しっかりせいや。」、ということ、つまり生産者(と、多分政策担当者)にとっての問題として捉えているようです。農業関係者(と、多分自分)という身内を批判していて、ある意味誠実。

 なお、食料安保論が出たのでこれも批判しておく。
 この考え方の根本的間違いは、食料の供給者は、それを日本に売って金を稼いでいる、ということを忘れているという点である。すなわち、日本に食料を売るのをやめると、売り手にお金が入って来ないのである。顧客をスパッと切る、これはおいそれとできる決断ではない。例えば、アメリカが「ソニーとパナソニックとトヨタと本田がいっぺんにアメリカに製品を売らないと言ったらどうしよう」と心配するだろうか。アメリカに製品を売らなかったら、4社とも潰れてしまう。だからそんな心配をする必要はないのだ。
世界経済は持ちつもたれつである。それを、太平洋戦争前のABCD包囲網(日本を海上封鎖しても、ABCD各国は特に損をしなかった!)のような感覚で論じるからおかしな話になるのである。
 その昔イラン革命でイランの日本に対する石油輸出がストップしたが、次の年(だったか?)から、イランの国家予算がその輸出額とほぼ同額削減されたという話がある。今日本に農産物を輸出している国で、農民が日本から1ドルも得られないことに耐えられるだろうか?

 ちょっと田中氏の新聞エッセイから話がそれた。
 いずれにしろ、農水省のHPもチェックしないような人が、ネットで与太話を書くくらいならよいが、偉そうに新聞紙上で(まあ大した新聞じゃないですが)現代の食糧問題など語らないで欲しい。ついでに言えば、江戸時代にも飢饉だの圧政だのがあった事実も踏まえて(思い出して?知っていて?)欲しい。

上記と関係ないが、田中氏エッセイ中、

「子供の貧困は進み」

は許しがたい一文である。江戸時代の方が現代より子供が豊かだったとでも言うのか???

田中氏エッセイには、こんな記述もある。

「気候変動、テロ、伝染病、戦争、何が起きても日本人は飢餓に陥る可能性がある。江戸人から見ると、なんと不安な国なのだろうか。」

これも許しがたい。日本が世界のどこからも食料が買えないほど食糧が逼迫した場合(それがテロによって起こしうるようなことかという疑問はさておき)、例えば世界中が異常気象に見舞われた場合、日本だけ食糧が豊富に取れるということがあろうか?少なくとも、江戸人は日本でだけ気候変動が起きた場合でも飢餓で死んでいたのだ。そっちの方がよっぽど不安だろ。

田中氏エッセイ「いざと、いうときの受け皿となっていた共同体はもはやない。子供さえ孤立し、親からも他人からも助けてもらえない。」

 いざというときに共同体に助けてもらえる可能性、子供が親・他人から助けてもらええる可能性は、賭けてもいいが、今の方が高いはずである。いつの世にも、弱者に救いの手を差しべない共同体、親はいると思うが、現代と江戸時代の生活水準を考えれば、子供を守る余裕のある共同体・親が多いのはどちらかは自明である。江戸時代の最良のケースと、現代の最悪のケースを比べてはいけない。(現代は冷たい人ばかりで他人の子を助けるような奇特なコミュニティーは全く存在しないと思う方は、「ホームレス中学生」を読んで反省しよう!)
 ちなみに、これも田中先生は知らないだろうが、江戸時代は、村の人口は横這い傾向にあった。その原因として、「間引き」があるとされている。言うまでもなく、生まれた子供を口減らしのために殺すことをいう。松平定信の寛政の改革の一つに、間引きの禁止がある。一方、民主党政権の改革に、間引きの禁止は含まれない。なぜか?間引きをする人がいないからである。さて、どちらが「不安の時代」なのだろうか?
なお、この手の勘違い現代論の似たような例として、「昔の学生に比べて、今の学生は本を読まない」というのがある。ごく一部の人だけが大学に行った全共闘世代のエリートと、大学全入時代の三流大学の学生を比べるのは馬鹿のやることである。

*食料自給率に関する部分については、野口悠紀雄氏の論述に示唆を受けた・・・、と勝手に思っていたが、今野口氏のサイトを確認したら、当方の駄文はほとんど質の悪いカーボンコピーですね・・・。もっと切れのいい論述を読まれたい方は野口氏サイトをご覧下さい。

2009年10月3日土曜日

お帽子被りたくない幼稚園生の言葉

 9月25日読売新聞一面の「編集手帳」に、変な文章が載っている。
 森繁久弥が古川ロッパに座敷で自分の座る場所を尋ねたところ、お前の座ったところが下座だと言われた、というどうでもいい前振りから、鳩山首相が国連演説で拍手喝采を浴びていい気になっているのは「夏の馬鹿は奥に座る」の類であり、鳩山首相がおだてられていい気になって、日本が一人我慢をするのはかなわない、というのが大意である。「夏の馬鹿は奥に座る」とは、通常上座とされている座敷の奥側は、夏は暑いので誰も座りたがらず、それに気づかない馬鹿がおだてられて座る羽目になる、という趣旨の格言のようである。
 この一文は次の後で締め括られている。
「呼吸困難で倒れてしまえば、上座も下座もない。」
 この最後の一文は、一見して変だ。暑いのを我慢する話で、「呼吸困難で倒れ」る、は唐突ではないか。普通、暑いのを我慢したら、「熱中症で」倒れる、のではないか。
 しかし、この「編集手帳」が「熱中症で倒れてしまえば、上座も下座もない。」で終わるのは、絶対にまずいのだ。なぜか。
 この駄文が批判している鳩山演説は、ご存知のとおり、地球温暖化防止策を日本が積極的に行う、という内容のものだったからである。つまり、熱中症で倒れてしまっては問題だ、と言ってしまっては、「じゃあ、米中がついてこようがこまいが(この文章では、米中が縁側で涼んでいるのに日本だけ我慢するのはおかしいと鳩山演説を非難している)、温暖化防止策を歯を食いしばって頑張るべきなのでは?鳩山演説は正しいのでは?」と言われてしまう、つまり比喩が筆者の主張を自ら否定してしまうからである。
 もっとも、「熱中症」を「呼吸困難」に言い換えたところで、「暑くて倒れる」という点は同じなのだから、やっぱり温暖化防止積極策提案演説を批判する比喩としては不適切だ。
 私が思うに、この一文は最初は「熱中症」で締め括られていて、後で「温暖化防止のための提案を批判するんだから、熱中症云々では論旨と比喩にねじれが生じておかしい」という指摘があったんじゃないかな。そうだとすると、「熱中症」を「呼吸困難」に言い換えるだけでなく、そもそも夏の奥座敷云々のたとえ話自体を変えるべきだったんじゃないかと思うが、締め切り間近で全体を変える暇がなかったのか(奥座敷云々が使えないと、最初の森繁の話も使えなくなるからね)、それとも森繁の話だか奥座敷の格言だかを、どうしても使いたかったのか。前者なら文筆業のプロ失格、後者ならけち臭い話で、どちらにしても、しょうもない・・・。
 なお、言うまでもないことだが、この「編集手帳」は、鳩山首相が、日本が義務を負う前提として、他の主要国が同様の義務を負うことを条件としていた点を故意に無視しているという点で、非常に問題がある。米中は縁側で涼んでいるのに日本だけ奥座敷で、という喩えは悪意に満ちた曲解だ。鳩山演説は、いわば、みんなが奥座敷で頑張るなら、私も頑張ります、という趣旨だからである。
 更に、米中が一緒にやらないなら、本当に地球温暖化防止策は「願い下げ」なのか、という根本的問題がある(この点は、既に京都議定書批准の際にも問題となった点である)。「○○ちゃんはお帽子かぶってないのに、なんで僕だけかぶらないといけないのー?ズルイよー」と言ってる間に○○ちゃんも僕も熱中症になってしまっては意味がないのではないか。米中他各国を死ぬ気で引きずりこむか、地球丸ごと熱中症(による呼吸困難?)で死ぬか、どちらかしかこの問題には選択肢がない。だからみんな大騒ぎしているんではないのか?
 読売が鳩(兄)嫌いなのは知っているが、こんな下らない駄文で混ぜっ返してるだけとは、情けない話だ。

2009年9月5日土曜日

柳澤氏は二度死ぬ(おまけ)

 前々回のエントリーで引用した柳澤氏の講演内容に、明らかな誤りがひとつ。講演は2007年だから、2030年に20歳の人は、当時7、8歳ではない。当時は、というか、今でも、まだその人は生まれていない。これは柳澤氏の言い間違いのようである。「2030年に30歳」と言いたかったのであろう。まるで気がつかなかったという方、批判的に読むとは、これほどに難しいものである。 ・・・おあとがよろしいようで。

柳澤氏は二度死ぬ(終)

 また、かりに無意識において女性蔑視的であるとか、女性だけに少子化問題の責任を押し付けている、として、それだけで大臣辞任を求める根拠にはならないはず。あの時の柳澤批判は、そのような道理を押し潰す、まさにブルドーザーのごとき非論理、濁流、土石流であった。

 こんな、中途半端に昔の話をする理由は、この総選挙直前の政治報道のあり方に疑問を感じたからです。大敗を喫した現首相は、たしかに一国のトップたるにふさわしい人格の持ち主ではなかった。でも、そうだからと言って、あのような不公平、不公正な虚偽報道が許されるのか、私には疑問です。

今 いわゆる柳澤発言に思う -柳澤氏は二度死ぬ-

 静岡8区の柳澤伯夫氏が落選した。自民党惨敗ですから、政府の要職を歴任した柳澤氏が落選するということも、それほど驚きというわけではないでしょう。ないでしょうが、このニュースが気になるのは、この人の名を聞けば、2007年に起きた、「『女性は産む機械』発言」報道・騒動・デマ事件を思い出すからです。昔からマスコミは、気に入らない者がいれば、事実を捏造してでも批判してきたようですが(池田隼人元首相の、貧乏人は麦を食え発言とか)、私がリアルタイムで知っている一番典型的な例がこの事件でした。

柳澤伯夫講演「これからの年金・福祉・医療の展望について」より

 「今の女性が子供を一生の間に沢山・・・、あのー・・・、大体・・・この人口統計学ではですね、女性は15歳~50歳までが、まあ出産をして下さる年齢なんですが・・・15歳~50歳の人の数を勘定すると、もう大体分かるわけですね。それ以外産まれようがない。急激に・・・、男が産むことはできないわけですから・・・、特に今度我々が考えている2030年ということになりますと、その、30年に、例えば、まあ20歳になる人を考えるとですね、今幾つ・・・もう7、8歳になってなきゃいけないということなんです。生まれちゃってるんですよ、もう、30年のときに20歳で頑張って産むぞってやってくれる人は。そういうことで・・・、あとはじゃあ、産む機械っちゃあなんだけど、装置が、もう数が決まっちゃったと・・・、機械の数・・・、装置の数っちゃあなんだかもしれないけれども、そういう、決まっちゃったということになると、後は一つの・・・、ま・・・装置って言ってごめんなさいね。別に・・・、この産む役目の人が一人頭で頑張ってもらうしかないんですよね」

 これを見ればわかるとおり、カギ括弧は引用を表すのだから、

「女性は産む機械」

という表記自体が嘘である。柳澤氏はそんな発言はしていないのだ。しかし、ネットで検索してみて欲しい。柳澤発言について書いた文章は多いが、「女性は産む機械」と、いかにも柳澤氏がこういう発言をしたかのようにカギ括弧を付けた表記が大部分である。

 その筆者全員が、今も刻一刻と恥を晒している。マスコミを鵜呑みにした恥、柳澤氏の経歴から、どうせ女性蔑視的だろうとステレオタイプなものの見方をした恥、世間の声に流された恥・・・。

 少し気が利いている人は、柳澤発言に出てくる「機械」とか「装置」とかが、子を産む女性自体が少なくなるから当然新生児数も減る、ということを言うために使った比喩に過ぎないことに気づいていた。その人たちは、さすがに柳澤発言を無理やり「女何ぞ機械みたいなもんで人格など認める必要なし」という発言と読み替えるにはプライドが高すぎた。

 しかし、そういう人も、無理に柳澤氏を批判して辞任を要求する世論に実質同調した。曰く、女性の人格を認めていないから、機械とか装置とかいう比喩をつい無意識に使ってしまうのだ、曰く、機械云々はともかく、「女性が頑張るしかない」の部分は、少子化問題を女性の努力・我慢不足に矮小化するものだ
・・・。
 前者は、比喩が常に無意識を反映するという理論(俗流フロイト流精神分析?)自体に科学的な根拠がない以上、根拠のない批判である。後者は一見もっともであるが、単なる揚げ足取りにすぎない。柳澤の言う「頑張る」は、生殖可能者1個体当たりが(「一人頭」が)出産数を増やす、という意味だからである。それが、生殖可能者の個体数が少ないという状況下で新生児数を増やす唯一の方法だ、というのが発言の趣旨である。ついでに言えば、これを、きわめて単純な算数の問題ですよ、と強調するため、無機的なイメージで表現すべく、故意に「機械」という比喩を使ったわけである。

 その他、ともかく人々の気分を害したのになかなか謝らなかった、とか、なかなか発言を訂正しなかったいう点を批判した人もいたが、上記引用を見て欲しい。「なかなか」どころか、「機械」、「装置」と言った直後に「ごめんなさいね」と謝って、かつ「産む役目の人」と言い換えている。(続く)