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2011年1月13日木曜日

タツヒ

 ウィキペディアで新交通システムの記事を見てる時に、立川に新交通システムなかったっけ?と思ったのだが、今検索してみると、「多摩モノレール」のことだった。

 あれはモノレールだったんだ!!

 知らなかった。

 ところで、多摩モノレール沿いには「立飛企業」という会社があり、下の道を車で通るとよく看板を見かける(た)。この名は元々「立川飛行機」という社名で、立川飛行場のそばで飛行機を設計・製造していたことに由来するらしい。現在東証2部上場の会社(主に不動産業)である。

 この会社、新立川航空機という同じく東証2部上場の会社(主に不動産業)と株式の持合をしていたのだが、グループ内の持ち合い比率変更の際、計算を間違えて、相互保有により議決権を消滅させてしまったようだ。(同社プレスリリースより。)
 本来議決権のない単元未満株を議決権計算の分母に入れてしまったとのことであるが、どういう経緯だったんだろう。
 平成13年6月の商法改正で、相互保有の計算の分母が「発行済株式の総数」から「全株主の議決権」に変わったのだが、それを忘れてたのではないか?まあ全くの憶測ですが。
 なおこの改正のせいで「子会社」の確定の際に重大な問題が発生するところとなり、平成13年(つまり同年)11月に商法改正が行われ、相互保有による議決権の消滅は、子会社の確定の際には無視する旨のみなし規定が入った。これ参照。
 こういうのって、法務官僚の首につながったりするのか、と思いきや、いや、急に思い出したが、そういえば、商法の立法担当者が過労で(?)亡くなったことがありました。

 「立飛」って絶対「タッピ」だろうと思ってましたが、「タツヒ」が正しいらしい。なんて読みづらい、と思っていたら、地元では「タッピ」とも呼ばれていた、とウィキペディアにありました。そうでしょうそうでしょう。

 ちなみに多摩モノレールには「立飛駅」があるが、立川市に立飛という地名はない。駅名がそうなった理由は私にはよくわからないのだが、駅とその周りの軌道の敷地は、元々立飛企業の所有地だったらしい。・・・

 うわっ、書き出したらきりがない!!立飛トリビア面白すぎ!!

2010年8月26日木曜日

思想・良心の自由を今,考える,論文について今,考える

 ジュリスト3月1日号に、「日本国憲法研究第7回・思想・良心の自由 [基調報告]『思想・良心の自由を今,考える』」という早稲田大学西原博史教授の論文が載っている。

 憲法19条は、実は国家からの思想・良心に対する介入の禁止という捉え方と、国家からの一定思想の(外的表れたる行為の)強制に対し国民がそれが自分の思想・信条と相反すると思うときにはこれを拒むことができる、という捉え方があり、これは信教の自由における政教分離と狭義の信教の自由の関係に似る。(もっとも、狭義の信教の自由と政教分離は、現に共存しているのだが、思想良心の自由の上記2側面は、共存するのだろうか? する、している、という前提なんだろうな。)
 信教の自由同様、この二つの捉え方の間には緊張関係がある。すなわち、前者においては、社会的に「思想」として流通しているような一定の(おそらくはある程度体系性な)「信条」のみが問題となる。そうしないと、国家が何らかの主張・教育等する都度「これもひょっとして誰かの思想と抵触するかな?」などと考え出してきりがなくなるからだ。たとえば、Samが「子育てしないパパはかっこ悪い」と言っているポスターを作成しようと国が考えたとしよう。その際、「男は子育てすべきでない」と考える人が万一いたらまずい」ということになると、じゃあそういうポスターはやめようということになる。こう考えていくと、国はポスターなど作れなくなる。同様に、あらゆる国の啓蒙活動が不可能になり、最終的には国家による教育というもの自体不可能となる。
 これに対し、後者は個人の側から考えるのだから、一応全ての「ものの考え方、価値観」が問題となる。

 これはたとえば、音楽教師が「君が代」伴奏を拒むような場合に健在化する。前者によれば、「ピアノで伴奏する/しない、というくらいで『思想の問題』として論ずるのは言い過ぎではないか」ということになりやすく、後者によると、「とにかく本人が『それは私の良心に反する』と言っているんだから、憲法19条の問題となる」ということになる。

 西原教授は、この後者の考え方(思想・良心の自由のアイデンティティー論的構成)を重視する。
 それはそれで1つの考え方だとは思うが、日本社会においてはかなりの人々(people)が画一的な世界観・信念に囚われているから、西原教授の考え方は、具体的案件において、一般人の「常識」に反する結論を招きやすく、日本社会で共感を呼ばない(というか、大いに反感を買う)可能性が高いだろう。

 それにしても、この論文で考察されている日本の社会状況(特に教育基本法改正の社会的背景)の分析は、私も大いに共感するところである(エらソやね)。
 これについてはまたいずれ。

2009年10月5日月曜日

契約書って、ないといけないの? No way!!

 鳩山内閣は日本郵政の西川社長の自発的辞任を求めている。財界はこれに反発しており、また西川社長も恐らく唯々諾々とは従わないだろう。どうしても辞めさせるとなれば、財務大臣が株主として臨時株主総会開催を請求し、西川社長の取締役解任議案を提出した上で可決し取締役の座から引きずり降ろす(自動的に代表取締役も解任となる)ことになろう。この場合、さすがに民間会社の社長を国がクビにするのはいかがなものか、との批判は免れまい。そもそも、会社法で言うところの正当な(解任)事由があるかは微妙、というか恐らくないので、不当解任となって、西川社長が損害賠償請求訴訟を提起すれば勝訴=任期満了までの取締役報酬相当額の支払いが認められるだろう。これでは「国民共有の財産」(原口総務相)である日本郵政の財産が目減りし、批判は更に避けられない。(そこまで西川社長がやるかはわかりませんが。)
 そこで、応援団が現内閣を援護射撃すべく、日本郵政の不祥事を掘り起こしてきた。すなわち、昨日10月4日付け朝日新聞朝刊(一面!)の、「日本郵政、広告発注に契約書なし 博報堂に368億円」の記事である。これがまた酷い記事だ。(私は新聞ウォッチャーではないのだが。何でこんなに酷いのが多いのか。)
 記事によれば、日本郵政は民営・分社化前は案件ごとに入札で広告代理店を選んでいたが、民営・分社化後「企業イメージの統一性を図る」ことを目的として、特定の1社に一括発注する方式に変更することとし、「企画提案コンペ」を開き、大手広告会社4社の中から博報堂を選定したが、一括発注の独占契約につき契約書類を一切取り交わしていなかった。契約額は07年度は、博報堂との独占契約で約146億円、08年度は約222億円(朝日新聞は、郵政公社時代は06年度が電通:約51億円、博報堂:約19億円、大広:約2億円という内部資料を入手したという)。総務省はずさんな手続きだと問題視している、そうな。

「民主党政権が公約に掲げる郵政事業の見直し作業に影響を与えそうだ。」(西川社長の首も危うくなったぞ、とは書いていない。書かなくてもわかるでしょ、といったところか。)
 問題があると思うのは次の各部分。

問題箇所1:「通常、包括契約時に交わす覚書や合意書には、契約期間、双方が履行する義務、契約を解除する場合の条項などが記される。双方の理解のずれや、これに起因するトラブルを回避するほか、取引の透明性を担保する目的もある。」

問題点:契約書に理解のずれ、トラブル回避の目的があるというのは正しい。しかし、はっきりさせないほうが良い場合もある。天下の博報堂ともなれば、法務部門も充実しているはずだし、顧問弁護士も超一流どころをそろえているはずだ。きっちり契約書を、となれば、日本郵政の言いなりの契約書になるとは限らない。むしろ不利となった可能性もあるのだ。そもそも、日本郵政はその後博報堂の子会社で郵便割引制度の悪用事件が発覚したため、この一括発注契約を解除しているのだが、包括契約を書面化したもの(基本契約書)できっちり解除権発生の場合を場合分けしていたら、(子会社が郵便制度を悪用したときは解除できる、なんて入れたはずもないので)きっと解除できなかったはずだ。(厳密に言えば、契約書がなければ解除可能というものでもないが、ここはやはり曖昧だからこそ、相手に引け目があることもあり、エイヤで解除できたと考えられる。)結ばなくて良かったではないか。
 しかも、この手の包括取引では必ず契約書を締結するという実務もない。この記事には、そもそもこのような契約自体少ない、と書いてあるのだ。(ついでに言えばこの記事ではめったに見かけない契約であることがいかにも悪いことのように書いてあるが、みんながやらないことをやったら悪いなどとは到底言えないことである。トータルコンセプトで広告して欲しいという日本郵政側の説明は、そんなにおかしなものではないではないか。)
 とにかく、個々の状況では包括契約など締結しない方が得な場合もあるのであり、締結しなかったからといって即批判するのはおかしいのである。
 しかし、たとえ損でも文書化はしなければいけないのでは?と思う人もいるかもしれないが、そんな決まり=法令はない。実際、業界にもよるのだが(広告業界など、そうである可能性が高いと思うが)実務上、契約書面、特に複数契約にまたがって適用される基本契約書が締結されないケースも多い。つまり、(これがこの記事および原口大臣のコメントの最大の問題点だが、)包括取引に関して契約書を締結しないこと自体は、別に法律上違法ではないはずなのだ。
 原口総務相は「日本郵政に内部監査機能や法令順守への姿勢が欠如している疑いがあ」る、と述べたそうだが、どこが法令違反なのか、何法の何条に違反しているのか、明確に述べて頂きたいものだ。
 なお、内部監査の観点からは、合意内容は書面化するのが望ましい。私も、結論として今回の場合包括契約書がない方が良い、と言いたいわけではない。ただ、まるで本件が日本郵政の不祥事だというような報道(もはや真の意味での「報道」を遠く離れていると思うが)はおかしいというのである。もっとも、今回は包括契約に従って締結される各個別の契約では契約書を作成していたとあるから、内部統制上も問題とまでは言えないだろう。 
 さらに、「取引の透明性を担保する目的もある。」とあるが、契約書の解説本とかで、こんなの見たことないぞ。いわゆる独自の見解ってやつでは?

問題箇所2:「会社法でも業務の適正を確保するため、契約書類の保存や管理を要請している。」

問題点:この部分は、一番酷い。憤りを通り越して呆れる。
 会社法施行規則100条1項1号では、取締役に「取締役の職務の執行に係る情報の保存及び管理に関する体制」を整えることを要求している。そして、この「取締役の職務の執行に係る情報」には契約書類も入るだろう。しかし、この規定が求めているのは、「(契約書の)保存や管理」である。「作成」とはどこにも書いていない。よって、今回契約書を作ることは、会社法上要求などされていないのだ。実際、記事中引用箇所も「保存や整理」としか書いていない。なのになぜ「会社法『でも』」となるのか。この一文は、読んだ人に、なんとなく日本郵政の行為が会社法に違反していると思わせるために書かれている(おそらく95%くらいの人がそう思ったであろう。新聞の文章など、厳密には読まないものだ)。もしかすると、筆者は「いや、会社法違反とは書いていないしそう読ませる意図もない。実際記事には会社法上契約書「作成」義務がある、とは書いていないではないか」と反論するかもしれない。しかしそれは嘘だ。なぜなら、そうであれば、この一文が書かれる意味がないからである。契約書の保存管理義務と、契約書不作成の間に、どんな関係があるのか。いかにも卑怯な書き方である。

問題箇所3:「グループ子会社の幹部は『イベントや広告内容の質に疑義があっても業者を変更することができなかった。契約額が割高になっていた疑念もぬぐえない』と話している。」

問題点:まず、各個別契約が割高になるかどうかは、包括契約書を締結するかどうかとは無関係だ。契約書があっても、割高になる可能性はある。よって、この談話は、本件と何の関係もない。ただ、なんとなく日本郵政けしからん、という雰囲気をかもし出すだけのために入れられている。卑怯なり、朝日。
 次に、博報堂はトータルコンセプトという付加価値を付けていたのだから、仮に個々の契約額が割高になったとしても、当然である。
 また、4社でコンペをやっているという点から、選定に際してはきちんと手続きが踏まれていると言える。もし出来レースだとでも言うのなら、その証拠を示すべきだ。
 さらに、これが一番問題だと思うのだが、この「グループ子会社の幹部」なる者の意見が公正なものか、非常に疑わしい。旧郵便局のスタッフは、大部分が民営化反対と考えられるからである。「疑念もぬぐえない」って、どういう根拠なのか、それを確かめもせず記事にするというのは、非常に問題ではないか。だいたい、包括契約に関して書面化していないこととか、公社時代の広告宣伝費の内部資料とか、誰がリークしているのか(むろん現体制に反対の者である)。しかも政権交代直後のこの時期に、とっくに解除した契約の契約書の有無が急に問題になるとは、いかにも不自然である。この情報漏洩の方が、内部統制上よほど問題ではないか。

 日本郵政の広報部門は、「『業務に支障はなく、問題ないと考えている。しかし今後は、この発注方式を採用すべきか否かや、契約書類の作成についても社内で検討したい』としている。」とのこと。大変真っ当なコメントである。

 ちなみに、明けて10月5日、毎日新聞が朝日と同様の立場から本件を伝えている。
 9月13日の社説で
「西川氏が政治任用であることは明らかだ。政権が代わり、郵政民営化が抜本的に見直されようとしているわけで、その責務を終えたことは、西川氏自身がよく理解しているはずだ。」
とまで述べた毎日であるから、政権ヨイショのスタンスも当然と言えば当然であるが、その主張は更に訳がわからない。
「グループ各社に対しては明文に基づかないまま博報堂への発注を義務付けていた形で、同グループの法令順守上の問題点がまた一つ浮上した。」
 明文に基づかないまま、とあるが、契約書は博報堂との間に締結するものであり、それとグループ会社に博報堂との契約を指示することとは全く関係ない。
 知らない人もいるかも知れないが、口頭契約も契約である。日本郵政が博報堂との間で「グループ会社にも博報堂を使わせる」との義務を負うことを約せば、当然それを履行する義務が生じるのだ。
 それとも、やはり内部統制上の問題を指摘しているのだろうか。どう問題なのか良くわからないが、日本郵政も包括発注契約書を締結していないだけで、稟議書の類は作成していると思うので、全く紙に残すことなく広告発注の基準を取り決めているというわけではない。とにかくよくわからない一文である。
 そして、またも「法令順守上の問題点」・・・。どういう不遵守があるのか、書けるものならちゃんと書いてみて欲しいものだ。

 さらにちなみに、朝日は10月5日も日本郵政の問題点を、これまた一面で報じていた。第3種郵便物の審査・監査が杜撰だったとのこと。朝日、必死ですな。日経は・・・今にいたるまでこの(契約書の)件無視。アホか、というところなんでしょう。正しい・・・。