以下、曾孫引きである。
摂津の国に住んでいたある富豪は儒学に長じていたが、彼が死んだ時にある老婆がこう言った。「これほど学問なさってさえもよい人であったのに、もし学問なさらなかったなら、どれほど善い人であったかなあ。」(「 」内は伴蒿蹊『近世綺人伝』を引用する渡辺京二『江戸という幻影』を引用する齋藤愼爾「或る〈反読書論〉の試み」(てんとう虫2010年11月号)より引用)。
渡辺氏は「そんなふうに学問なんぞわからずにすむ世界が、この時代には厳然と存在していた。そのことに私はなにか目のさめるような思いを覚える」と言っているそうです。齋藤愼爾氏も「こういう言葉を『畏ろしい』といわずして何と言おう」などと述べていますが・・・。
学問などするとろくな人間にならん、って、たしか『それから』の主人公の父親もそんなようなことを言ってたんじゃなかったっけ。学問をすると立派な人間になるなどというのは、学問が好きな人のたわごと・戯れ言です。何の論理的つながりもありません。そもそも、学問した人がそう言ったら、その時点で単なる自惚れでしょ?オレは立派な人間だ、と言ってる人が立派だった試しはない。
こういうのって結構多い。「我々の世代はもっと謙虚だ(から今の若い人より偉いのだ!)」「わが国国民は慎ましい(から○○人より偉いのだ!)」 ・・・ どこがだよ。
ちなみに、血液型に一番こだわるのは、A型の人です。人口に膾炙している血液型別性格では、A型だけが立派な性格とされています。そのせいで、A型の人が自分を立派だというために一生懸命血液型と性格を結び付けようとするのです。日本ではA型はマジョリティーです。そして、血液型別性格信仰があるのは、日本だけ(あと韓国)だそうです。
ところで、伴蒿蹊『近世綺人伝』は岩波文庫にも入っている。渡辺氏だの齋藤氏だの、今頃こんな基本文献読んで驚いてる(齋藤氏は読んですらいない)ようでは、文化人失格ですな。私?私は文化人じゃありませんから。単なるブロガーです。
まあでも、近世綺人伝は、今度読んでみよう。
2010年10月21日木曜日
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