10月27日産経新聞に「ちょっと江戸まで」という法政大学田中優子教授のエッセイが載っている。
「江戸時代を知ることにどういう意味があるのか、私たちの近現代は何を乗り越えたのか、あるいは何を克服しそこなったのか、とりわけ、何を捨て何を失ったのか-私は江戸文化を研究しながら、その問いを持ち続けている。」
歴史に学ぶのは大切なことだ。しかし、単なる歴史学者が歴史から何を学ぶかまで考えてしまうとおかしなことになる場合がある。歴史に没頭する(学者はそうあるべきだが)あまり、現在のことをあまり知らないからだが、場合によっては専門とする国、地域の贔屓の引き倒しで、もっとめちゃくちゃな(非)論理をとなえる人もいる。
田中エッセイによれば、現代は不安の時代だ。
「江戸時代に驚いてばかりはいられなくなった。いったん江戸時代側に立って現代を眺めてみると、それもまた驚きの連続である。食料自給率39%という数字は多く見積もっての話で、飼料や種子や加工食品の原料のことを考えに入れると、米以外はほとんど自給できなくなっている。気候変動、テロ、伝染病、戦争、何が起きても日本人は飢餓に陥る可能性がある。江戸人から見ると、なんと不安な国なのだろうか。子供の貧困は進み、いざと、いうときの受け皿となっていた共同体はもはやない。子供さえ孤立し、親からも他人からも助けてもらえない。江戸人から見ると、何と過酷な国だろうか。」
突っ込みどころが多すぎる。
まず、田中先生は知らないかもしれないが、江戸時代には享保、天明、天保の三大飢饉をはじめ、いくつもの大飢饉が起きた。人々は飢餓でバタバタ死んだ。安心の時代でなかったのは確かだ。
これも田中先生は知らないことだろうが、江戸時代、日本は鎖国をしていた。よって、食料自給率は100%である。自給率なぞ何の意味もない。むしろ、国内で米が取れないにもかかわらず、外国から輸入できず、不足分の口は死ぬしかなかったのだ。かわいそうに。
ついでに言えば、鎖国をしたのは、キリスト教の流入が時の為政者に不都合だったためであり、民衆の意思と無関係に強制したものである。江戸時代の文化とは関係ない。むしろ、江戸時代の文化が、そのような法制度の結果生まれたものだ。今の時代にそういう文化を当てはめようとしても、木に竹を接ぐの類である。
食料自給率に関する記載にも、大きな誤りがある。(長くなるので続く。)
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