9月25日読売新聞一面の「編集手帳」に、変な文章が載っている。
森繁久弥が古川ロッパに座敷で自分の座る場所を尋ねたところ、お前の座ったところが下座だと言われた、というどうでもいい前振りから、鳩山首相が国連演説で拍手喝采を浴びていい気になっているのは「夏の馬鹿は奥に座る」の類であり、鳩山首相がおだてられていい気になって、日本が一人我慢をするのはかなわない、というのが大意である。「夏の馬鹿は奥に座る」とは、通常上座とされている座敷の奥側は、夏は暑いので誰も座りたがらず、それに気づかない馬鹿がおだてられて座る羽目になる、という趣旨の格言のようである。
この一文は次の後で締め括られている。
「呼吸困難で倒れてしまえば、上座も下座もない。」
この最後の一文は、一見して変だ。暑いのを我慢する話で、「呼吸困難で倒れ」る、は唐突ではないか。普通、暑いのを我慢したら、「熱中症で」倒れる、のではないか。
しかし、この「編集手帳」が「熱中症で倒れてしまえば、上座も下座もない。」で終わるのは、絶対にまずいのだ。なぜか。
この駄文が批判している鳩山演説は、ご存知のとおり、地球温暖化防止策を日本が積極的に行う、という内容のものだったからである。つまり、熱中症で倒れてしまっては問題だ、と言ってしまっては、「じゃあ、米中がついてこようがこまいが(この文章では、米中が縁側で涼んでいるのに日本だけ我慢するのはおかしいと鳩山演説を非難している)、温暖化防止策を歯を食いしばって頑張るべきなのでは?鳩山演説は正しいのでは?」と言われてしまう、つまり比喩が筆者の主張を自ら否定してしまうからである。
もっとも、「熱中症」を「呼吸困難」に言い換えたところで、「暑くて倒れる」という点は同じなのだから、やっぱり温暖化防止積極策提案演説を批判する比喩としては不適切だ。
私が思うに、この一文は最初は「熱中症」で締め括られていて、後で「温暖化防止のための提案を批判するんだから、熱中症云々では論旨と比喩にねじれが生じておかしい」という指摘があったんじゃないかな。そうだとすると、「熱中症」を「呼吸困難」に言い換えるだけでなく、そもそも夏の奥座敷云々のたとえ話自体を変えるべきだったんじゃないかと思うが、締め切り間近で全体を変える暇がなかったのか(奥座敷云々が使えないと、最初の森繁の話も使えなくなるからね)、それとも森繁の話だか奥座敷の格言だかを、どうしても使いたかったのか。前者なら文筆業のプロ失格、後者ならけち臭い話で、どちらにしても、しょうもない・・・。
なお、言うまでもないことだが、この「編集手帳」は、鳩山首相が、日本が義務を負う前提として、他の主要国が同様の義務を負うことを条件としていた点を故意に無視しているという点で、非常に問題がある。米中は縁側で涼んでいるのに日本だけ奥座敷で、という喩えは悪意に満ちた曲解だ。鳩山演説は、いわば、みんなが奥座敷で頑張るなら、私も頑張ります、という趣旨だからである。
更に、米中が一緒にやらないなら、本当に地球温暖化防止策は「願い下げ」なのか、という根本的問題がある(この点は、既に京都議定書批准の際にも問題となった点である)。「○○ちゃんはお帽子かぶってないのに、なんで僕だけかぶらないといけないのー?ズルイよー」と言ってる間に○○ちゃんも僕も熱中症になってしまっては意味がないのではないか。米中他各国を死ぬ気で引きずりこむか、地球丸ごと熱中症(による呼吸困難?)で死ぬか、どちらかしかこの問題には選択肢がない。だからみんな大騒ぎしているんではないのか?
読売が鳩(兄)嫌いなのは知っているが、こんな下らない駄文で混ぜっ返してるだけとは、情けない話だ。
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