LISMO portのソフトの更新表示が出たので何気なくOKしたら、しまったー、X-アプリ for LISMOがまた立ち上がらなくなった!!何度やっても、「データベースファイルが見つからない、または読み取れません。」と出る。「OKをクリックすると、データベースの復旧を試みます。」と一応出るけどOKしても、最終的には「データベースを更新できません。他のプログラムがデータベースを称している可能性があります。(エラーコード:000041a5)」と出る。これをネットで検索しても、再インストールするしかない、との冷たい回答しかない。
http://www.naruhodo-au.kddi.com/qa4362635.html
前回同様の症状が出た時は、全てインストールし直した。データはネット購入分も含め全て消え去り、機種変更時に旧携帯内のファイルはパソコンにも新携帯にも移せなかった(今は移せるのかもしれないが)。取得ポイントもあってauに忠誠を捧げてきたけど、こういちいちトラブるのでは、そろそろ限界かな・・・。
2010年12月31日金曜日
2010年12月30日木曜日
欲望は拡大する
AKB48愛も病膏肓に入るの感あり、最近では小野恵令奈ちゃんが可愛くって仕方がない、ってもういないのね(写真集を買ってしまった)。
と思ってたら、昨日ロンドンハーツの5時間スペシャルに大島麻衣ちゃんが出てました。恐ろしく可愛い・・・。それはフルーツポンチ村上だって我を忘れるって!!そんな麻衣ちゃんももういないのね。まあ麻衣ちゃんはテレビで見れるからまだいいですけどね。
でも、例えばすいえんサーとかは大島麻衣ちゃんがメイン司会の一人で、AKBの他のメンバーが実験ガール(すいえんサーガールズ)として出てくる、まさにアイドルカースト制度状態だったけど、今となっては立場も逆転気味ですね。平家みちよとモーニング娘。みたいなことにならないよう、麻衣ちゃんにも頑張って頂きたいものである。可愛いことは間違いないんだから。ロンブー淳にやたら腹黒呼ばわりされるのは気になるが(TVは影響力でかいからなー)。アイドルなんだから大目にみてやれよー。
と思ってたら、昨日ロンドンハーツの5時間スペシャルに大島麻衣ちゃんが出てました。恐ろしく可愛い・・・。それはフルーツポンチ村上だって我を忘れるって!!そんな麻衣ちゃんももういないのね。まあ麻衣ちゃんはテレビで見れるからまだいいですけどね。
でも、例えばすいえんサーとかは大島麻衣ちゃんがメイン司会の一人で、AKBの他のメンバーが実験ガール(すいえんサーガールズ)として出てくる、まさにアイドルカースト制度状態だったけど、今となっては立場も逆転気味ですね。平家みちよとモーニング娘。みたいなことにならないよう、麻衣ちゃんにも頑張って頂きたいものである。可愛いことは間違いないんだから。ロンブー淳にやたら腹黒呼ばわりされるのは気になるが(TVは影響力でかいからなー)。アイドルなんだから大目にみてやれよー。
M.I.W./自画像
久し振りに蓮實重彥の本を読んだものだから、いまシャンテシネでやってるゴダールの映画など観に行ってしまった(『ゴダール・ソシアリスム』)。
青山監督は激賞してます(パンフレット)が、やっぱり分かりませんなー、私のような素人には。キネマ旬報2010年12月下旬号でリドリー・スコット監督が「(劇場公開用映画を)3時間の長さにすると、劇場に来る観客に苦痛を与える。だいたいの場合、2時間半を過ぎると確実に劇場の雰囲気が変わりだすね。」と述べていますが、それはリドリーの映画の場合であって、月曜最後の回のシネシャンテでは、1時間で多くの頭が揺れだしました。私は思いましたよ、「リドリーが言ってたのはこれか」と。
あ、今気づいたのですが、青山監督のコメントには「ここには、いつにもまして何の変哲もない、ごく普通の映像と音響があるだけなのだ。」とありますが、これは相当ひねりの利いた一文ですね。どこに基準を置くかはともかく、ゴダールの映画の映像・音響は、通常の意味で「ごく普通」とは到底言えない(特に音響)ですからね。
ゴダールと言えば、エリック・ロメール監督の死を伝える蓮實氏の文章(『随想』)で、ネットを閲覧していた奥さんから、(奥さんが見つけたショッキングなニュース=後にロメールの死についてであることが分かる、について)心して聞けと言われた蓮實氏が、
と述べるその映画作家はゴダールに違いない、と思いつつ、Jeanはヨハネだろうが、Lucなんて使徒がいたのだろうか?やっぱり違うかな、と思いつつ、読み流していたが・・・。
後で、もしゴダールのことを言っているのであれば、Lucは(それらしい感じでいうと、)ルカかな、
と思い、wikiでルカのページを開いてフランス語のページに飛んで見たところ、やはりルカのフランス語の綴りはLucでした。
英語ではLuke(ルーク)ですが、ドーバー海峡を越える前はLuc(リュック)だったのね。
そう言えば、聖路加国際病院の読みはセイルカ・・・なんですよね。
今日のタイトルは、MATTAKU IMI WAKANNAI そんな私、という意味です。
青山監督は激賞してます(パンフレット)が、やっぱり分かりませんなー、私のような素人には。キネマ旬報2010年12月下旬号でリドリー・スコット監督が「(劇場公開用映画を)3時間の長さにすると、劇場に来る観客に苦痛を与える。だいたいの場合、2時間半を過ぎると確実に劇場の雰囲気が変わりだすね。」と述べていますが、それはリドリーの映画の場合であって、月曜最後の回のシネシャンテでは、1時間で多くの頭が揺れだしました。私は思いましたよ、「リドリーが言ってたのはこれか」と。
あ、今気づいたのですが、青山監督のコメントには「ここには、いつにもまして何の変哲もない、ごく普通の映像と音響があるだけなのだ。」とありますが、これは相当ひねりの利いた一文ですね。どこに基準を置くかはともかく、ゴダールの映画の映像・音響は、通常の意味で「ごく普通」とは到底言えない(特に音響)ですからね。
ゴダールと言えば、エリック・ロメール監督の死を伝える蓮實氏の文章(『随想』)で、ネットを閲覧していた奥さんから、(奥さんが見つけたショッキングなニュース=後にロメールの死についてであることが分かる、について)心して聞けと言われた蓮實氏が、
「われわれ二人にとってかけがえのない人物の訃報に違いなかろうと身構えながら、まさかと思いつつも覚悟を決め、今年で八十歳を迎えるある映画作家のファーストネイムを口にしてみる。名高い使徒の名前を二つ律儀に組み合わせた洗礼名であり、・・・」
と述べるその映画作家はゴダールに違いない、と思いつつ、Jeanはヨハネだろうが、Lucなんて使徒がいたのだろうか?やっぱり違うかな、と思いつつ、読み流していたが・・・。
後で、もしゴダールのことを言っているのであれば、Lucは(それらしい感じでいうと、)ルカかな、
と思い、wikiでルカのページを開いてフランス語のページに飛んで見たところ、やはりルカのフランス語の綴りはLucでした。
英語ではLuke(ルーク)ですが、ドーバー海峡を越える前はLuc(リュック)だったのね。
そう言えば、聖路加国際病院の読みはセイルカ・・・なんですよね。
今日のタイトルは、MATTAKU IMI WAKANNAI そんな私、という意味です。
2010年12月27日月曜日
世にもはしたない話 おまけ(風車小屋へ!)
内田樹のブログでは、蓮實重彥の批判を受けた直後の2009年の10月には村上春樹ノーベル文学賞受賞(注 実際には受賞してないからね)に対するコメントの予定稿をブログで公表しなかったようであるが、2010年にはまた予定稿の公表を復活させていた。懲りないねー。
ただし、2010年のブログではもう蓮實批判の部分はなくなった、どころか、「日本の批評家は村上春樹を無視している/評価していない」云々という記載もなくなっている。具体的には、このような書き方になった。
2008年の内田ブログでは、蓮實重彥氏が、村上春樹はグローバル化した社会に共通する先端的な風俗や感性のようなものを達者な筆致で描いているに過ぎない、と批判している(がそれには賛成できない)と書いてあった。ところが以前述べたとおり、蓮實氏に、自分はそんなことは言っていない、と反論されてしまったため、今回は批判の対象がぼかしてある。他の批評家の名前にすげ替えていないところを見ると、まあ要するに誰もそんなこと言っていなかったんでしょう。でも、誰も言ってないのに批判するって、ドンキホーテの風車小屋への進軍みたいですね。頑張るなあ。
ただし、2010年のブログではもう蓮實批判の部分はなくなった、どころか、「日本の批評家は村上春樹を無視している/評価していない」云々という記載もなくなっている。具体的には、このような書き方になった。
「村上春樹の世界性を担保しているのは、彼が『グローバル化した社会に共通する先端的な風俗や感性』のようなものを達者な筆致で描いているからではない。」
2008年の内田ブログでは、蓮實重彥氏が、村上春樹はグローバル化した社会に共通する先端的な風俗や感性のようなものを達者な筆致で描いているに過ぎない、と批判している(がそれには賛成できない)と書いてあった。ところが以前述べたとおり、蓮實氏に、自分はそんなことは言っていない、と反論されてしまったため、今回は批判の対象がぼかしてある。他の批評家の名前にすげ替えていないところを見ると、まあ要するに誰もそんなこと言っていなかったんでしょう。でも、誰も言ってないのに批判するって、ドンキホーテの風車小屋への進軍みたいですね。頑張るなあ。
世にもはしたない話 番外編
世界の文学がどの程度翻訳されているのかネットで検索してみた。
以下は翻訳が出ている国の数なのか言語の数なのか曖昧なものもあるし、作家単位・作品単位が混在しているし、また最新情報かもわからないのだが、まあ大体のことは分かるだろう。
内田樹氏の理屈によれば、『ノルウェイの森』(村上春樹)は『砂の女』(安部公房)より名作で、『ハリーポッター』より駄作だ、ということになりますね(世にもはしたない話1~3参照)。ハハハハハハ。
それにしても、『おっぱいとトラクター』って何よ。ちょっと読んでみたい。
以下は翻訳が出ている国の数なのか言語の数なのか曖昧なものもあるし、作家単位・作品単位が混在しているし、また最新情報かもわからないのだが、まあ大体のことは分かるだろう。
内田樹氏の理屈によれば、『ノルウェイの森』(村上春樹)は『砂の女』(安部公房)より名作で、『ハリーポッター』より駄作だ、ということになりますね(世にもはしたない話1~3参照)。ハハハハハハ。
安部公房 30ヶ国以上
砂の女 20数ヶ国語
小川洋子 10ヶ国以上
ノルウェイの森 36ヶ国/40ヶ国語 など諸説あり
ハーレクイン社の書籍 25言語94ヶ国
おっぱいとトラクター 37ヶ国
素数たちの孤独 30ヶ国
解剖学者 33ヶ国
悪魔とプリン嬢 30ヶ国
素粒子 30ヶ国
極道(ヤクザ)な月 10ヶ国以上
Bad Traffic「黒竜江から来た警部」 8ヶ国
イングリッシュローズィズ 37ヶ国語100ヶ国
トム・ラノワ 12ヶ国語以上
バトルフィールド・アース 12ヶ国
スティーグ・ラーソン推理・探偵小説三部作 25ヶ国
白夜の森 36ヶ国語
酔どれ列車、モスクワ発ペトゥシキ行 十数ヶ国
ロバート・ラドラム 32ヶ国
ポール・オースター 20数ヶ国
ムーミン・シリーズ 40ヶ国語
ダレン・シャン 30言語37ヶ国
ミレニアム 40ヶ国
ジャン・フィリップ・トゥーサン 20ヶ国
食べて、祈って、恋をして 40ヶ国以上
オスカーとルシンダ 13ヶ国語
薔薇の名前 30数ヶ国語
ヘニング・マンケル 35ヶ国以上の言語
チャールズ・ブコウスキー 数十ヶ国
アイスウィンド・サーガ 世界15ヶ国語
ダ・ヴィンチ・コード 30数ヶ国語
眠りの兄弟 25ヶ国
小さな中国のお針子 30ヶ国
GONE WITH THE WIND 37ヶ国語
Karin Fossum 16ヶ国語
ナルニア国物語 29ヶ国語
チョコレート工場の秘密 32ヶ国語
ハリー・ポッター 67ヶ国語
指輪物語 25ヶ国
ライオンボーイ 34ヶ国
それにしても、『おっぱいとトラクター』って何よ。ちょっと読んでみたい。
2010年12月26日日曜日
世にもはしたない話3
前回、前々回の続き。
蓮實重彥氏はこんなだれでも思いつくような批判はわざわざしていないが、内田氏は村上春樹の小説が世界で売れていることと、その小説が名作であることとを混同している。
『指輪物語』の例を引くまでもなく、売れていることと名作であることは何の関連もない。内田氏は、優れた小説のランキングは世界で売れている順だとでも言うのだろうか。
内田氏は「蓮實は村上を罵倒する前に、どうして『表層批評宣言』が世界各国語で訳されて、世界各国から続々と「蓮實フォロワー」が輩出してこないのか、その理由についてせめて三分ほど考察してもよかったのではないか。」などと昔のブログで言っていたようだが(http://blog.tatsuru.com/archives/000407.php)、こんなもの3分どころか3秒考える必要もない。村上作品の方が読みやすく、読んで楽しいからである。蓮實重彥氏の本は難解で、また大部分の人にとっては読んで面白くない。ただそれだけのことである。私も村上春樹の小説は好きだが、「優れている」と思って読んでいるわけではない。だいたい、小説と文芸批評の読者数は全然違うでしょう。
ちなみに「蓮實フォロワー」の語が使用されているのは故意か偶然か分からぬが、日本の表層文化論の領域で蓮實重彥氏の影響力は絶大で、「立教ヌーベルバーグ」は言うに及ばず、まさに蓮實フォロワーが続々と輩出されてきている。せいぜい村上春樹が読めて蓮實重彥氏の文章は難しくて読めない(ネットで見る限り、内田ファンは蓮實氏他批評家の小難しい文章[レベルを落とした福田和也や小谷野敦を除く]など読んだことのないような人ばかりである)程度の読者相手にブログの使いまわしの文章を本にして売りつけている者がそこまで偉そうに見下してよい相手ではないと思うのだが。
蓮實重彥氏はこんなだれでも思いつくような批判はわざわざしていないが、内田氏は村上春樹の小説が世界で売れていることと、その小説が名作であることとを混同している。
『指輪物語』の例を引くまでもなく、売れていることと名作であることは何の関連もない。内田氏は、優れた小説のランキングは世界で売れている順だとでも言うのだろうか。
内田氏は「蓮實は村上を罵倒する前に、どうして『表層批評宣言』が世界各国語で訳されて、世界各国から続々と「蓮實フォロワー」が輩出してこないのか、その理由についてせめて三分ほど考察してもよかったのではないか。」などと昔のブログで言っていたようだが(http://blog.tatsuru.com/archives/000407.php)、こんなもの3分どころか3秒考える必要もない。村上作品の方が読みやすく、読んで楽しいからである。蓮實重彥氏の本は難解で、また大部分の人にとっては読んで面白くない。ただそれだけのことである。私も村上春樹の小説は好きだが、「優れている」と思って読んでいるわけではない。だいたい、小説と文芸批評の読者数は全然違うでしょう。
ちなみに「蓮實フォロワー」の語が使用されているのは故意か偶然か分からぬが、日本の表層文化論の領域で蓮實重彥氏の影響力は絶大で、「立教ヌーベルバーグ」は言うに及ばず、まさに蓮實フォロワーが続々と輩出されてきている。せいぜい村上春樹が読めて蓮實重彥氏の文章は難しくて読めない(ネットで見る限り、内田ファンは蓮實氏他批評家の小難しい文章[レベルを落とした福田和也や小谷野敦を除く]など読んだことのないような人ばかりである)程度の読者相手にブログの使いまわしの文章を本にして売りつけている者がそこまで偉そうに見下してよい相手ではないと思うのだが。
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