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2011年4月17日日曜日

二十歳過ぎてもただものでなく

 エリック・ゲイルズは16歳で兄と作った「エリック・ゲイルズ・バンド」でデビュー、ファーストアルバムはそこそこヒットしたが、その後大きな成功は収めていない。

でもカッコいいと思います。

とりあえずyoutubeでこれでも見てください。
http://www.youtube.com/watch?v=CT70CfL8rMg&feature=youtube_gdata_player

馬齢を重ね?0年

 今クルーの「テレビでスペイン語」に今井翼が出ている。
スペインに留学していたそうで、うまい。
その上カッコいい。こんなにカッコよかったっけ。


男子三日会わざれば刮目して見よ。


呉の武将呂蒙が以前は無教養だったのに主君の孫権の忠告を受け入れて教養人になったのに驚いた魯粛に対し、当の呂蒙が言った。


 「士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし」



 私も勉強しないと・・・。

2011年4月4日月曜日

アキれた「民間企業」感覚

 日刊ゲンダイのHPに「『全国健保協会』つまらないお詫びハガキで壮大なムダ」
という記事が載っている。(2011年3月4日掲載)

http://gendai.net/articles/view/syakai/129211


「全国健康保険協会」というのは「民間企業のサラリーマンで勤務先が健康保険組合に加入していない人が入る組合」だそうだが、2月に出したハガキに「様」とか「御中」とかがついていなかったので、ミスを犯した大手印刷会社の費用でお詫びハガキを出しなおしたのだそうな。費用は、ゲンダイの試算では総額で1100万円以上となる見込みだそうだ。

この記事には多少(というか多々)問題がある。

まず

「アキれた金銭感覚」

という副題がついているのだが、費用は「大手印刷会社」が負担しているというのだから、金銭感覚は関係ないだろ。さらに、

どこが負担するにせよ、このコスト感覚が分からない。しゃくし定規の殿様感覚ではないか。」

と書かれているが、どこが負担するかで全然ちがう。

 「これって、フツーの会社でありえるだろうか。」

ってあるけど、全然ありえるよ!!!

他にも突っ込みどころは多い。

 「公益法人の問題を追及しているジャーナリストの北沢栄氏はこう言う。
『社会保障費は切迫しているのだから、お詫び状を出さず、その分の料金をディスカウントしてもらえばいいのです。1100万円は大きな金額です。そもそも仕事を丸投げして、チェックもしないからこんな事態に陥ったのです。民間企業では他社に委託しても社員がサンプル調査をするのが常識。机の上にふんぞり返っているから起きたトラブルで、業者イジメとしか見えません」

そういう、北沢氏の言うような金の出し方・受け取り方は、法人税法上、費用で落ちない・贈与となる、という問題をクリアできない。企業において、税金の問題はもっとも気を使うところである。この「北沢栄」という人は、企業で働いたことがないのだろう。なにが「民間企業では・・・常識」だよ。

だいたい、「大手印刷会社」って、○○社か××社じゃないの。目茶目茶金持ってるぞあいつらは。全然「業者」とか「イジメ」っていう感覚じゃないよ。それに1100万円分金出させるっていうなら、「大手印刷会社」の負担はおんなじじゃん。

おかしいのは、サンプル調査するのが常識、と言っておきながら、その直後に

「全国健康保険協会は社会保険庁が行っていた健康保険部門の合理化・効率化を目指して08年に設立された。何が合理化だと言いたくなる。」

と書いているところ。ギリギリ合理化したら、「サンプル調査」要員もいなくなるんじゃ?



開くの10時か

 映画「ディアボロス」で、勝つために手段を選ばない弁護士(キアヌ・リーブス)が、ヤギを生贄にして邪教の祈祷をしようとしてNew York City health codes(訳は衛生法だったかな?)で起訴された被告人を弁護してこう言った。

「彼がやったことは検察官から見れば異常かもしれない。それは割礼とか、ワインが血に変わったとかいう話ほど耳慣れたものではない。しかし、彼は信教の自由の下に認められた権利を行使したのであり、それを罰しようというのは憲法の保障する自由の侵害である。」(記憶で書いているので多少違うかもしれないが、まあ大体そんなような弁護だったと思う。)

後ほど、キアヌはこの弁護をアル・パチーノ演じる弁護士事務所長から批難される。邪教の動物虐待と聖書の話を同列に論じるなんて、何たる非倫理的行為、というわけだ。

しかし、信教の自由の建前から言えば、まさにキアヌの弁護の方こそが正しい。キリスト教が正しくてヤギを生贄に捧げる宗教が間違っている、とは限らない、全ての価値は相対的である、というのが信教の自由、さらに言えば、全ての自由権の前提だからである。

(無論、信教の自由の範囲内なら何をしてもいいというわけではない。より優先すべき価値を侵害していれば、その行為は制限され得る。)

このように、全ての価値は相対的であるという価値相対主義の考え方に立つとき、大事なのは手続きの保障ということになる。例えば、どの選択肢が正しいかは絶対的には決まらない、ということになると、じゃあ多数決で決めよう、ということになる。

何が言いたいかと言うと、リビアのことである。

Never met a god, I saw it's a goddess.

 DIVAISM(ディーバイズム)というフリーペーパーをご存知でしょうか。
私は知りませんでした。

私が入手したのは堀北真希が表紙の第二号。
何が言いたいのかというと、

神は日本にいた!

ということ。堀北真希様がとても美しいです。

このフリーペーパーは、銀座、赤坂、六本木、表参道だけで配布されているそうです。(どこでもらったっけなあ。記憶が定かでない・・・。)
とてもいい紙を使っていて、金取らなくて大丈夫か、という感じです。
ちなみに内容からすると、女性向けだと思います。おしゃれなレストランや映画情報とともに、髪型の記事とか、手料理の記事もある。

堀北真希って、女性に対する訴求力あるのかな。こういう雑誌の表紙になるということは、あるんでしょうね。

顔はロリ顔ですが、まじめな感じで肌の露出も多くないから、女に嫌われるタイプではないな。


2011年4月3日日曜日

AmeriKKKa's Least Wanted

今日DVDで「Vフォーヴェンデッタ」を観た。

それでふと思ったんだけど、今アメリカでは、オバマ大統領が経済的自由に対する規制を拡大する政策を採っていることに対し、非アメリカ的だとして反対する勢力が拡大している。のだが、彼らは、ジョージ・W・ブッシュ大統領が愛国者法とかを成立させて市民のプライバシーに対する政府の制限を拡大したり、米国外にある米軍基地でテロリストの容疑がかかった者に拷問したりしていた時、当時の政府の政策に反対したのだろうか。ブッシュ反対のティーパーティー運動などあったのか?

彼らの主張にはどうも矛盾があるようである。

アメリカ保守層の左派政策への嫌悪感や、もっと露骨に言ってしまえば黒人大統領に対する人種差別などがこの問題の背後に横たわっているのだろう。

ただ、それとは別に、この件には、日本とも共通する点がある。

自由権については、「二重の基準」を適用すべきというのが、日本憲法学界の通説と言ってよい。精神的自由権には「明白かつ現在の危険」とか「より制限的でない他の選び得る手段」などの基準により、自由権の制限に対する合憲性の判断は厳格に行うべきである一方、経済的自由権については、「合理性の基準」など、基本的に立法・行政の判断を尊重すべきである、というのである。

しかし、例えば法令違憲になった過去8件を見てみると、


1. 尊属殺人重罰規定     2. 薬事法距離制限規定     3. 衆議院議員定数配分規定
4. 衆議院議員定数配分規定 その2     5. 森林法共有林分割制限規定
6. 郵便法免責規定     7. 在外邦人の選挙権制限     8. 非嫡出子の国籍取得制限


平等権関係・・・1、3、4、7、8
経済的自由・・・2、5、6、

というわけで、経済的自由権は三度も違憲判決が出されたにもかかわらず、精神的自由権の制限は、違憲とされたことはない。

つまり、「白いアメリカ人」同様、経済的自由の侵害は厳しく批判するが、精神的自由の侵害には寛容なのだ。

思えば、精神的自由は、なくても生物としての人間は生きていけるものである。精神的自由は、強く抑制されれば、あきらめられてしまうことも多いのだ。
他方経済的自由は、金の問題である。侵害されて黙ってはいられないという人が多い。従って裁判所も一定の配慮をせざるを得ないのだ。

しかし、なくても生きていけるものだからこそ、それに命を掛ける姿は尊く、美しいのではないか。「Vフォーヴェンデッタ」にはそれが描かれている。

少なくともアメリカでは、「Vフォーヴェンデッタ」のような映画が作られている。日本で商業的意味でトップクラスの映画作家(「Vフォーヴェンデッタ」の製作は、「マトリックス」をヒットさせたウォシャウスキー兄弟)が、こんな映画を作れるだろうか。

なお、エンドロールで流れるストーンズの「Street Fighting Man」は、

Hey! think the time is right for a palace revolution
と革命を呼びかける(フランスはパリの五月革命への共感を示した歌と言われている)歌。


リライトはよくします

きーしーんだーおーもーいをー吐き出ーしたーいのはー  そんざーいのーしょーめーいがー他にーないーからー

そうかもしれないけど、やぱり、吐き出した言葉が軋んだ思いとなるのであり、吐き出した言葉が存在を、否、存在者を形作るのではないか。

そう思えないなら、その主体は生きてなどいないのだ。

2011年4月2日土曜日

お詫びはがき

 今日東京電力のお詫びはがきがポストに入ってた。
3月の電気使用量は、検針できなっかたからって言って、2月と同じにするとか言ってたんだよな。それはおかしいべ。謝ってもらわないと。

なになに、「お客さまには、電気ご使用量のお知らせ(検針票)をお送りする際、今回の取扱いに関するご説明が不足しておりましたことを深くお詫び申し上げます」だって?そこかよ!!だいたい、それは「お知らせ」とかいうはがきに書いてあったぞ。どこが不足なのか・・・。
あ、分かんなかった人が苦情電話でも掛けたのかな。馬鹿・・・。