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2011年6月17日金曜日

NHK全体のケイコーなのか?

男女それぞれの性に関する事柄に非対称的な言語表現を用いるのは、基本的に性差別的表現と言える。男と女の間に何らかの違いの存在することを暗に主張しているからである。特に、男性を姓で、女性を名前で呼ぶのは、男性が一族の代表であり、女性はその庇護・支配の下にある一メンバーに過ぎないという思想の現れであって、明らかに女性差別である。

NHKEテレに「ニュースで英会話」という番組がある。毎週NHKの英語放送で流されたニュースを1つ取り上げ、そこに出てくる英語を利用して英会話を学ぶという番組なのだが、今週のニュースはペルー大統領選についてであった。
ひどく気になったのが、番組のパーソナリティー4名のうち3名(英語解説のメイン(女性[←但し2回に1回は男性])・進行役のアシスタント(女性)・ニュースの背景を説明する解説員(男性)。ちなみにもう一人は発音要員のアメリカ人(男性))が、大統領選に敗れた方の候補者ケイコ・フジモリ氏(元ペルー大統領アルベルト・フジモリ氏の娘)を「ケイコ氏」・「ケイコさん」とファーストネームのみで連呼していたこと。ちなみに今回のタイトルは、「ペルー大統領選 ケイコ氏惜敗」
NHKでこんなアンチPCな言葉遣いしていいの?

「ケイコさん呼ばわりしたのは決して差別でなく、パパ・フジモリと区別するためだ」という反論があるかもしれないが、それならパパの方も「アルベルトさん」と呼ぶべきではないか。大統領選候補者でペルーの野党党首なのが娘、元大統領で今は獄中にいるのがパパである。まともに文脈を読める人なら「フジモリ」だけでどっちのことを言っているかわかるはずである。その証拠に、教材となった英語版ニュースの方では、キャスターは、1回フルネームで「ケイコ・フジモリ」と呼んだ後は、「フジモリ」か「she」としか言っていない。日本語を話す人は英語を話す人よりバカだとでも言うのか?

特に、全編を通して娘の方を「ケイコさん」呼ばわりしていたのが、60歳前後の解説委員の男性。こいつは、娘のプロフィール紹介の際には「あのフジモリ元大統領のお嬢さん」と紹介していた。これがいかにおかしいかは、「お嬢さん」と言う語の男性版が「お坊ちゃん」であることを想起すればすぐわかるだろう。「ジョージ・W・ブッシュ前大統領は、ブッシュ元大統領のお坊ちゃんです」とテレビで言う人がいるだろうか?のみならず、「お嬢さん」は「娘さん」に比べ、明らかに「世間知らず」「半人前」というニュアンスがある。社会的に期待される行動を取れない若い女性を「お嬢さんだからしょうがない」などと言う、あれである。

もう一人、ずっと「ケイコさん」と言っていたのがアシスタントの若い女性。セミロングの髪をふんわり流して、透け素材の袖の小さなドット柄(白地に黒)のブラウスを着て高い声で解説員に「なぜ○○なんですか」と教えを乞い、真剣な顔でフンフンとうなずきながら爺さんの愚にもつかない解説を微笑みつつ聞き、最後に「なるほど」で引き取るこの女。こういうのを「女性の敵」というのではないだろうか。

そもそも、私はこの、進行担当のアシスタントが女性で、その人にありがたい教えを垂れるのが年配の男性(安藤優子と木村太郎も全く同じ関係)、そして語学の先生が女性というこの番組の人員構成自体、いかにもステレオタイプな性差別意識の表れと以前から思っていた。そういう意味では、上記のような今週の放送の問題点は、やっぱりなという感じである。

女性地位向上団体みたいのがクレームつけたりしないのだろうか。(フェミニズムももう終わったとか言われたりもしているから、そういう元気な団体もなくなってしまったのだろうか。)

2011年6月12日日曜日

これが世間だよ

 言い忘れた。
『もしドラ』上映終了後、大学生くらいのお兄ちゃん二人組みが、
「『みなみさん』とか言ってっからよ、そりゃおめえだろって笑っちったよ」
と言ってました。
言うまでもなく、峯岸みなみが、「川島みなみ」(キャスト:前田敦子)に呼びかけるシーンについての発言です。
それがこの映画観て第一の感想か。

「これが世間だよ」(有吉弘行)

みなみは感動するのが仕事だった

映画『もしドラ』(「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」)を観た。
とてもよくできた映画で、クライマックスはもちろん、前半もサクサクとストーリーが展開していく様は見事だった。映画というのは必ず中だるみするもの(ナイト・シャラマン)であるからして、ここをうまく突破するのは大変難しいことである。
主演の前田敦子の演技も大したもので、最初の5分位であまりのうまさに「おおっ」となる。『マジすか学園』などと比べると(前田の演技はAKB全体の中では上の方だと思うが)格段に良い。監督の演出力の確かさをそこにみた。(とは言え峯岸みなみの方は若干苦しい。『マジすか学園2』ではそんなに悪くないように思えたが・・・。)心に闇を抱えたみなみ役は、内に秘めたタイプのあっちゃんによく合っている。
野球ムービーということで、野球シーンのリアリティーも重要なのだが、まあ『メジャーリーグ』シリーズレベルを求めるのは無理と言うものだろう。『ルーキーズ』よりはましであったとは言っておきたい。そもそも、野球選手のリアル感は、単に投打のフォームだけでなく、選手の肉体(特に尻のでかさ。他に身長・肩幅・日焼けなど)、さらに何もしていない時の選手の所作(グローブをひん曲げる・帽子のつばをひん曲げる・ユニフォームのズボンのすそを直すなど)に現れるものである。野球をやっているとグローブの形がすごく気になって、始終嵌めてないほうの手でギュウギュウやって形を直すんだよね。それと、注意したいのが、グローブを反対の手の拳でポンポンとやる、あれである。あれは、一目見るだけでやったことのある人かない人かが分かる。なにが違うんだろう・・・。
映画の話であった。ストーリー展開については、以前原作段階からの欠点について一点苦言を呈したところであるが、映画になってみると、あれがないとストーリーとして持たない(要するに2時間持たない)のだろうな、という気がする。とにかく、主人公は選手でなくマネージャーなのであるから、ラストの試合で大活躍というわけにはいかない(特にこの映画では。後述)。

映画を観るまで気づかなかった点を1つ。
主人公は、友人の夕紀から「野球部がもし(目標とした)甲子園への切符を手に入れられなくてもいいと思う。大事なのはプロセスだと思う」と言われて、「自分としては結果を大事にしたい」と反論し、後で猛烈に後悔する羽目になる。ドラッカーからすれば主人公が正しい、なぜ後悔するような展開にするのだろうか、と当初思っていたが、よく考えると、夕紀も正しいのである。
すなわち、マネジメントとは、明日のために今日決断することである。つまり、不確実な未来のために今なすべきことをなすのがマネジメントなのである(と、まさにドラッカーの『マネジメント』に書いてある)。最善を尽くしても、結果として失敗することはある。成功のリスク(可能性)に賭けて今最善を尽くすことがマネジメントにとって最も重要なことなのである。今、という一点でみて見れば、マネジメントとは、まさに結果に至るプロセスでしかありえないなのだ。実際、県予選の決勝、マネージャーのみなみに、(ベンチで選手の心の支えとなる、という点を除けば)何の出番もないのである。彼女は、ただ結果を見守り、感動する(まさにこの時みなみも野球部の『顧客』となっているのだ!)他に、何もすることはない。これが、この映画のストーリー中最もドラッカー的なところであり、よって下世話な世間に媚びない真摯・誠実なところであり、よってこの映画のもっとも感動的なところなのではないか、と思う。みなみが監督や選手に代わりなにかアクションを起こしてそれで試合に勝っていたりしたら、かなりのトホホ映画になっていたろう(それをやってしまったのが、信長も光秀も死の瞬間に主人公を思い出すという俺様(?)ドラマ『江~姫たちの戦国~』である)。
そう考えてみると、昨今政治家(マネジメント!)の資質として盛んに言われている「リーダーシップ」というものも、よく考えて使う必要がある。リーダーシップで物事を解決したと外部の者に一目瞭然分かるようなのは、真のリーダーシップとは言えないのだ。この映画のみなみのような活躍こそ、本当のリーダーシップなのである。
それにしても、映画中盤、監督(高校教師)の采配に憤慨する後輩マネージャーに対し、「監督をマネジメントできなかった私たちの責任」と言い切る高校生女子マネージャーみなみの潔さ!昨今の政治情勢に対し、「政治/与党/総理/マスコミが駄目だから」で済ませている人々は、これを観て猛省すべきではないだろうか。「この程度の国民にこの程度の政治」の語もある。

また話が飛んだが、みなみの反論「結果にこだわりたい」も間違いではない。実際のマネジメントにおいては、ある結果に向かって取り組みを行っている最中でも、時間の経過とともに状況は刻々と変わっていく。一度決めたことでも、状況に応じ日々て新たな対応をしていくことが必要なのである。つまり、「一度決めたことを一生懸命やってるんだからいいじゃん」では済まないのであり、全ての行動が目標の達成に最適なものとならなければならない。その意味ではやはり「結果にこだわる」ことが必要なのである。要するに、マネージャーの主観では結果思考で、それを外から見る者はプロセス思考で考えればよいのではないだろうか。

本作は200万部超のベストセラーの映画化であり、主演は国民的アイドルグループの中心人物、というわけで、それなりのヒットが期待されているわけであるが、読者=映画ヴューワー、ではなく、AKBファン=前田敦子ファン、でもない。実際、初期動員は若干苦しいようである。(まあそもそも映画は典型的な「アドベンチャービジネス」であるからして、どんな映画だろうと、必ず当たるという見込みなど全くないのであるが・・・)いい映画だと思うんですけどねえ。

なお、大泉洋は毎度ながら演技がうまい。原作・アニメでこの作品に触れていた人は、「ああ、監督はこういう人だったんだ」とあらためて納得したはず(理科室のシーンの演技など本当にうまい)。第二の竹中直人は君だ!!

2011年6月8日水曜日

もし天国に行ったなら

 東日本大震災に際して、多くの人が被災者への援助を行っている。
素晴らしいことだ。

テレンス・トレント・ダービーの歌でこういうのがあった。

「もしあんたらみんな天国に行ったなら
俺の母のために祈ってくれ
俺の父のために祈ってくれ
俺の兄弟たちのために祈ってくれ
でも 何よりも 俺のために祈りの言葉を捧げてくれ」
(Terence Trent D'Arby – If You All Get To Heaven)


皆さん、十分に幸せで、裕福なんでしょう。被災者に温かい援助の手を差し伸べて下さい。
だが、私には、人のために尽くす余裕は、欠片もない・・・。

2011年6月5日日曜日

ふと

 私は夜の街を歩くのが好きである。金曜日も3時間歩いた。なんか肥満解消に効果がありそうな気がする。(気がするだけだが。)

街を歩いていると、占い師がよくいるよね。

あれって、観てもらうといくらくらいかかるんだろう?

今日「20歳のときに知っておきたかったこと」を読んで、そんなことがふと気になった。


なお、法令用語では、「時」=ある時点、「とき」=場合、

という厳密な使い分けがある。ここでは「時」とすべきである(が、本のタイトルだから、いいか)。

Material Man

 私は物欲の塊だ。物を買うためなら死んでもいい。それは大げさか。
でも、こんなに買う必要はないと思う。
やはり心に何か満たされないものがあるのだろうか。(そりゃあるね)

幸せってなんだっけ。

ハック髪

gmailがハックされたとか。
大丈夫かな?